悪役令嬢ですが、図書館の姫君って誰?
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──悪役令嬢ですが図書館の姫君って誰?
授業が終わると私はブラッドマジックを使ったダッシュで教室や野外実習場を飛び出し、図書館棟へダッシュする。この時の私に迂闊に衝突すると轢き殺されかねないので十二分に注意して欲しい。
図書館は初等部から高等部まで共用のスペースである。
なので、初等部の私でも高度な魔術について触れられるのだ! やったね!
私が今関心を持っているのは脳の操作について。
ブラッドマジックを使えば、脳をいじくれる。それは私が理想とする結果をもたらす魔術を開発できるチャンスでもあるのだ。
とはいえど、脳の操作は非常に難しいのかなかなかいい書籍が見当たらない。私はとりあえずブラッドマジックで脳を弄った例を記した文献から目ぼしい項目をメモして、纏めておく。
こうすれば後で学士や修士、博士の方々が研究されている論文を読んでも理解できるってものだ。論文を読み解くにはまず前提知識をちゃんと手に入れておかなければ。
基礎と言えばブラッドマジックの勉強の基礎についても勉強している。
4歳児の時はブラッドマジックはヴォルフ先生が持ってきてくれた文献以外はほとんど体感で学んでいた、だけど、こうして文献に頻繁に触れる機会が生まれたからには、理論としてちゃんとブラッドマジックを理解しておきたい。
エレメンタルマジックは今のところ授業中に勝手に研究できるので棚上げ。
ブラッドマジック──。
かつて、それは本当文字通りに血の魔術であった。血を媒体して発動する呪いの魔術。相手の精神を狂わせ、体を崩壊させ、周囲を血塗れに変えることのできる忌み嫌われた魔術である。
だが、やがてそれを呪いではなく、癒しの魔術として使うものや、己の身体能力を高めるために使うものが現れて、ブラッドマジックは薄暗い領域から輝かしい表舞台へと躍り出ることになった。
基本その一。
ブラッドマジックは己の血を媒体とするか、接触していないと発動しない。これは他人にブラッドマジックを行使する場合にも同様である。だから、ヴォルフ先生はいつも私にブラッドマジックを使う時には手を握っていた。
基本その二。
ブラッドマジックは肉体──血の中を巡る魔力によって行使される。魔力を巡らせるというのは私が銃で行っているようなものだが、血は魔力を通すのに非常に優れた媒体で、水だと全魔力の内の500分の1しか制御不能な魔術も、体内ではほぼロスなくコントロールできる。
……これを聞いて私は撃針に血を含ませることをノームのおじさんに話したのだが、すげなく断られた。そんなおぞましいものは作れん! だそうで……。
基本その三。
ブラッドマジックはブラッドマジックによって防げる。
これは非常に重要だ。
ブラッドマジックの中には自分の身を守る防壁を作るものがあり、それを使えば相手の術式が自分の術式を上回っていない限り、ブラッドマジックによる肉体の変性を防ぐことが可能だ。
私はこれを目にしてから、この項目について勉強しまくった。
だって、現代兵器で無双ができるかもしれないけれど、ブラッドマジックの呪いによって肉体を直接攻撃されたら耐えられないじゃないか。それは望ましくない。私の考えている技術が完成すれば、矢や剣など敵ではなくなるが、どこに潜んでいるかも分からないブラッドマジックを使われたら敗北だ。
ということで、私は私なりにブラッドマジック防壁を完成させましたー。いえー!
