悪役令嬢の好き嫌いテスト
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──悪役令嬢の好き嫌いテスト
「えい」
私はパチンと我が部の実験動物のお猿さんの頭を叩く。
「キー!」
「えい」
泣き叫ぼうが叩く。ペチペチ。
「うーむ。上手く行かないなー」
「ア、アストリッド様? 何をなさっておられるのですか?」
私がひたすらお猿さんの頭をペチペチと定規で叩いているのに、ミーネ君が不安そうに尋ねてきた。その視線が頭がおかしい人を見る目なのが気になるが。
「えっとね。感情のコントロールができないか考えているのさ」
「感情をコントロールするのにお猿さんの頭を……?」
うむ。途中をすっ飛ばして話すと意味不明だな。
「これは良心のコントロールを狙った実験なんだ。私は今自分の心をモニターしてる。そこに良心が存在するならば、私が可哀想なお猿さんの頭を叩くときに発生するだろう。そして、その発生した部位を覚えておけば良心を消すことも不可能じゃなくなる!」
基本的に人間は同族を殺すことに多大な抵抗を覚える。それが原始的なものなのか、教育で形成されたものなのかは不明だが、いずれにせよ人間は人間を殺すことにストレスを感じ、そのストレスから逃げようとする。
それはよくない。
私は将来において、私を破滅させようとする有象無象と戦う定めがある。その時に殺す人間の数は膨大なものとなるだろう。敵兵ひとりひとりを殺す度にそのストレスを感じていてはベトナム帰還兵のようになってしまう。
そこで、私は人殺しのストレスを緩和させるために、まず原因の一翼を担っているであろう、良心を私の脳から追い払うことにした。良心がなければ、何万という人間を殺してもストレスにはならないだろう。
できるならば、実際に人を殺してみて、その時感じたストレスとその発生場所を特定し、脳での活動を禁止させてしまいたい。だが、今のところ合法的に人殺しが行えるような場所はないし、私はそこまでサイコパスではない。
なので、今は良心の活動停止を狙っている。
だが、いまいち私はお猿のピンク君の頭を叩いても良心が芽生える気がしない。ピンク君が微妙に不細工だからだろうか?
「これじゃあ、術式は作れないなー……」
私はペチペチとお猿さんの頭を叩きながら、アンニュイな気分にはなった。
「その、実験用の動物とはいえあまり叩くと可哀想ですわ」
「!?」
ミーネ君がそう告げるのに私はミーネ君の方を振り返った。
「今、何て言った!?」
「そ、そ、その、なんでもありませんわ!」
「いや、可哀想って言ったよね! それだ!」
私がぐいぐい迫りすぎたせいか、ミーネ君がドン引きしてしまった。
「ミーネ! 私が君の心をモニターするから、お猿さんの頭をペチペチして! 可哀想って思えるぐらいに!」
「え、ええー……」
行けると思ったんだが、ミーネ君が思いっ切り嫌そうな顔をしている。
「はあ……。困ったな。誰か実験に参加してくれないかなー」
「アストリッド様? そのお聞きしたいのですが、よろしいでしょうか?」
「なんだい、ミーネ?」
私が実験に参加してくれる被験者の方募集とでも広告を出そうかと考える中で、ミーネ君が話しかけてきた。
「あの、その感情のコントロールは相手を好ましく思う、なんてことには利用できないのでしょうか……?」
「ははあん。アドルフ様のことだな?」
「い、いえ。ちょっと興味が出て……」
ミーネ君はアドルフと滅茶苦茶仲いいものね。アドルフは言動からしてまだお友達以上恋人未満って関係だけど、ミーネ君としては正式に恋人になりたいというものだ。
よし、私の地雷処理を手伝ってくれて、私の部活にも入ってくれたミーネ君にはお礼をしないといけないな。
「だが、ちょっと問題があるんだよね」
「といいますと?」
「男の心と女の心って微妙に違いがあるんだ。だから、ここでミーネのアドルフ様好き好き感情をモニターしても、そのままそれを誘発するブラッドマジックの術式は組めないってことだよ」
「す。好き好き感情……」
私の説明にミーネ君が赤くなる。
