盟約の魔女
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──盟約の魔女
フランケン公爵家。
帝国貴族の中でもっとも皇室に近い血筋を持つこの家の主オットー・ハインリッヒ・フォン・フランケンはフランケンベルク城の自室で病に伏せっていた。
かなり重い病だ。肺を侵され、ブラッドマジックでも治療することができず、食事はおろか呼吸すら困難になることがあった。
息子が病にかかるのを恐れたオットーは城から息子夫婦を追い出し、自分だけで籠城するかのごとく城に閉じこもっていた。
死を待つだけの老人に客人など訪れるはずもない。
そのはずであった。
「酷い有様だな、オットー」
少女の声が響く。少女のように細く、可憐でありながら、どこか歪な響きを感じさせられる声だ。その声が客人の来ないはずのオットーの部屋に響いていた。
「魔女……。セラフィーネ……。来たな……」
「まあ、15年振りか。無様だな。年老いて、病に侵され、醜く死んでいく。本当に無様なものだ。それが人間というものだったとしても。人間を辞めた身からは、醜く映るものだ」
「ほざけ、魔女……。げほっ、げほっ……」
年老いた老人を見下ろすのは魔女だ。
黒尽くめの服装に黒いローブを纏った14、15歳ほどの少女。
セラフィーネだ。あの魔女協会の古参の協会員にして“鮮血のセラフィーネ”という二つ名を持つ、魔女だ。人間であることを辞めて、不老不死の本当の“魔女”という種族になったもの。
「で、何の用だ? その崩れかけた体を元に戻してやることはできんぞ。そのまま老いと病で死んでいくだけだ。助かる道はない」
「儂の病がどうしようもないことはよく知っている……。よもや死ぬより他ないことはな。だが、思い残すことがある。娘だ。忌み子。呪われた娘。あれが生きていると聞いた。これはどういうことだ、魔女……?」
忌み子。呪われた娘。
それはエルザのことだ。ホムンクルスであり、息子夫婦の最初の子として生まれ、息子夫婦を離縁させるはずだった娘。ただそれだけのために作られた娘。それを呪われていると言わずして何というのだろうか。
「予想外のことが起きたようだな。だが、娘が生きていようといまいと、もうお前には関係ないだろう。どうせ、あれは死産として隠された。だから、お前は忌まわしい義娘と息子の仲を裂くことはできなかった」
「忌まわしい……。もっとも皇室に近い家系である我がフランケン公爵家の血筋を汚したあの娘の存在が忌まわしい。あの娘の産んだ忌み子も恨めしい。あの忌み子が幸せに暮らすなどあってはならないことだ。あの忌み子は死ななければならない……」
「死ななければならない、か。それが私に対する要望か?」
年老い、死にかけた公爵が告げる言葉をセラフィーネは怪し気な笑みを浮かべたまま聞いていた。
「あれは絶対に死ななければならない。盟約の魔女よ。今こそ盟約を果たせ。あの忌み子を呪い殺せ、魔女。あれは存在してはならぬ。必ず呪い殺せ。呪い殺せ。呪い殺せ。呪い殺せっ! げほっ、げほっ……」
「そう急くな。殺してやる。それなりに面白いものが見れそうだしな」
狂ったようなオットーの言葉にセラフィーネが怪しく笑う。
「私の弟子がどれほど成長したのか見てみたいものだ。それに仕掛けるならば、派手にいかなければな。もうじき、あの呪われた娘は結婚する。その式の場を血染めにしてやるのも悪くはなかろう」
セラフィーネはそう告げてオットーを見た。
「最後は楽に死にたいか、オットー?」
「ダメだ。儂が生きている限り、あの娘は平民の娘のまま。苦しむがいい。儂の許しを得ずしてコンラートはあれを自分の娘とも認められず、排斥されて生きていくのだからな。この儂を謀った罪を思い知るがいい……!」
「なら、好きにしろ。私は盟約の魔女。貴様は対価を支払った。ならば、私は貴様のために働こう。ああ。楽しみだ。楽しみでならん。全てがぶち壊される瞬間と自分が育てた弟子がどれほど私に抗うかを想像するとな」
オットーが血を吐きながら告げるのにセラフィーネはクルリと踵を返して、オットーの静まり返った部屋から出ていった。
