悪役令嬢と従妹は山に登ります
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──悪役令嬢と従妹は山に登ります
夏休み! いえいっ!
夏と言えばレジャー! レジャーと言えば山!
野外活動部じゃお弁当持って、景色に恵まれた山でキャンプしたりしたなー。
というわけで、今年の夏は山です!
というのも、ちょっと体力が不安なイリスに運動の習慣をつけて貰おうと思っているからなのです。我が従妹は今は健康だけれど、背はちっちゃいし、体力がなくて将来病気になるかもしれないし、お姉ちゃんは不安なのですよ。
さあ、山に登って体力を付けよー!
「お姉様。ここに登るのですか?」
「うん。お父様の領地のひとつで、眺めがいいそうだよー」
私たちが眺めるのは、小高い山である。斜面はなだらかで山道も整備されている。登山初心者のイリスでも安心だね。山頂にはコテージもあるから、そこで今晩は過ごすつもりなのである。
ひとつだけ問題があるとすれば、ここは“冒険者ギルドが掃除した場所”という不穏なワードが付いているというところだろう。
ペトラさんたちはちゃんと仕事してるのに、どういうわけか冒険者ギルドが掃除しましたという場所には魔獣が残っているのだ。だから、冒険者ギルドが掃除した場所ですというのは映画の情報部並みに信用できない。
そういうことなので、私は今回は重武装です。
自動拳銃、ショットガンをいつでも取り出せるようにトランクに収め、空間の隙間には機関銃と口径120ミリライフル砲をしまってある。慌てると空間の隙間が上手く開けなかったりするので、トランクに携行することも必須なのだ。
「さて、ブラッドマジックを使ってもいいけど、魔力切れになるかもしれないからなるべくなら普通に歩こうね。私もイリスに合わせて歩くから安心して」
「はい、お姉様」
イリスは初めての登山に緊張気味だ。だが、いざとなればお姉ちゃんが背負ってあげるから安心して貰いたい。
「では、行こうっ!」
「おー!」
というわけで私たちは山頂をめざしてえっちらおっちらと山を登り始める。
ちなみに流石にドレスで登山はないので、動きやすいパンツルックである。これもダニエラさんの店で調達した。学園の体操服でもよかったんだけど、それだとちょっとおしゃれじゃないからね。
「お嬢様。そのトランクはよろしいのですか?」
「これは私が持つよ」
護衛兼荷物持ちとしてエアハルトおじさんが同行している。エアハルトおじさんももうお歳なので、そろそろ騎士は引退して、お父様から領地を貰う予定だ。老後は安らかに過ごして貰いたいけど、今は一緒に来てね。
「イリス。喉が渇いたらお茶を飲むんだよ。水分不足になると熱中症になるからね」
「ねっちゅうしょーですか? 分かりました」
この世界じゃ熱中症はまだまだ知られてないんだよな。地球でも毎年犠牲になる人がいる恐るべき病なのに、それが周知されていないとは。私は念のために塩飴も準備している。イリスにも後で舐めておいて貰おう。
「ふう。それにしても暑いですね」
「夏だからね。その分山頂は涼しくていいと思うよ」
季節は7月と夏真っ盛り。比較的涼しいというか寒い気候帯に分類されるプルーセン帝国でも夏は暑い。けど、九州育ちの私はこの程度の暑さには屈しないのである!
けど、イリスにはちょっときついかな。イリスの真っ白な肌が日焼けしたら可哀想なので一緒に日傘を差しているが、元野外活動部としては日傘を差しながら登山とはちょっと外道な気がしてならない。
「あっ。お姉様、あそこに妖精さんがいますっ!」
「えっ! どこどこ!?」
妖精がいるとは珍しい! 3体も妖精コレクションして、イリスに羨ましがられている身としては、イリスにも妖精と契約して貰いたいものなのであるが。
「あそこです! あの茂みに!」
「本当だ。妖精がいるよ、イリス!」
私が遭遇する妖精は毎回何かに食われかかっていたが、今回の妖精さんはふよふよと平和そうに茂みの中を飛行していた。
「よし、お姉ちゃんが捕まえてきてあげよう」
「待ってください、お姉様! ここは私が行きます!」
ありゃ? イリスが行くの? ここはお姉ちゃんがゲットしてきて、イリスと契約するように迫ろうと思ったんだけど。
「妖精さん、妖精さん」
「ん? 人間さんですか?」
イリスが茂みに近づいて妖精に声をかけるのに、妖精がイリスの方を振り返った。今度の妖精は藍色ドレスに藍色の髪と瞳か。エレメンタルは水あたりだろうか?
「このお菓子をどうぞ」
「わーっ! 人間さん、ありがとう!」
イリスはいつもブラウたちが円卓でお菓子を貪っているのを見ているためか、お菓子を手に妖精を釣る。うむ。我が従妹ながら知的戦術だな。私は単に握りしめて強引に連れてくることしか考えてなかったよ。
「妖精さん、私と契約してくれませんが」
「ん? 人間さんは魔術師なの?」
「そうです。まだ学園の学生だけれど……」
おっと。ここでイリスが契約のことを持ち出したぞ。どう反応する?
