悪役令嬢と宰相閣下
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──悪役令嬢と宰相閣下
「へ? 宮廷からお呼びが?」
季節が着々と夏──そして期末テスト──に近づく中、私は何故か夕食の席でお父様にそう告げられた。
「そうだ。意図は分からん。シュテファン宰相がお呼びのようだが、侍従長も関わっているという噂もある。ひょっとするとお前とフリードリヒ殿下の婚約に関わることかもしれん。くれぐれも失礼のないようにな」
「えー……」
まだやる気なのかよ。勘弁してくれ。
「えーじゃない、えーじゃ。フリードリヒ殿下に何か不満があるのか」
「あります」
「何がだ」
「男らしくないです」
「……聞かなかったことにしよう」
ストレートに言ってもこれだよ! お父様はちょっとは娘の意見を聞こうよ!
「あなた。アストリッドが嫌がっているのに無理に進めるのはよくないと思うわ」
「だがな、皇族との結婚だぞ。大変名誉なことだ。それにフリードリヒ殿下は皇太子。未来の皇后になれるのだぞ。それを拒否する理由が分からん」
「私は公爵夫人になれるからあなたと結婚したわけではないのよ、パウル」
「それは、まあ……」
お母様、ナイスアシスト!
「とにかく、宮廷から呼ばれたのだから行きなさい。どうしても結婚は嫌だというならば考えてはおく。だが、相手は皇族なのだから決して失礼のないようにしなければならないぞ。分かっているな?」
「まあ、5割ほどは」
「……完全に理解しておきなさい」
嫌だー! 敬意を示すに値しないー! いくら皇族って言ってもいいのは血筋だけじゃん! もっと尊敬できるような点がないのに敬意は示せないー!
「では、明日は宮廷に向かうぞ。私は仕事があるから一緒にはいけないが、何かあれば呼び出しがあるだろう。お前なら私が呼び出されなくても大丈夫だと信じているぞ」
「信じない方がいいですよ!」
「……信じているぞ」
お父様が一緒でもなければ無茶をしそうである。我ながらこういう緊張感のある場面では何か無茶をしたくなる衝動があるので。うう、私の封印された口径120ミリライフル砲がうずく……! などと。
「本当に宰相のシュテファンにも失礼がないようにな。家でどんな教育をしているのだとは思われたくはないのだ」
「はーい」
まあ、宰相閣下は尊敬できる人かもしれないので考えておこう。
しかし、話というのは本当にフリードリヒとの婚約というおぞましいことについてなのだろうか。それ以上におぞましいこともそうそうないと思うが、なんだか嫌な予感がしてならない……。
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というわけでやって参りました、宮廷!
部屋に通されて暫しお待ちくださいとメイドさんに言われて待っているのだが、その暫しというのが偉く長い。もう既に30分経過している。おじいちゃんおばあちゃんで込んでる病院並みである。
「お待たせしました」
それから更に30分ほどすぎてようやく宰相閣下がやってきた。
……ベスと一緒に。
ベスがどうしてここに? ベスもフリードリヒのお嫁さん候補として呼ばれたの?
「さて、アストリッド嬢。今回お呼びしたのは他でもない。フリードリヒ殿下と婚約していただきたいのだ。これは皇帝陛下からの強い要望でもある。是非ともアストリッド嬢を皇太子妃にとのことだ」
「い、いやあ、自分じゃ皇太子妃は務まらないかと……」
やっぱりフリードリヒとの婚約の話か。このクソ面倒くさい状況から一刻も早く逃げ出したいよ。私は猛烈に嫌そうな顔をして、拒絶感をアピールしておく。
「それはプルーセン帝国としてアストリッドさんを取り込んでおきたいということでしょうか? その目的はどういうわけでしょうか? 先ほどお話ししたようにアストリッドさんは災厄です。国家がその力をいたずらに振るうことにはローゼンクロイツ協会は断固として反対させていただきます」
おっ? ベスが支援射撃をしてくれる。サンキュー、ベス!
「彼女はローゼンクロイツ協会の所有物ではない。プルーセン帝国臣民だ。その価値を国家のために役立てることの何が法に抵触するというのだね?」
「災厄は国家すら容易く滅ぼす。あの強大であったオストライヒ帝国が滅んだことはよくご存じでしょう。あれを成し遂げたことがアストリッドさんだということも。であるならば、その力の運用については慎重になるべきです。倫理的な観点から申しております」
ん? ベスの支援射撃かと思ったが、どうやらちょっと違うっぽい。どちらかというとベスは私の力がプルーセン帝国のものになることを心配しているようだ。
私のことも心配して欲しいなー……。
「国家という基盤があってこその倫理だ。国家がなければ法も秩序も存在しない。その国家を守るためにあらゆる手を尽くすというのは当然のことだろう」
「本当に国家を守るためだけにアストリッドさんの力が必要なのですか? その力を国家を守るためだけに使うと? 他のことも考えておいでではないのですか? それこそメリャリア帝国の皇位継承争いに介入するなど」
え? メリャリア帝国って皇位継承権で争っているの? 女帝が長らく統治していたと思ったんだけど、その女帝エカチェリーナももうお年なのかな……。
「もちろん純粋な防衛戦力など存在しないことは君も知っているはずだ。時に薬となり、時に毒となるブラッドマジックを扱っている君ならば。力とはその使い方を限定することなど難しい」
「詭弁ですね。力の使い方は為政者が制限することも可能なはずです。実際に軍隊が暴走することはないでしょう。力は制限できるのです。アストリッドさんは災厄と呼ばれるまでの戦力なのですから慎重になるべきです」
あれ? ベスって私からフリードリヒを遠ざけてくれてるんじゃなかったの? 災厄の取り扱い説明書みたいになってるよ?