これは基礎的なブラッドマジックに加えて、接触してきた相手に送り込まれ来たブラッドマジックを自動的にお返しするという術式によってなっている。いわゆる、攻性防壁って奴かな? うーん。サイバーパンクは嫌いじゃないよ。
テストしてみたいのだが、いい相手がいない。
初等部のみんなはまだブラッドマジックのブの字も習ってないし、ヴォルフ先生に迷惑をかけるのもあれだし。どこかで暇そうな先生を探して軽いブラッドマジックをかけて貰おうかなー。
「君」
私が本を読みながらブラッドマジックの術式を弄っていると、声が掛けられた。
「君、初等部の子だよね? それ読んで分かるの?」
相手は高等部の制服を着たお兄さん方3名。
「ちょっとだけ分かりますよ。完全には分かりません。私は知の盲人です故」
「は、はあ……」
驕ってはいけない、アストリッド。謙虚でいなければ。傲慢はお家取り潰しフラグが立ちかねない要素だぞ。
「それなら、ちょっと問題出してみよっか。ブラッドマジックによる最初の呪殺を成し遂げたのは?」
おや。さては、初等部のちびっ子を苛めて楽しむつもりだな、このお兄さん方。
「エリアス・フォン・エンゲルハルト。大陸暦1012年に己の血を使ったブラッドマジックで第12代プファルツ選帝侯マクシミリアン1世を暗殺。これは北部ライヒ統一を目指す当時のプルーセン王レオポルト1世の命で行われた暗殺であった。そして、使われたブラッドマジックは体内の血液を硬化させるもので、今では禁呪となっている、と。こんなところですか?」
ふふん。文系だから歴史を覚えるのは得意なのだ。
「え? 暗殺されたのってマクシミリアン1世なの? 俺、試験でオットー2世って書いちゃったんだけど……」
「それは有名な暗殺だけど最初のブラッドマジックによる呪殺じゃないぞ。最初は初等部の子が言うようにエリアスによるマクシミリアン1世の暗殺だ」
試験の答え合わせだったのかな? 間違ったお兄さんはご愁傷さまです。
「なあなあ。なら、ブラッドマジックで癒しの術式を完成させて、それを広げた有名な人物って誰だ?」
「ヨーゼフ・ユンガー。大陸暦1214年に戦争により足の切断された人物の治療をブラッドマジックで成し遂げる。その後はこの術式が多く広まり、ブラッドマジックは癒しにも使えるという認識が広まる。今のユンガー・シュライデン研究所のユンガーはこの方の名前から取られています」
癒しの魔術も覚えておきたいな。切り傷程度を治す魔術はヴォルフ先生から教わったけど、運命に立ち向かうときはもっと大けがするかもしれないし。
「凄いな。全部正解だ。君、本当に初等部の子?」
「ええ。そうですよ」
歴史を学ぶのは楽しいからね。ついつい脱線して歴史を追いかけたりしているんだよ。本当はもっとブラッドマジックの効果を高めて、かつエレメンタルマジックによる現代兵器技術の実現を目指さなきゃいけないのに。
「あ。ひょっとしてその赤毛はオルデンブルク公爵家の……?」
「はい。アストリッドといいます。どうぞ、よろしくお願いします、先輩方」
私は赤毛で判断されているのか。この赤毛、本当に赤いからな。目立つよな。
「どうりで。オルデンブルク公爵家の令嬢は魔術の天才だって噂だものな」
え? そんなに噂になってるの? 初めて聞いたんだけど?
