悪役令嬢と決着の時
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──悪役令嬢と決着の時
ついに、ついにこの日がやってきた。
エルザ君の面倒くさいおじいちゃんが死んで、エルザ君がフランケン公爵家のご令嬢だと認められ、ついにフリードリヒとゴールインする日である。
問題はなし? オーケー。何も問題はない。
エルザ君へのいじめは抑えたし、恨まれるようなこともしていない。
これで破滅フラグは全て回避されたはずだ。なので安心していいはず……。
安心できないー! 何かあるんじゃないだろうかと私は心配でならないよー!
はあ。落ち着け、アストリッド。
本当に問題はないはずなんだ。エルザ君はフリードリヒ一直線で攻略していったし、その妨害も一切私はしていない。エルザ君に敵意を持つミーネ君たちの反乱もきちんと押さえておいた。
問題はない。問題はない。問題はない。
問題はないはずなんだ……。
「アストリッド?」
「は、はひっ!? わ、私は何もしてませんよ!?」
「……大丈夫ですか?」
フ、フリードリヒの野郎! 脅かしやがって!
いいさ、いいさ! もし、破滅フラグが立っていてもそれをなぎ倒すだけの戦力は整えてある! 帝国が私を抹消しようというなら、抗うのみだ! 来やがれ、プルーセン帝国軍! 私が血の海にしてやる!
と強気でいるのだが、本当に勝てるのかなー。
一応オストライヒ帝国は滅ぼしているけど、プルーセン帝国は滅ぼしちゃダメなんだよな。半殺しというか私が起こす反乱を鎮圧する側だけを殲滅しなきゃいけないんだよな。そんなに簡単に行えるものだろうか。
難しい……。国内に遺恨を残すことなく、皇室と皇室派の諸侯を殲滅しなければならないのだ。それはもう凄い大虐殺になるだろう。オルデンブルク公爵家という名は血文字で歴史に記されることになる。
それに加えてメリャリア帝国とフランク王国の介入を未然に防いでおかなければならない。先のシレジア戦争でプルーセン帝国にはやべー奴がいるぞって噂は広まっただろうけれど、それだけで果たして介入してこないだろうか。
うーん。参った。いざとなると不安が残る。覚悟はしてたつもりはあるんだが。
「フリードリヒ殿下。間違っても私を恨まないでくださいね」
「何のことです?」
逆恨みは御免だよ!
そして、エルザ君がフランケン公爵家のご令嬢だと学園の生徒に明かされたのはこの日の放課後のことだった。
そう、ついにエルザ君の面倒くさいおじいちゃんが死んだのだ。
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「ア、ア、アストリッド様! お聞きになられましたか!?」
「まあ、落ち着きたまえよ、ミーネ。ささ、お茶でも飲んで」
私は放課後、真・魔術研究部の部室に突入してきたミーネ君にお茶を注ぐ。
「ありがとうございます、アストリッド様」
「今日の茶葉はうちの執事さんお勧めの茶葉だよ。気分の高ぶりを抑える効果があるそうだからね」
「……なんか前にもこんなやりとりをしたような……」
「気のせい、気のせい」
実を言うとアドルフとエルザ君が接触したときと同じ方法です。
「って、そうですわ! あの平民だと思っていた子が実は公爵家のご令嬢だったそうですわ! わ、私としたことがこんなことに気付かなかったなんて!」
「まあまあ。私も気づかなかったし、ミーネ以外の人もそうだと思うよ」
今頃ロッテ君たちも顔色を悪くしていることだろう。彼女たちもエルザ君のことをすっかり平民だと思い込んでいたようだからね。というか、一番びっくりしてるのはエルザ君本人だろうな。
「しかし、アストリッド様は実は分かっておられたのでは? 最初からあのエルザ──様には丁寧に対応されておられましたし。私たちがいくら罵声を上げようとしても、きちんとおさえてくれましたし」
「どーだろーね!」
ふふふ。今日の日のために私は必死に努力してきたのだよ! ミーネ君たちはエルザ君の怒りを買わずに済んだことを私に感謝して! 滅茶苦茶感謝して!
「流石はアストリッド様ですわ。あの平民のようだった子から公爵家令嬢の血筋を察しておられたなんて。そういえば最初からアストリッド様はあの子は特別だと仰っておられましたものね」
「いやあ。私ほどの貴族ともなると造作もないことよ」
「流石です、アストリッド様!」
問題も起きていないみたいだし、万々歳だな。やったぜ!
