悪役令嬢と新入生
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──悪役令嬢と新入生
「今日からお世話になるディートリヒ・ループレヒト・フォン・ヴァレンシュタインです。よろしくお願いします」
と、名乗るのはリトルなアドルフだった。
これがアドルフの弟のディートリヒ君だ。見た目は本当にリトルアドルフだが、性格は温和なのか、挨拶ものんびりとしたものである。
「よろしく、ディートリヒ君。私は中等部1年のアストリッド。こっちは初等部3年で私の従妹のイリス。仲良くしてあげてね」
「イ、イリスです。よろしくお願います」
イリスは見知らぬ顔に私の背中に隠れてしまった。そこ好きだね、君。
「よ、よろしくお願いします、イリス先輩」
おっと。ディートリヒ君の顔が赤らんだぞ。ひょっとしてイリスに惚れたかい?
だけど、ダメだぞ。イリスにはもう婚約者がいるんだからね。
そんなやり取りをしていると、ディートリヒ君と入れ替わるように、見るからに高級貴族の男の子がやってきた。
「僕はヴェルナー・アルブレヒト・フォン・ヴュルテンベルクです。イリス先輩の婚約者です。どうぞよろしくお願いします」
おっと、この子が噂のヴェルナー君か。
初等部1年にあるまじき凛々しい顔立ちをしているし、将来はヴュルテンベルク公爵家の当主だし、優良物件を引いたね、イリス。
と思ったのだが、イリスは無言だ。
それもそうか。人見知りしまくるイリスが婚約者と言われても緊張するばかりだろう。友達から始めましょうをすっ飛ばしていきなり結婚しましょうだものね。人見知りなイリスには厳しいよ。
「よろしく。私はイリスの従姉のアストリッド。気軽に話しかけてね」
「はい。どうぞお願いします」
しかし、ヴェルナー君もイリスを見ると頬が僅かに赤くなっていた。ふたりの男子を落とすとはイリスは魔性の女なのではないだろうか?
「イリス。まだヴェルナー君とはお喋りできそうにない?」
「はい。失礼なことを言ってしまうかもしれませんし……」
イリスの人見知りは深刻だな。
「大丈夫、大丈夫。私が付いてるから。ヴェルナー君と話してみよう。婚約者なんだから仲良くしておかないといけないし、どんな人かを知るのも重要でしょう? イリスも全然知らない人と結婚するより、友達と結婚する方がいいでしょう?」
「私はいっそお姉様と結婚したいです」
気持ちは嬉しいけど、流石にイリスとは結婚できないよ。私もしたいけれど。
「さあ、話してみようよ。お姉ちゃんが付いてるから」
「分かりました!」
イリスは気合を入れて、席から立ち上がる。
「ヴェルナー君。ちょっといいかな?」
「なんでしょうか、アストリッド先輩」
私が声をかけるのに、ヴェルナー君が反応する。
「私とイリスの3人で、お喋りしない?」
「いいですね。僕も婚約者とは親交を深めておきたいですから」
ヴェルナー君はそう言ってにこやかに微笑んだ。
「イリス先輩。学園はどのような感じですか?」
「悪くないです……。お姉様と一緒に過ごすことができますから……」
ヴェルナー君が尋ねるのに、イリスが囁くような小声でそう返す。
「僕も学園になじめるといいのですが。イリス先輩がアストリッド先輩と一緒に過ごすことで学園生活を楽しんでいるように、イリス先輩と一緒なら、乗り越えられそうなきがしますよ」
ヴェルナーはなんとも流暢に口説いている。イリスの顔は真っ赤だ。
「ヴェルナー」
そこで不意に声が掛けられた。ディートリヒ君だ。
「君がイリス先輩の婚約者なのか?」
「そうですよ。ヴュルテンベルク公爵家とブラウンシュヴァイク公爵家を結びつけるために私たちは結婚するのです」
「政略結婚か」
ヴェルナー君の言葉にディートリヒ君が吐き捨てるようにそう告げた。
「イリス先輩はそのことに納得しているのか?」
「もちろんです。そうでしょう、イリス先輩?」
うわっ! ひょっとしてこれはイリスの奪い合い!?
しょ、小学1年生なのに今から女の子の奪い合いとは……。この世界はいろいろとレベル高いな……。私が前世で小学生だったときとは大違いだ……。
「えっと、その、婚約はお父様が決めたことだから……」
イリスは言葉に詰まって私の背中に隠れてしまった。
「君の婚約者は結婚に前向きではないようだな」
「そんなことはない。君が妙なことを言い出すから萎縮しているだけだ。この結婚は君が考えているよりずっと重要なものなのだからね」
「爵位が目当てか。浅ましい」
おいおい、君たち……。その肝心のイリスが私の背中で震えてるんだけど。そこに気付こうよ。小さな女の子が怯えているんだよ?