「よかったら、この課題手伝ってくれないかな? 俺たちじゃどうしても解けなくて」
「い、いいですよ。その代わりお願いがあるんですけどいいですか?」
まさか高等部の生徒の面倒まで見ることになるとは。
だが、これはいい機会。高等部でどんな勉強してるのか分かるし、それに──。
「私に軽く何か目立った効果があるブラッドマジックをかけて貰えませんか? くしゃみするとか、涙が出るとか、そういうのを」
「へ?」
私の言葉に高等部の先輩方がぽかんとした表情を浮かべる。
「くしゃみが出る奴ならやれるけど、本当にいいの?」
「いいですよ。防壁のテストをしたいので。けど、気をつけてくださいね。自分の身に返ってくるかもしれませんから……」
よし。これで防壁の実戦テストが行えるぞ。
「じゃあ、軽く」
先輩は私の手を握るとブラッドマジックを流し込む。
おっ? 他人の魔力が体に入ってくる感触がするぞ。これがどうなるか──。
「はくしょん!」
私にブラッドマジックをかけようとした高等部の先輩は大きくくしゃみした。
「な、なんだ、この防壁? 跳ね返ってきたぞ?」
「私の特製ブランド防壁です。さて、私の課題も手伝っていただけたので、そちらの課題もお手伝いしますよ。どれから取り掛かります?」
攻性防壁成功! だが、油断は禁物だ。これは軽い魔術だったから跳ね返せただけかもしれない。もっと高度なブラッドマジックは私の防壁を貫いてくるかも。
日々鍛錬を続けなければ。
と、思いながら私は高等部の先輩方の課題を見る。
ふむふむ。高等部ともなると歴史も勉強しなくちゃいけないんだな。これは得意分野だからいいけれど。しかし潜在魔力量の計測とその魔力出力の計算とかはもろに理系だ。これは難しいぞ。
私はヴォルフ先生から教わったことと自ら学んだことを活かして、高等部の先輩方の課題を片付けるのを手伝ったのだった。
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「アストリッド様、アストリッド様」
と、子犬のように駆け寄ってくるのはミーネ君だ。
随分と仲良くなったと思うのだが、まだ様付きでしか呼んでくれない。
「どうしたの?」
「図書館の姫君の噂、お聞きになられました?」
図書館の姫君? 私、毎日図書館に通ってるけどそんな人みたことないぞ。
はっ! これはひょっとして……。
「ミーネ。私は怖い話は苦手だから勘弁して」
「え? か、怪談話じゃないですよ!」
あれえ? てっきり、夜中になると図書館には……的な話かと思ったんだけど。
「なんでも図書館にとても美しくて聡明な方がいらっしゃるそうなのです。その聡明さたるや学士の方が教えを請い、その美しさたるや誰もが姫君と呼ばずにはいられないものだとか。私、あまり図書館にはいかないんですけどそんな方がいらっしゃったんですね」
「うーん。私、毎日図書館通ってるけど、そんな人一度も見たことないよ? 何かのデマじゃない?」
そんな美しくて、聡明な人がいたら私はお友達になってる。
「そうなのですか? 私、一度でいいからそのような方を見てみたかったのですが」
「なら一緒に図書館に行く? そんな人いないって分かると思うけど」
図書館は私の縄張りだ。姫君とやらがいれば、即座に察知できるはずである。
「よろしいのですか? お邪魔になったりしませんか?」
「いやあ。大丈夫、大丈夫。あの図書館、蔵書凄くて退屈しないと思うよ。初等部向けの魔術入門書や小説もあるしさ。たまにはミーネも図書館行ってみるといいよ。あそこは楽しい場所だよ」
あの図書館、学校の図書館とは思えないぐらい蔵書量が半端ないんだよね。初等部の本当に幼い子向けの絵本もあるし、かと思えば高等部も学士に入る人向けの高度な書籍も並んでるし。
まあ、それでも姫君なんてのはいませんがね。
「じゃあ、次の休み時間に行ってみよっか。ミーネは風のエレメンタルが苦手だったみたいだから、風のエレメンタルを理解できる本を紹介してあげるよ」
「はわっ! ありがとうございます!」
私もヴォルフ先生に魔術教わった時にいろいろと本を借りて読んだので、人に紹介できるくらいの読書量はあるのだ。本を読むのは嫌いじゃないしね。ただし、数学の教科書は除く。あいつは怖い。
ということで、ミーネ君と一緒に図書館に行ったのだが、図書館の姫君とやらは見当たらなかった。毎度のように高等部の先輩方の課題を手伝う代わりに、高等部の授業内容を聞き出し、ブラッドマジックについて調べて終わった。
やっぱり噂は当てにならないな。
「やっぱりいなかったでしょ? 図書館の姫君とか?」
「わわわっ……。そ、そうですね……」
何故かミーネ君が私の方を見て、頬を赤らめていた。
浮気はいかんぞ、ミーネ君。君の本命はアドルフだろう。その初等部向けの風のエレメンタルを学ぶ本を読んで精進するんだぞ。
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本日21時頃に次話を投稿予定です。