「死を。忌み子に死を。フランケン公爵家の血筋を汚したものに死を……」
オットーは病で正常な判断ができないままに、怨嗟の言葉を吐き続けた。
その怨嗟が現実のものになると信じて。
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エルザ・エッカートにとってこの約3年は夢のようだった。
いけるとはとても思えなかった貴族ばかりの学園に通うことになり、そこで学ぶことになった。これもこれまで魔術を教えてくれた元宮廷魔術師のおじいちゃんのおかげだと思うと感謝してもしたりない。
だが、エルザは学園生活は厳しいものになるだろうと思っていた。
学園は気高い貴族ばかりの場所で、自分はパン屋の娘に過ぎない。
自分を育ててくれた両親のパン屋に誇りがないことはないが、その誇りは貴族の歴史ある血筋と比較すれば些細なものになってしまうことは理解していた。
きっといじめられるだろうと最初からそう考えていた。
しかし、そうはならなかった。
最初に仲良くなった学生はオルデンブルク公爵家の令嬢という立場にありながら、どこまでも親しみ深い人で、学園でのことをいろいろとアドバイスしてくれた。あの人は危ないから近づいちゃダメとか、こういう文房具はどこで揃えるといいとか。
今思うと自分がいじめられなかったのはあの赤毛の少女のおかげだと分かる。あの心優しい人がいたからこそ、自分は学園生活を満喫することができたのだ。だが、その分あの少女には迷惑をかけただろうなと罪悪感が湧く。
それでも学園生活が充実したものだったことは確かだ。
ちょっとした出来事から皇太子と知り合いになり、勉強会や学園でのイベントを通じてどんどん親しくなっていった。文化祭での演劇の観賞では、教養の足りない自分にいろいろと教えてくれたし、自分は料理研究部の料理が如何に凄いかを力説したりもした。
本来ならこんなことは許されるはずもないのに、エルザと皇太子はどんどん親しくなっていた。エルザは初めての恋に熱中した。皇太子の悩みの相談にも乗った。
皇太子は自分が本当に次期皇帝に相応しいのかを悩んでいた。だけれど、これほどまでに庶民に心優しい皇太子が皇帝に相応しくないなんてありえない。エルザは自分の思いつく限りの言葉で皇太子を励ました。赤毛の少女も恋を後押ししてくれて、エルザは本当に、本当に皇太子に夢中になった。
「あなたのためにならば皇位継承権を捨ててもいい」
いつの間にか皇太子とエルザは皇太子がそう告げるほどに親しくなっていた。
だが、エルザは戸惑った。
本当にこれでいいのか、と。
皇太子は絶対に皇帝になるべき人材だった。そのことに間違いはない。
しかし、自分と皇太子が結ばれるには、皇太子が皇位継承権を放棄する以外に道はなかった。貴賎結婚というものはそういうものなのだと、エルザはそこで初めてちゃんと理解した。
自分はあの親切な赤毛の少女に迷惑をかけていたように今度は皇太子に迷惑をかけているのではないだろうかとエルザは悩んだ。それでもつかみ取りたい恋があったとしても、本当に皇太子を犠牲にしていいのかと。
その悩みは何日も続き、ある日唐突にそれは訪れた。
「お前は本当は私たちの娘じゃない」
実の両親だと思っていた人たちにそう告げられ、紹介されたのはフランケン公爵家という物凄く歴史ある大貴族だった。
「待っていた。これまでずっと待っていた。ようやく迎えにこれた。これまで待たせていて本当にすまなかった」
コンラートと名乗ったフランケン公爵家の当主は涙を流しながらそう告げた。
いきなりのことでエルザは混乱した。これまでパン屋の娘だとずっと思っていたのに、実は公爵家の子女だった? あり得ないことのようで夢かと思った。だが、これは間違いなく現実だ。
実の両親も、育ての親もエルザを愛してくれているようだった。
だからエルザはこう言った。
「これまで本当にありがとうございました。そして、これからよろしくお願いします」
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