悪役令嬢は神獣と戦う
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──悪役令嬢は神獣と戦う
「戦闘適合化措置を実行」
アドレナリンの分泌が始まり、同時に体感時間が次第に緩やかになる。
大きく息を吐いて胸の中の空気を抜き、レティクルにフェンリルの下腹部を収める。フェンリルは動く様子はない。ただ4本の足で立ち、その場にこの森の王者として鎮座している。
だが、君が王でいられるのももう後数十分だぜ?
そして、私は引き金を絞る。
激しい銃声はブラウが掻き消した。響く音は何もなく──。
「弾かれたっ!?」
私の放った銃弾は戦車の装甲にでもぶつかったように金属音を立てて弾かれた。
馬鹿な。50口径弾が弾かれるとはありえない。
「誰かいるな? 何者だ?」
フェンリルが低い声でそう告げて周囲を見渡す。
「い、今の何です?」
「結界だ。あの手の魔獣はそういうのを使うんだよ。まだこっちには気付いてないみたいだから逃げるか?」
結界を張るとか卑怯臭い! ロストマジックにも結界なんてないのに!
「物理で抜けますか?」
「相当な火力を叩き込まないと抜けないぞ。魔術師があと10ダースはいるな」
10ダースの魔術師かー。やれるかなー?
「では、なんとか抜いてみます」
私はそう告げて対物ライフルをトランクに押し込むと、空間の隙間から口径120ミリライフル砲を取り出して装備する。
「お、おい。本気かよ」
「本気ですよ?」
私はやる気だ。あれを使い魔にする。あれが欲しい。
「そこか……!」
フェンリルの鋭い視線が私たちの方を向く。
「そうだ! 狼野郎! こっちだ!」
私はブラッドマジックで一気に筋力を上げ、フェンリルに砲口を向けながら、茂みの中を駆けまわり、第一撃を放つ準備を整える。
こうやって走り回ってないと──。
「人間がひとりで我に挑むか。面白いっ!」
フェンリルが大きく跳躍し、一気に距離を詰めてきた。
そうだと思ったよ。そのガタイだ。筋力も半端じゃないだろう。
「どーした! 狼君! かすりもしないぞ!」
私はにんまりと笑うと、口径120ミリライフル砲の引き金を引く。
ブラウが消音してしてしまっているので、砲声が聞けないのは残念だが、消音しておかないと鼓膜が引き裂かれる。これぐらいの口径になると、衝撃が半端ではないのだ。
「ぬうっ!?」
ふふん。放ったのは対戦車榴弾だ。装甲車の装甲ぐらいなら余裕でぶち抜ける代物。君の結界とやらは持つかな、狼君?
「ふんっ! この程度でっ!」
「ちいっ! しぶといな!」
対戦車榴弾は残念なことにフェンリルの頬をかすめただけで終わった。メタルジェットが炎となってフェンリルに襲い掛かったのだが、フェンリルは大きく体を捻ってその炎を回避する。
普通なら戦車の砲撃を放たれた直後に避けるなんてことは生身の生き物にできるはずがない。こいつは確かに大した怪物だ。
実にいいな。気に入ったぞ。
「さあ、ならもうちょっと踊ろうか? 今日の私は絶好調だ」
「ほざけ、人間。こっちが遊んでやる」
生意気な狼君のようで。だが、そのガッツは気に入った。
「対戦車榴弾、連続射撃!」
私は突進するフェンリルの側面に軽くステップを踏むようにして回り込み、遅延した体感時間の中で、フェンリルのわき腹に向けて連続して砲弾を叩き込む。1発でダメなら4発だっ!
今度はフェンリルも完全には私の攻撃を回避しきれなかった。メタルジェットの嵐に腹部を焼かれ、貫かれる。
「装填!」
私は空間の隙間を5つ作りだし、一気にレボルバーに砲弾を装填した。
「それはロストマジックか……。まだそれを使える人間がいたとはな。なるほど。貴様の目的はこの我を使い魔にでもすることか?」
「そういうことです。大人しく使い魔になってくれます?」
私は装填を完了した口径120ミリライフル砲の砲口を再びフェンリルに向ける。
殺してしまっては台無しだ。半死半生の状態に追い込むことこそ目的。
難しいな。
「ククッ。いいだろう。貴様が次に我に攻撃を当てることができたら使い魔になってやる。だが、その前に思い知ることになるだろう。この神獣フェンリルに挑んだことの愚かしさをな!」
おや? フェンリルの様子が……。
加速したっ! 何倍にも加速してる!