「アストリッドさん」
ミーネ君の次にはロッテ君たちがやってくると思ったのだが、来たのはベスだった。
「なになに。ベスも私のことを褒めたたえにきたの?」
「いいえ。全く違います」
「そうですか……」
まあ、ベスは事情を知ってるしね。
「で、私に何か用事?」
「ええ。重要な用事です。内密に話したいので来ていただいていいですか?」
「いいけど……」
な、なんだろう。ここに来て何か不味い地雷を踏んでいただろうか。
私はベスがてっきり外で話すものだと思っていたのだが、ベスは部室棟を出て、そのまま学園の外にまで出ていった。その上、馬車にまで乗ったっ!?
「ど、どこに行くの、ベス? まさか私を処刑するつもり?」
「何故そうなるのです。思い当たる節でもあるのですか」
「い、いや、全くないよ」
ベスが冷たい目で見てくるのに、私がふるふると首を横に振る。
ふるふる。私、悪い悪役令嬢じゃないよ。
「着きました。ここならば安全です」
ベスが馬車を降りたのは帝都ハーフェルの高級住宅地区にあるひとつの家屋だった。地方貴族が帝都に構える家屋らしく見えるが、なにやら妖精が多い。
「ベス。なんか妖精が多いけど」
「見張りです。ないよりましという程度ですが」
妖精を見張りにするのかー。私の妖精たちは主の危機だというのに、お菓子食べてぐっすり眠っているよ。まあ、いつもイリスの監視を頑張って貰っているロートとゲルプはともかく、ブラウは起きなさい。
「失礼します。準備は?」
「できています、エリザベート上級執行官殿」
ベスが入り口の軍服姿の人に話しかけるのにその人が頷いて返した。
な、なにやら不味い予感がするぞ……。
「さて、アストリッドさん。そもそも最初に明らかにしておくべきだったのですが、あなたはどこでエルザさんがフランケン公爵家の子女だという情報を手に入れたのです?」
「だから、前世の知識があるって言ったじゃん! 私は前世でこの世界のことを知ったんだよ! だから、そんな変人を見るような目でみないで!」
ベスの目の温度が今日は10度くらい低い気がする!
「魔女協会側からもたらされた情報ではないのですね?」
「へ? いや、セラフィーネさんたちは関係ないけれど……」
何故ここで魔女協会が出てくるのだろうか。
「昨日判明したことですが“鮮血のセラフィーネ”がフランケン公爵家の元当主オットーと盟約を結んでいたことが判明しました。エルザさんの件で既にその可能性はあったのですが、盟約となると何をするか分かりません」
「めーやくって何?」
「魔女たちから何も教わっていないのですか?」
「ないよ?」
知らないよ。何それ。
「盟約とは種族としての“魔女”に変化した人間が行う行為です。他者の体の一部──主に内臓を魔女に提供することで、魔女はその他者の願いを叶えるというものです。一種のブラッドマジックであると考えられています」
「何それ怖い」
内臓なんていらないよ……。貰ってどうするのさ……。
「でもさ、それってエルザ君をホムンクルスにしたときの願いじゃないの?」
「解剖の結果、臓器はふたつなくなっていたのです。腎臓と肝臓の一部が」
「つまり願い事はふたつ、と」
エルザ君の面倒くさいおじいちゃんは一体セラフィーネさんに何をお願いしたんだ?
「あっ! 病気の治療とか?」
「病気は治療された痕跡がありません。そして、これは城の使用人の証言ですが、娘から生まれた忌み子を殺せとオットーは何度もつぶやいていたようです」
「え。もしかしてそれってエルザ君の……?」
「可能性としてはそう考えられます」
あー! エルザ君のめんどくさいおじいちゃーん! お前は最後の最後まで面倒くさい奴だな! もううんざりだよ! 地獄があるならそこに落ちろ!
「つまりセラフィーネさんがエルザ君を殺しに来るの!? どうするの!? 勝てる相手なの!? ベスなら大丈夫だよね!?」
「分かりません。相手は“鮮血のセラフィーネ”です。文字通り、ブラッドマジックの最高位の術者にして、2000年近く生きている化け物です。それに……」
「それに?」
ベスが視線を俯かせる。
「我が祖先であるエリアス・フォン・エンゲルハルトに吸血鬼化のブラッドマジックを教えたのがあの女なのです。我が家の呪われた系譜の始まりはあの女の言葉から始まっているのです」
セラフィーネさんが凄い人だとは思っていたけれど、そこまでとは……。
「アストリッドさん。あなたは本当にもう魔女協会とは接触していませんね?」
「してないしてない。してたとしてもエルザ君を殺すなんてことには関わらないよ!」
私がなんだってエルザ君を殺すのさ! それはちょっとは考えたけどさ!