「というわけで、誰か男の子の被験者連れてきて。誰か好きな人が特定できてる人がいいかな。その人の話題を振ってみて、どういう風に心が動くかをモニターして、それを基にブラッドマジックの術式を作るから。なるべくなら被験者は多い方がいいかな」
説明が遅れましたが、術式というのはブラッドマジック版魔術札というところです。これは魔術札のように紙に記録せず、脳──あるいは血に記憶され、覚えている限り何度でも行使可能かつ他人に術式を教えることも可能です。
説明、以上。
「そう言われましても私はあまり殿方の友達というのは……。まして、好きな人を知っている方となると皆無です」
「うーむ。参ったな」
アドルフの脳を下手に弄ってあっぱらぱーにしては問題なので、ここは慎重に事を進めなければいけないのだが……。
「よし。私が手を打とう」
「アストリッド様が?」
私がパンと手を鳴らして告げるのに、ミーネ君が驚いた顔をする。
「そう、円卓の男子をモニターしてくる。アドルフ様からも直接」
「ええっ!?」
まあ、驚くよね。
「そ、それはいけないんでは……?」
「じゃあ、被験者を募集するかい? 実験の説明義務がある以上、私たちが何を研究しているか説明する必要があるけど」
「……円卓の皆様には説明せずとも?」
「友達だからねー」
一部、敵が混じっているけれど。
「それに私もこの実験には興味あるんだ。好きな人判定機として使えるかもしれないしさ。ゴシップ好きな方々には売れそうな術式にならない?」
「え、ええー……」
ミーネ君。私の散財のせいで真・魔術研究部は部費がピンチなんだ。いつか良心や倫理観を弄る実験をするときには被験者も必要になるし、被験者もただでは被験者にはなってくれない。我が部にはお金が必要なんだよ。
「まあ、上手く行けば儲けものってぐらいの期待でいてね」
「は、はい」
ということで、私はアドルフたちの心をモニターすることになった。
何事も挑戦あるのみ! レッツゴー!
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というわけで、円卓にやってまいりました。
まず試してみるのは好きな人がはっきりしている人物だ。
「ねえ、ねえ。ヴェルナー君、ちょっといい?」
「なんでしょう、アストリッド先輩?」
ヴェルナー君は確実にイリスのことが好きなはずだ。彼にイリスの話を振ってみて、そこから沸き起こる感情をモニターし、その後にいくつかの関係ない別の話題として、好きな人への感情をフィルタリングしてみよー!
「ちょっとブラッドマジックの実験、手伝ってくれる?」
「ええ。構いませんよ」
よしよし。私はヴェルナー君の手を握る。そして、魔力を流し込み、脳のニューロン発火をモニタリングする。今のところ、沸き起こっている反応は1種類しかない。恐らくこの実験を怪訝に思っている感情だろう。
「イリスのこと、どれくらい好き?」
「そ、それは実験と関係あるのですか?」
「もちろん」
おっと。いくつかの反応が起きたぞ。驚愕の感情や恥ずかしいという感情も沸き起こっているだろうから、これだけで好きな感情とは言えないね。
「そうですね。とても愛しています。今から結婚するのが楽しみです。イリス先輩はきっと僕のいい伴侶になってくれると思いますので」
「ふむふむ」
いくつかの反応が消失した。恐らく、これが好きという感情なのだろう。
「では、次の質問。実は私はこの手の中に蠍を入れています」
「ええっ!? な、なんでそんなことを!」
おっと! 先ほどの最初の質問の時に沸き起こったのと同じ反応があるぞ。これが驚愕の反応だろうな。ふむふむ。
「冗談です。ところで、ヴェルナー君って恥ずかしいことある?」
「恥ずかしいことですか? それはどのような種類の恥ずかしさでしょう?」
「照れたりする話」
そっか。恥ずかしいをひとつとっても怒りに繋がる恥ずかしいから、恐怖に繋がる恥ずかしいまでいろいろあるよね。これはますます面倒なことになるな……。
「どうしても答えなければなりませんか?」
「うん。お願い」
おや。新しい反応が発生。最初の質問の時の反応にもこれと同じものがあったな。恐らくはこれが羞恥の感情だろう。