「これが君の本気って奴か! ますます気に入った!」
「これまでは遊びだったからな!」
私の体感速度の遅延でも追いつかないほどに、フェンリルは加速している。
なるほど。確かに遊ばれていたわけだ。冗談にならないな。
「だが、こっちにもまだ手がある」
私はアドレナリンを更に放出して、心拍数を高める。心拍数が上がれば上がるほど体感時間は遅延していく。その分視野は狭まるが、一度狙った目標を見失ってしまうほど、私の集中力は欠けちゃいない。
「さあ、来い! 古き魔女たちの術を使う娘っ! その真価を証明して見せろ!」
厄介なことにフェンリルの動きは私が砲で狙っていることを理解してのものだった。すなわちジグザグ走行だ。これでは狙いがつけにくくなる。今の私の体感時間の遅延とフェンリルの動きの素早さは互角だ。
「人力FCSじゃあ相手にならないってか」
だが、まだまだいけるぞ。これぐらいの困難がなければ、あのサディストっぽいセラフィーネさんが出した課題じゃない。それにこれぐらい強くなければ、私の使い魔に相応しくないと思わない?
「どうした、人間? 攻撃が当たっていないぞ?」
「ほざいてろ」
クククッとフェンリルが笑うのに、私がむっとして返す。
「さあ、さあ、さあ! 雄叫びを上げろ、魔女! 勇気を示せ! 力を示せ!」
フェンリルはご機嫌だな。随分と調子に乗ってやがる。
「はああっ!」
私はフェンリルが突撃して来るのに、迎え撃つように突撃する。
「な、何してんだ!? 死ぬ気か!?」
ペトラさんが慌てて矢を放つが対戦車榴弾でようやく貫通できるフェンリルの結界には手が出せない。
だが、大丈夫だ。
フェンリル。君が言ったように勇気と力を今示してやる!
「攻撃の瞬間は──」
フェンリルが右前足を大きく振り上げて、私を狙う。
「君が攻撃してくる時だ!」
私は地面をスライディングしていき、フェンリルの攻撃を紙一重で躱すと、そのままフェンリルの腹部に向けて滑り込み、シリンダーに装填されていた5発の砲弾を全て叩き込んだ。
「ぐあっ……!」
やったぞ! 今度はフェンリルの下腹部に砲弾を叩き込んでやった。
フェンリルの下腹部から血がボタボタと滴って、私の方を濡らす。
おっと。制服がこれ以上汚れると言い訳不可能になる。
私はフェンリルが横向けにドンと音を立てて倒れたのを確認すると、彼の顔に駆け寄った。
「どうだい。当ててやったぞ?」
「そのようだな……。まさか、人間がここまでやるとは……」
そう告げるフェンリルの下半身は砲弾を受けて千切れかかっている。
少々やりすぎた。
「じっとしていて。今、死なない程度に治療する」
治癒のブラッドマジックを使って、私はフェンリルの出血をとりあえず止める。
「さて、契約してくれるんだよね?」
「まあ、貴様ほどの魔女ならば我が主人として申し分なし。貴様がいずれ寿命で果てるかこの世に飽きるまで付き合ってやろう」
随分と偉そうだが、まあいいや。認めてくれてるわけだしね。
「では、血を」
私はフェンリルの前足を僅かにナイフで刺し出血させると、自分の人差し指を僅かに切って血を流した。
「“我ら、血によって結ばれ、血によって染まり、血によって互いを共有せん”」
「古き魔女たちの言葉。懐かしいな」
私が詠唱を終えるとフェンリルの感覚が共有できるのが分かった。その視野は広く、臭いが視覚情報として流れ込んでくる。
見事、私はフェンリルを使い魔にしたぞ!
