悪役令嬢、変装して街へ
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──悪役令嬢、変装して街へ
無事変装魔術を取得した私は早速試してみることにした。
髪は黒髪にして、瞳の色は赤に。そして、なんといっても胸をDカップ相当に!
これで誰も私を認識できまい! 完璧な変装だ!
……と思ったのだが、この魔術を外で使うことはできないのだ。最初から冒険者ギルドにこの変装術を使って通っていたならともかくとして、今更黒髪“巨乳”になって冒険者ギルドにいったらペトラさんたちにきょとんとされる。
新しく手伝い魔術師──今度は偽名で──登録して、すっかり一からやり直すという手もあるが、それだとせっかくペトラさんたちと仲良くなったのにもったいない。ペトラさんたちもアストリッドとしての私がいる以上はそう簡単に余所者をいれないだろうし。
ペトラさんたちに変装していることを明かすという手もなきにしもあらずだが、それだとロストマジックを使っていることがばれる可能性が高い。セラフィーネさんが常々言っていたようにロストマジックがお外で発覚すると怖い人たちに見つかるそうなので、ここは慎重に行きたい。
……というわけでせっかく取得した変装魔術ですが、出番がない!
まあ、万が一の場合には髪を黒くする程度は髪を染めましたでごまかせるかもしれないが。赤毛って染料で綺麗に黒色にすることができるんだったっけ?
まあ、胸も詰め物をしてますということでごまかせるけど、それはあまりにも私が惨めに思えるのでやめておく。あーあ。自然に育ってくれないかなー。身長ばかり伸びて本当に困るよ!
そんな変装魔術ですが、使いどころが全くないというわけではない。
街で使っておけば、自由に歩いて回れる!
これまではエルザ君の家を監視したり、お世話になってるペトラさんたちに何かプレゼントしようと思って商業地区を歩いて回ったりするのには、ミーネ君たちやエルザ君に見つかるというリスクがあったが、これなら大丈夫!
変装してれば思う存分、庶民の生活に馴染めるぜー!
というわけで早速商業地区へゴー!
今日の私はいつもとは一味違うぜ!
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で、やってきました商業地区。
今日の目的はエルザ君の家の観察とペトラさんたちへのプレゼントの購入だ。
エルザ君は家でどうしているかは非常に興味がある。何せ、エルザ君の行動次第で私の運命が決まるのだから。家でちゃんと勉強してるのかとか、フリードリヒとデートしてるかとか興味がありまくりです。
それからいつもお世話になってるペトラさんたちへのプレゼントの購入。これも円滑な人間関係を維持するために欠かせないもの。
いつも私が貴族様特権で買い物するような庶民から遠く離れた店の品を送るというのはちょっと嫌味すぎるので、ここは庶民的でありながら、ちゃんと感謝の意を伝えられる品をチョイスしたい。
さて、そういうことでいざ買い物へ!
ふふふ。誰もこの私がアストリッドだとは思いもしまい。今の私は完全に世間を欺いているぞ。流石だ、アストリッド! 魔術の腕にかけてはお前はチャンピオンだ! この調子で運命も殴り倒してやろう!
「アストリッド様?」
って、思ってたら突如として声が掛けられ、反射的に振り返ってしまった-!
「アストリッド……様ではないですか?」
現れたのはミーネ君だ! どうして私の変装を見破ったっ!
いや、微妙に疑問形な辺り、まだ分かってないぞ。ここはごまかそう。
「なんのことかしら。私はアストリッドという名前ではないのだけれど」
「う、うーん。失礼しました。私が知ってる方に背格好が似ていたので……。ちなみに名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「エリノアです」
「エリノア……」
あの手伝い冒険者疑惑もこの際だから押し付けてしまえ。
「あの、大変失礼なことをお聞きしますが、その胸は本物で?」
「もちろんですわ。触ってみなさる?」
ふふふ。今日の私の胸は自信に満ちているぞ! いろんな意味で!
「い、いえ、結構です。しかし、エリノアさんという方は……」
ミーネ君はなにやらぶつぶつと言いながら立ち去っていた。多分、凄く混乱していると思う。すまないな、ミーネ君。
「さてさて、エルザ君のパン屋にっと」
エルザ君は何してるのかなー?
「いらっしゃいませー」
相変わらずやる気のない声で出迎えてくれたのはエルザ君だ。カウンターに学園の教科書を置いて勉強しながら接客している……。この子の礼儀とかはどうなっているんだろうね、本当に。
「まあ、それは学園の教科書ですか?」
「ええ。って、あれ? アストリッド様?」
なんでエルザ君まで気付くのさ! 今日の私は完璧に違う人だろ!