「安心しました。では、我々に協力を願えますか? あなたの魔術があればセラフィーネを迎撃することも不可能ではなくなるかもしれません」
「そうなの? 私のブラッドマジックの防壁って簡単に抜かれるザルですよ?」
「その点は私が教えますので安心してください」
おー! ベスがブラッドマジックを教えてくれるとは心強い。
「では、いいですね。相手は大魔女です。災厄に指定されるような怪物です。本気で殺らなければ、逆に殺られます。アストリッドさんは全力で対処してください」
「りょーかい!」
セラフィーネさんにはいろいろと恩義があるけれど、エルザ君を殺そうとするなら容赦はしないよ。エルザ君は私の友達でもあるのだから。
「ならば、決まりです。なんとしてもエルザさんを守りましょう」
「うん。そうしよう!」
こうしてセラフィーネさん対策会議が始まった。
セラフィーネさんは相当なお尋ねものらしく、相当な数のローゼンクロイツ協会のメンバーが集められることになっていた。
果たして私たちはセラフィーネさんに勝てるのだろうか?
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ベルンハルト・フォン・ブロニコフスキーがブラウンシュヴァイク公爵家の屋敷に呼ばれたのはその日の夕刻のことだった。
突然の呼び出し、かつ自分の担任ではないブラウンシュヴァイク公爵家からの呼び出しにベルンハルトは些か困惑したものの、相手は公爵家である。呼び出しを無視するわけにもいかずに、渋々とブラウンシュヴァイク公爵家に顔を出した。
「やあ、ベルンハルト君。私の姪のアストリッドが世話になっているね」
「いえいえ。彼女には助けられています」
正直なところを言えば当初はかなりの問題児だった。だが、今ではそれすらも懐かしく感じる。今では立派に級友との仲を取り持ち、自分の志を持って生きている彼女に、ベルンハルトは強い親しみを覚えていた。
それが決して抱いてはならぬものだとしても。
ベルンハルトが教師になろうと思ったのは、たまたまだった。家柄は子爵家なものの次男であり、家を継ぐことのないベルンハルトが生計を立てるのに、学園の教師の職は魅力的に映った。
それからローゼンクロイツ協会からの勧めでもある。彼らは──というよりエリザベート・ルイーゼ・フォン・エンゲルハルトは、ベルンハルトが学園で災厄に該当しそうな生徒を見つけることを要望していた。
だが、その災厄に該当する生徒──竜殺しの魔女アストリッドがいると分かった時、彼はローゼンクロイツ協会に連絡はしなかった。
「君はアストリッドに好意を持たれているようだね、ベルンハルト君。それは教師と生徒としての関係だろうか?」
「ええ。そうでしょう。それ以外のものではありませんよ」
「本当にそうかね?」
ブラウンシュヴァイク公爵の口ぶりは既に理解しているようなものであった。
「……正直に言えば、男女としての関係を求めていたかもしれません。ですが、彼女と私の間にはいろいろと壁がありますから」
アストリッドが公爵家令嬢でなければ、ベルンハルトが子爵家の次男でなければ、年齢差が10歳もなければ、独り身のベルンハルトはアストリッドに求婚していただろう。
「その壁の一部が取り除けるとしたら、君はどうするかね?」
「彼女を愛するでしょう」
ブラウンシュヴァイク公爵が尋ねるのに、ベルンハルトは迷いもなくそう返した。
「なるほど、なるほど。これは姪が君を好ましく思うはずだよ。なあ、パウル?」
ブラウンシュヴァイク公爵が小さく笑いながらそう告げたとき、扉が開きそこから姿を見せたのは──。
「オルデンブルク公爵閣下!?」
アストリッドの父親であるオルデンブルク公爵──パウル・ハンス・フォン・オルデンブルクに他ならなかった。
「君の気持ちは理解した。私の娘も頑固なもので苦労しているのだが、原因は君にあるようだな、ベルンハルト君」
「い、いえ。そのようなことは……」
「構わない。冗談だ。あの子は昔から我の強い子だったからね」
パウルがそう告げるのにベルンハルトはほっと胸を撫でおろした。自分が婚約を蹴ってはどうかと告げたことは知られてはいないようだと。
「どうやら我々に選択肢はなさそうだ。だが、我々は貴族だ。家柄を重んじる。特に我々公爵家はな」
「でしょうね」
公爵家と子爵家では歴史が違う。
「そこで君に解決策を提示したい。君が納得するならば、私たちも安堵できる解決策だ。どうだね。聞いてみるかね?」
パウルがそう告げるのに、ベルンハルトは静かに頷いた。
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