「では、君を完全に治療するから」
「安心しろ。それぐらいのことは自分でできる」
フェンリルは何事かを告げると、その下半身の傷が癒えていった。
「なんだ。君はまだまだやれたってことかい」
「まさか。ぎりぎりだ。後一発、その炎の筒が火を噴いていたらやられていただろう」
私が告げるのにフェンリルがそう返す。
「では、君は正式に私の使い魔だ。それで最初のお願いだけど……」
「我の主人となったのだ。お願いではなく、命令と言え」
これじゃどっちが使い魔でどっちが主人か分からないね。
「じゃあ、最初の命令。暫くこの森に隠れてて。後で迎えに来るから」
「今から付いて行くのはダメなのか?」
「人の目があるからね……。ロストマジックは公には抹消されている事になっているから、私がここで君を使い魔にしたことがばれるといろいろと不味いんだ」
「ふん。敵が来るなら食い殺してやればいいものを」
物騒だな、フェンリルは。
「とにかく、これが最初の命令。オーケー?」
「ああ。理解した。後で会おう、我が主人。来るのを忘れるなよ」
ふう。フェンリルも納得してくれたみたいだし、これで一件落着。
フェンリルは再び起き上がると森の中を駆けていき、姿を消した。
「お、おい。大丈夫か、アストリッド?」
私がフェンリルを逃がしたのを見て、ペトラさんがやってきた。ペトラさんから見たら何が何だか分からない状況だろう。
「大丈夫ですよ。あのフェンリルもこれからは大人しくしてるって約束したので、逃がしてやりました。フェンリルは危険かもしれませんけど、何もしてないフェンリルを殺すのは無益な殺生ですよね?」
「いや。あのフェンリル、相当な歳だろうから何してるか分からんぞ」
ええい。私の思いついた言い訳に納得して欲しい!
「とにかく、もう逃がしちゃいましたし、私たちはロートスの実の採取に戻りましょう。そうしましょう。急いで、急いで」
「ううーん。フェンリル討伐の証拠があればギルドから相当な謝礼が貰えたはずなんだけどな。もったいない」
世の中、お金より大事なものもあるのですよ!
「人間さん。ありがとうございます!」
「やっと危険がなくなった!」
おっと。忘れていた。私はふたりの妖精とも契約する約束をしていたんだった。
「じゃあ、約束通り契約してくれる?」
「いいですよ! 契約しましょう!」
ふたりの妖精が私の右手と左手にちょいと乗る。
「人間さん。名前はなんていうんでしょうか?」
「アストリッドだよ」
故あって家名を名乗るわけにはいかないのだ。ペトラさんがいるし。
「我、ラインハルトの森のゲルプは汝アストリッドと魂を結びて契約せん」
「我、ラインハルトの森のロートは汝アストリッドと魂を結びて契約せん」
ふたりの妖精が同時にそう唱える。
「契約を受け入れるならば接吻を。契約を受け入れぬならば瞼を閉じよ」
「契約を受け入れるならば接吻を。契約を受け入れぬならば瞼を閉じよ」
そして、ふたりの妖精がブラウと契約したときと同じ言葉を口にする。
私はふたりの妖精の額にそっと唇を当てて契約を成した。
「これからよろしくです、マスター!」
「よろしくお願いします!」
「こちらこそ、よろしくね」
よしよし。念願の妖精を増やす作戦も上手く行った。
後はこの子たちの信頼を勝ち取ってから、ブラウと同じように使い魔の契約をしよう。偵察ドローンが3人になれば索敵能力も向上するというものだ。
「妖精と話してるんだろうけど、あたしから見るとひとりで変なことしてるようにしか見えないな……」
「そ、それは言わないでくださいよ……」
妖精が見えない人からするとさぞ滑稽な光景ではあろうが……。
「さあ、戻りましょう、ペトラさん。もう採取終わってるかもしれませんよ」
「そうだな。戻るか」
こうして私はフェンリルを使い魔にした。
今回はクエスト報酬は辞退し、後でまたあの森に行ってフェンリルに空間の隙間に入って貰った。フェンリルは空間の隙間に入ることを渋ったが、君のような巨大生物を連れて回るのは目立ちすぎるんだよ!
だけれど、何にもない空間の隙間に閉じ込めておくのも可哀想だ。
今度、何かいい手がないかヴァレンティーネさん辺りに相談してみよう。
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