「いいだろう! 君に決闘を申し込む! 私が勝ったら、君には身を引いて貰う!」
「受けて立つ! イリス先輩は僕の婚約者だ!」
あちゃー……。とうとう喧嘩になっちゃったよ。イリスが一言言えば治まるんだろうけど、イリスは人見知りだからな。
というか、これは止めた方がいいのでは? 喧嘩じゃなくて決闘とか言ってるし。怪我したら上級生の監督責任とか言われない? 大丈夫?
アドルフ! 暢気に眺めてないで弟を止めるんだ! フリードリヒも皇子として止める義務があるだろう! 一体全体このサロンは常識が通用しないのか! まともなのは私だけか!
「ふ、ふたりとも、怪我したら危ないからそういうのは控えようね?」
「いえ。ここはやらなければ帝国男子としての名が廃ります!」
私が止めようとするのにヴェルナー君が一言。
帝国男子の名が廃るって君は侍かなにかなの? 切腹するの?
「表に出よう。ケリをつける」
「ああ。いいだろう」
わーっ! 本当にやるつもりだ!
「アドルフ様! フリードリヒ殿下! 初等部の子たちが決闘とか言い始めてるんですけど! 止めなくていいんですか!?」
おい、保護者ども! 仕事しろ!
「6歳児の決闘だろう? そう大したことにはならんだろう」
と、アドルフ。
「まあ、彼らも自分の名を賭けて対峙するわけですから、外野がどうこういうのも」
と、フリードリヒ。
本当に使えない保護者どもだなっ! 特にアドルフ! お前の弟だろ!
「じゃ、じゃあ、お姉さんが立会人になるからね。怪我しないようにしようね」
「怪我など恐ろしくありません」
私が怖いの! 上級生の監督責任とかあるでしょう!
「ささっ。お姉さんと外に行こうね。怪我したらブラッドマジックで治してあげるけど、無茶はしないようにね。これからのお友達と怪我させあったら、円卓でも居心地悪いでしょう?」
私は逸るふたりとイリスを率いて、学校の中庭に向かった。
ベルンハルト先生は教育実習生時代にこういうのをこなしてたんだろうなー。それはげっそりするわけですよ。私は何があっても学校の先生にだけはならないぞ。
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「では、ルールを説明するよ」
問題児のディートリヒ君とヴェルナー君を中庭に連れ出した私が告げる。
「ふたりはサーベルとかは持ってないし、このお姉さんが用意したゴムの剣を使ってね。これなら当たってもそこまで酷い怪我にはならないから」
私は土のエレメンタルでゴム弾のゴムの部分に使っているゴムよりやや柔らかいゴムの剣を作った。これならよほど当たり所が悪くない限り平気なはずだ。
「これでは真剣勝負になりません!」
「気の持ちようだから、気の持ちよう」
サーベルとか取り出された日には全力で止めるよ。びんたしてでも止めるよ。流石の学園も生徒に帯刀を許可するような無法地帯じゃなくてよかった。
「で、これで相手の体に先に一発入れた方が勝ちね。ただし、顔面を狙うのは絶対に禁止だよ。分かったかい?」
「これでは決闘とは……」
私の説明したルールにディートリヒ君もヴェルナー君も不満そうだ。
「このルールが守れない人はイリスと話させてあげません」
「!?」
だが、ここは断固として私に従って貰う。怪我とかして欲しくないし。後で先生たちに何を言われるか分かったものじゃないし。ヴュルテンベルク公爵家からも、ヴァレンシュタイン家からも怒られるのは先輩である私たちだ。
少しでも皇室に逆らえる戦力が欲しいのに、ヴュルテンベルク公爵家を敵に回したくはない。イリスが嫁いだら、ヴュルテンベルク公爵家も味方に付けられるはずだ。これでプルーセン帝国の大貴族たちがオルデンブルク公爵家を助けるために立ち上がってくれる……はずである。
「アストリッド先輩。魔術は使っても構わないのですか?」
「いいよ。その代わり命に係わるような魔術は使ったらダメ」
まだ初等部1年生の子なら、使える魔術も限られているだろう。
「では、位置について」
私は日光の向きなどを考えて、お互いが平等のコンディションで戦える状況を整える。後であれはずるかったとか言い出されると、私の胃袋が痛くなるから。
「いざ尋常に、始め!」
私が号令を下すと同時にふたりが動いた。
早かったのはディートリヒ君だ。流石は騎士団長の息子なだけはある。一気にヴェルナー君との距離を詰め、横薙ぎにゴム剣を振るう。
だが、ヴェルナー君も負けていない。ヴェルナー君はディートリヒ君の斬撃を受け止めて、そのまま受け流し、姿勢を崩そうとする。
ディートリヒ君は攻撃を受け流されたものの、すかさず態勢を整えなおし、ヴェルナー君が叩き込んできた一撃を紙一重で回避する。
……君たち、本当に小学1年生? なんか剣豪の魂とかインストールされてない?