「ええっと……。照れたような恥ずかしいこと……。実は僕、蜘蛛が苦手なんです。あれだけはどうしても相手にできないんですよ……」
「オーケー! ありがとう! 参考になったよ!」
「え? これって何のための実験だったんですか?」
ありがとう、ヴェルナー君。貴重なデータが取れたよ。
次は、と。
「アドルフ様。ちょっとよろしいでしょうか?」
「ああ。何だ?」
アドルフは本を読んでいる最中だった。やはりブラッドマジックのものだ。だが、ミーネ君経由で聞いたところではブラッドマジックの知識は十分だが、実技だけが苦手なようなので本を読んで解決できるかは謎だ。
「ちょっとブラッドマジックの実験に付き合っていただけませんか? いくつかの質問に答えてくださるだけで結構です」
「ブラッドマジックの? ……妙なものじゃないだろうな?」
「大丈夫です。身体に影響はありませんから」
私がそう告げるのに。アドルフは渋々と私に手を握られた。
「ミーネさんについてどう思われています?」
「ああ。あいつはいい奴だ。俺の勉強に付き合ってくれているし、いろいろとアドバイスしてくれる。悪い奴じゃないな」
おやや。浮き上がったのは単一の反応だ。微弱だがヴェルナー君にイリスのことを聞いた時の反応と似ている。なるほど。これが人を好きだと思う感情における脳の反応なのかな?
「ところで、アドルフ様は意中の女性はおられます?」
「い、いや。そういうのはまだ早いだろう」
おっと。さっきの反応が増大したことに加えて、羞恥の反応もキャッチしましたよ。これは間違いないですね。
「最後の質問ですが、フリードリヒ殿下のことはどう思われます」
「悪くない奴だ。将来はいい皇帝になるんじゃないか?」
よし。これでさっきの反応は同性同士の親しみの感情とは別のものだと分かった。
「ありがとうございました、アドルフ様。協力に感謝します」
「これぐらいのことなら礼などいらんさ」
オーケー! 待ってろ、ミーネ君! 君のための特製惚れ薬を作るぞー!
……の前に。試しておきたいことがちょっとある。疑問に思っていたことだ。
「ディートリヒ君。ちょっといいかな?」
「なんでしょう、アストリッド先輩?」
そう、ディートリヒ君の意中の相手は本当にイリスではないのかのテストだ。
私は普通にイリスのことが好きなのだと思うが、イリスやヴァーリア先輩はディートリヒ君は私のことが好きだという。年下に好かれるタイプでもなければ、年下の男子が好きなタイプでもないのだが……。
「ディートリヒ君って、イリスのこと好き?」
「はい。お慕いしております」
……あれ? さっきの男子2名で起きた反応がない。
「じゃあ、私のこと好きかなー、なんちゃって」
「えっと。それは……」
……あれ? さっき男子2名で起きた反応が起きてるぞ。
「あ、ありがとう、ディートリヒ君! いいデータが取れたよ! またね!」
「あ、あの、アストリッド先輩?」
ど、どうしよう。これが本当に好意の反応だったら、私は4歳年下の男子に好かれているのか? 私が高等部3年の時に中等部2年の子だぞ? しかも、あの弟にコンプレックスありげなアドルフの弟だぞ?
うーむ。保留しておこう。今の私にはどうしていいのか分からない。
で、せっかくなのでもうひとつ試そう。
「ベルンハルト先生!」
「なんだ、アストリッド嬢。今日は空から通学じゃなかったな」
そう! ベルンハルト先生が私を好きかをチェックするのだ!
「先生、ブラッドマジックのテストに付き合って貰えませんか? すぐ済みます」
「あー。別にいいが。危ない奴じゃないだろうな?」
「ご安心を。モニターするだけですから」
私はベルンハルト先生の了承が取れるなりその手を握る。
さて……。
「ベルンハルト先生、ぶっちゃけ私のことどう思ってます?」
「問題児。高等部に上がってくるのが今から恐ろしい」
はい。ありがとうございました。反応はございません。
「はあ」
「何故溜息を吐く?」
私の恋は遅咲きなんだろうなー。
と、まあ、幾分がデータも取れたし、ミーネ君と後で実験してみよう。
それにしても、はあ……。
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