「なんのことでしょう。私、エリノアと申しますが」
「し、失礼しました。顔立ちが私のとても親切にしてくださる級友の方に似ていらっしゃったので……」
ふむ。エルザ君から何かしらの悪感情は抱かれていないようだ。だが、今のところはの話である。まだまだこれから先、何が起きるか分からない。
「学園に通っていらっしゃるの?」
「はい。今年から高等部に。あなたも学園に?」
「ええ。高等部2年です」
まあ、学年ずらしておけばエルザ君には分かるまい。
「学園はどうですか? 庶民の方が通われるにはなかなか大変な場所かと思いますが。それに勉強の方も大変でしょう?」
「ええ。かなり大変ですね。勉強も追いつくのに苦労しています。ですが、私のような平民にも親切にしてくださる方々がいて、なんとかやっていけています。最初はもっと冷たい対応をされるかと思ったのですが」
「まあ、それは素晴らしいことですわ」
ふむふむ。エルザ君もいじめられそうだって自覚はあったわけだ。その自覚があるならちょっとは自己防衛にリソースを割いて欲しいのだが……。
「ちなみにそのお友達はどうしてそんなによくしてくれるのか分かりますか?」
「ええっと。その方の従妹の方に私が似ていたからだそうです。それだけの理由であれだけ親切にしてくださるなんて、本当に感謝の限りです」
よっしゃ! エルザ君の私への好感度はびっくりするほど高いぞ! 流石は私がお腹を痛めただけの成果はあるというものだ! 万歳!
「それからもうひとり親切にしてくださる方がいるんですが、そちらの方はまだどうしてあんなにも親切にしてくださるのか分かりません。ただ、あの方のことを思うとなんだか胸がどきどきして……」
おおっと! フリードリヒへの好感度も高いぞ! やったな! 私の作戦は順調に推移しているぞ! 本当に苦労した甲斐があった!
「では、そこの菓子パンを包んでくださるかしら? 友達からここのパンはおいしいと聞きましたの」
「はい。畏まりました」
私はいつもの菓子パンをゲットしてエルザ君に別れを告げると、食べ歩きしながら街を見て回った。こういう行儀の悪いことができるのも変装のおかげだ。
「さて、次はペトラさんたちへのプレゼントだけど……」
冒険者の人ってどういうものを貰うのが嬉しいんだろうか?
服? 宝石? 武器? 鎧?
うーん。武器とか鎧とかは私、詳しいことは分からないし、ペトラさんたちも自分の命をかけるものにはこだわりがあるだろうからやめておこう。
服は普段ペトラさんたちがどんな服を着ているか分からないから選びにくい。個人的にゲルトルートさんとペトラさんはメンズ系の服が似合いそうだし、エルネスタさんは普通のワンピースとかがよさそうだけれど。
かといって宝石はちょっとな。宝石なら変装しなくても買えるし、普段のお世話になっている相手に宝石を渡すのもちょっとおかしい。
それなら文房具とか?
悪くはなさそうだ。ペーパーナイフとか万年筆とかなら貰ってもそこまで邪魔にならないし、いらないなら孤児院に寄付して貰ってもいい。
あっ! そういえばペトラさんは武器として使う以外のナイフが欲しいって言ってたな。普段の野外での料理とかに使うナイフがあればなって言ってた、言ってた。
じゃあ、ゲルトルートさんとエルネスタさんには文房具セットをプレゼントして、ペトラさんにはナイフをプレゼントしよう!
それから無難なものと言えば食べ物だ!
お菓子の詰め合わせを買って3人に贈るとしよう。冒険の最中に食べられるようにクッキーとかにしておこうかな。
そうと決まればいざ購入!
あまり高すぎず、安すぎず、感謝の心が伝わり、押しつけがましくない絶妙な品をセレクトするのはなかなか大変だ。
だが、今日の私は完全な自由! 選び放題だぜ!
……と張り切ったら、いつの間にか夕方に。お昼は結局エルザ君のところで買った菓子パンだけになってしまった。変装しているのだから。もっと自由に飲み食いして回ろうとも考えていたのだけれど……。
でもまあ、ペトラさんたちへのプレゼントも購入できたし、よしとしよう!
後日、ペトラさんたちにプレゼントを贈ったらかなり喜んで貰えた。特にペトラさんはナイフの使い心地がよさそうなのに大喜びだった。時間をかけて選んだ甲斐があったよ!
お菓子の方は3人で食べて貰うつもりだったのだけれど、その日のうちにエルネスタさんが開けてしまい、私も一緒に食べることになった。まあ、いいか。
「そういえばこの間、商店街でお前にそっくりな奴見かけたぞ。髪は黒くて、胸もあったけど」
「ど、どうなんでしょうね? 世界には自分に似た人が10人はいるって言いますし」
全然役に立たない変装魔術だな!
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