「これからもお菓子くれます?」
「あげますよ。いっぱいあげます」
がめつい妖精だな。命の危険がないと妖精は図太いのか。
「なら、契約しましょう! 人間さんのお名前はなんですか?」
「イリスです!」
おおっ? 成功したぞ!
「では」
妖精がひらりとイリスの手の平に乗る。
「我、ヴァールセルベルグの山のユリカは汝イリスと魂を結びて契約せん」
妖精がいつもの契約の言葉を述べる。
「契約を受け入れるならば接吻を。契約を受け入れぬならば瞼を閉じよ」
妖精──ユリカがそう告げるのに、イリスがそっとユリカの額にキスをする。
おお! これですよ、これ! 儚げな美少女と妖精のコラボレーション! スマホを持っていないのが心底悔やまれる……!
「契約完了ですよ、イリスさん。これからよろしく!」
「よろしくお願いします、ユリカさん」
ユリカが微笑むのに、イリスも微笑んだ。ああ。実にファンタジーな光景。
「お姉様! 私、妖精さんと契約できましたよ!」
「よかったね、イリス。長年の夢が叶って」
イリスがユリカと共に私の下に戻ってくるのに、私も思わず笑みが。
「ところで、ユリカちゃん。親しいエレメンタルはやっぱり水?」
「はい。ユリカが親しいエレメンタルは水です。水のことなら任せてください!」
ふむふむ。できれば、イリスには火の妖精とかが付くとよかったのだが。そうすれば、いざあの悪質ストーカーヴェラたちが襲い掛かっても、火傷させてやれたはずだ。
「そちらのお姉さんのお名前は?」
「アストリッド。で、こっちは──」
私が胸ポケットとショルダーバックを軽く叩く。
「うー。マスター……。暑いですー……」
若干湯だったブラウたちが姿を見せた。
「これは右からブラウ、ゲルプ、ロート。ほら、新しい妖精だよ、みんな」
「あっ! よろしくです! ブラウはブラウです!」
ブラウは妖精の中でも社交的な方だ。
「うわー! 3人も妖精を連れてるなんてお姉さんは大魔術師ですねー!」
「そうなんですよ。お姉様は魔術の天才なんです!」
ユリカとイリスが褒めたたえてくれるがくすぐったい。勘弁してくれ。
「お姉さんならあのお化けも倒せるかも……」
「え? お化け?」
おい。いきなりファンタジーからホラーにならないでくれ。ホラーは苦手なんだ。
「お化けドラゴンがこの辺りにはでるんですよ。夜な夜な森を徘徊しては、妖精や動物をもぐもぐと……。ユリカはそのお化けドラゴンが怖くて、この付近にまで逃げてきたんです。あれは森の外には出ようとしないので」
「お化けドラゴンって……」
ドラゴンゾンビみたいな奴か? やだなー……。
「エアハルトさん! この付近は冒険者ギルドが手入れしているんですよね?」
「そのはずですが、何か出ましたか?」
ううむ。冒険者ギルドは正直当てにならないし、今日はここに泊まるわけだからな。ちょっと用心した方がいいかもしれない。
「まあ、まずは山頂を目指そう。そのあとにお化けドラゴン討伐を冒険者ギルドに提出しておくよ。頼りになる冒険者さんたちが、きっと退治してくれるよ!」
「お姉様。お姉様ではお化けドラゴンは倒せませんか……?」
「た、倒せないよ? 私はまだ学生だからドラゴンの相手とか無理だからね?」
そんな潤んだ目で見てもダメだよ、イリス!
「ささ、山頂を目指そう、イリス。妖精、契約してくれてよかったね」
「はい!」
私たちはこうして妖精と出くわしたりしながら、山頂を目指して登った。
イリスは途中でばてちゃうかもと心配していたが、妖精がゲットできた喜びのためかくじけることなくひとりで山頂に辿り着いた。イリスは本当に頑張り屋さんだなー!
「眺めがいいね」
「ええ。とてもいい風景です」
私とイリスは山頂からの雄大な自然の風景を眺めながらお弁当を食べた。
山頂からは辺り一帯を覆う原生林が見渡せる。この世界はエレメンタルマジックで火が起こせるので、あまり燃料として木を切ったりしないためこのような自然が多く残っているのだ。魔術のおかげで自然保護。
「イリスは山登り楽しかった?」
「はい。体を動かすというのもいいものだと思いました。これからはもっと運動していきたいと思います」
うんうん。イリスは本当に素直でいいね。どこぞの宰相の息子に爪の垢を煎じて飲ませてやりたいよ。
「このサンドイッチはブラウのです!」
「ユリカも食べたいの!」
妖精たちはサンドイッチを巡って争っていた。平和だ。
さて、今晩はここに泊まるわけだが、件のお化けドラゴンとやらがどうにも気になるな。ここはあの子の散歩も兼ねて、夜はドラゴン狩りと行くべきかもしれない。
だって、イリスが襲われたら大変じゃん! 絶対に許さないぞ!
というわけで、私は今のうちにイリスとの平和を満喫しておいた。
平和、平和。平和はいいねー。
「ブラウのサンドイッチ!」
「ユリカの!」
平和、平和。
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