ふたりの攻防は続き、私はふたりが怪我しないかあわあわ、イリスも一緒にあわあわしていたときにヴェルナー君が攻撃にでた。
「風よ!」
初歩的なエレメンタルマジックだが、威力はそれなりだ。暴風が吹き荒れ、ディートリヒ君の姿勢がぐらつく。
そこをヴェルナー君が追撃。
勝負は決まったかと思われたが──。
「はあっ!」
ディートリヒ君がありえない跳躍をして見せて、ヴェルナー君の攻撃を回避した。
まさか、ブラッドマジックか?
「ちっ。炎よ!」
うわっ! 命に係わる魔術はダメだって言ったのに、ヴェルナー君が火のエレメンタルマジックを行使した。馬鹿か、君は!
と思ったが、炎はディートリヒ君の背後で燃え盛るだけで、ディートリヒ君そのものには直撃していない。逃げ場をなくすのが目的だったようだ。
「水よ!」
続けざまにヴェルナー君が水のエレメンタルマジックをディートリヒ君に叩き込み、足場を濡らす。
「はあっ!」
「このっ!」
そして、ヴェルナー君とディートリヒ君が交錯。
「くうっ……」
私の作ったゴム剣はふたりの体に命中していた。ディートリヒ君も、ヴェルナー君も同時に攻撃を命中させた。
「判定! 引き分けです!」
「ええっ!?」
私が声を上げるのに、ふたりが驚いたような表情をする。
「僕の剣の方が先に当たりましたよ!」
「私の剣の方が先だった!」
うんうん。ここら辺はお子様メンタルでお姉さん安心するよ。
「いいえ。同時でした。立会人の私が言うんだから間違いない。イリスも同時だったの見たよね?」
「は、はい! 同時でした!」
イリスがそう告げるのに、ヴェルナー君とディートリヒ君も露骨に肩を落とす。男子として格好いいところを見せたかったのは分かるけれど、まだまだ君たちはお子様だ。
「どれどれ。ゴムの剣だったとしても当たったらとっても痛かったでしょう? あざになってない?」
「い、いえ。大丈夫です、先輩」
私がディートリヒ君のゴム剣を受けた場所を見ようと上着を脱がすのに、ディートリヒ君があわあわと抵抗する。お姉さんは流石に小学1年生の裸体を見て興奮するようなショタコンじゃないから安心しなさいって。
「わっ! やっぱりあざになってる。今治してあげるね」
ヴェルナー君は加減なしでぶん殴ったらしく、見事なあざが。これを親御さんがみたらいじめを疑われてしまう。証拠隠滅しておこう。
私は治癒のブラッドマジックでディートリヒ君のあざを治す。最近の私はよく人のあざを治してるな……。
「はい。これで大丈夫。もう痛くない?」
「最初から痛くはありませんでした。ですが、その、ありがとうございます……」
ディートリヒ君は赤面しながらそう返した。
無理やり小学1年生の服を脱がして、そこで赤面されると、私が犯罪者のようになるからやめて……。
「さて、ヴェルナー君も見ておこうね」
「だ、大丈夫ですから! 特に痛みはありませんから!」
暴れるヴェルナー君を押さえつけて上着を脱がすと、やっぱりあざが。これはディートリヒ君のより酷いな。さてはブラッドマジック使ってぶん殴ったな。まだ小学1年生なのに危ないことをする。
「はいはい。治療、治療と」
私はディートリヒ君を癒した要領でヴェルナー君も治療。ついでに体内に損傷を受けていないかをチェックしておく。ブラッドマジックを使って殴られたら、内臓にもダメージ行ってるかもしれないし。
「よし。オーケー。問題なし」
「あ、ありがとうございます、先輩」
だから、君も赤面してないでおくれ……。
「イリス先輩」
治療を終えたヴェルナー君がイリスに話しかける。
「失望されましたか? 勝利できずに……」
「い、いえ。それよりもこれからはあまり喧嘩はしないで欲しいです。その、私はお姉様みたいに優しい人が好きですから……」
ヴェルナー君が尋ねるのに、イリスがもじもじとそう返した。
「分かりました。僕もアストリッド先輩のようになります。だから、どうか失望なされないでください」
「はい……」
くうっ。小学生の時からイチャイチャして! 私なんて相手がいないんだぞ!
はあ。でも、問題解決してよかった。イリスもこれを機にヴェルナー君とお話ししてくれるといいんだけどね。
しかし、イリスを手に入れられなかったディートリヒ君は可哀想に……。
まあ、でも、君ぐらいの器量がよくて、魔術の才能がある子なら、女の子が放っておかないからファイトだ、少年!
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