「そもそもアストリッドさんを一国の一勢力が取り込もうとするのが間違っています。災厄と指定されたアストリッドさんがなんらかの陣営に所属すること自体に反対です。あなた方は皇太子妃というより人間兵器としてアストリッドさんが欲しいのでしょう?」
「それはある意味では否定しない。国家を脅かす存在を自分たちの陣営に取り込んでおかなければ、危険であることは確かだ。アストリッド嬢はひとつ間違えば、プルーセン帝国ですら滅ぼせるのだから」
ええ。まさに破局の時が来たらプルーセン帝国相手に戦争をするつもりですよ。だからと言ってフリードリヒの嫁になって、余計に内戦の危機を高めるのは愚策だと思う。
「では、宣言しましょう。アストリッドさんをローゼンクロイツ協会の庇護下に置きます。ローゼンクロイツ協会の上級執行官である私が不要と判断するか、アストリッドさん自身が不要と判断するまでこの措置は撤回されません」
「そこまでするか、ローゼンクロイツ協会は。ならば、我々はローゼンクロイツ協会との関係を見直さざるを得ないな。両組織間の協力体制も終わりだ」
「それでは我々はプルーセン帝国内における魔女協会への監視活動を停止しましょう。あの忌まわしい魔女たちが自由になったら、どのような結果になるか、実に楽しみではありませんか」
ベスと宰相閣下の間で火の粉が飛び散っている!
あわわわ。これは大丈夫なのだろうか……。
「魔女協会の魔女たちを抑え込むことができるのは、ローゼンクロイツ協会だけです。それでも協力体制を終わりにしますか?」
「魔女たちが好き放題を始めて困るのはローゼンクロイツ協会とて同じだろう」
「プルーセン帝国がバラバラに砕け散るまで静観しておきますよ。それから魔女たちの封じ込めを図ります。プルーセン帝国の理解ある新政権と協力して、ですね」
完全に喧嘩だ。止めた方がいいのかな……?
でも、ベスは私のことを思ってくれている節があるし、このまま押し切れればこの縁談もなかったことになるのではないだろうか。
ファイトだ、ベス! 邪悪な縁談をやっつけろ!
「ふん。帝国は魔女程度では滅びたりなどせん」
「おや。あなたは先ほど魔女が危険であるから取り込んでおきたいと言ったばかりですよ。魔女協会の魔女たちはアストリッドさんを凌ぐ危険な魔女たちです。それでも帝国は滅びたりしないと断言できますか?」
喧嘩はベスが優勢みたいだ。宰相閣下は黙り込んで、ベスを睨むだけになった。
「アストリッド嬢。君は本当にフリードリヒ殿下との縁談を望まないのかね。君は帝国臣民である以上は、フリードリヒ殿下と結婚していようとなかろうと、帝国に協力する義務があるのだぞ」
って、私の方に攻撃の矛先が向かってきた!
でも、ベスがここまで庇ってくれた以上は私も毅然とした態度で臨まねば。
「ええ。望みません。フリードリヒ殿下にはもっと相応しい人がいますので。私ではフリードリヒ殿下にとって相応しいパートナーにはなれません。なので、このお話はなかったことに願います」
「本当にそれでいいのかね?」
「ええ。本当にそれでいいのです」
宰相閣下が確認するのに私が頷いて見せる。
なよなよなフリードリヒの相手なんぞ私は御免だ。面倒を見るのはエルザ君に任せるよ。彼女ならなよなよなフリードリヒのケツを蹴り上げて、立派な皇帝陛下にしてくれるだろうからね!
「シュテファン宰相閣下。フリードリヒ殿下がお見えです」
「殿下が?」
そんな状況の中で女官の人がフリードリヒが来たと宰相閣下に告げる。
何しに来たの?
「シュテファン宰相。これは何をしているんだい?」
「殿下の縁談を纏めようとしているところです。帝国にとって望ましいように」
部屋に入ってくるなりフリードリヒが尋ね、宰相閣下が立ち上がってそう告げる。
「アストリッド嬢を無理やり皇太子妃にすることが帝国にとって望ましいことなのかい? 私にはそうは思えないけれどな」
「殿下。アストリッド嬢は非常に優れた魔術師です。それに加えて家柄にも問題はない。彼女ほど殿下に相応しい人間はいないかと思いますが」
「それは彼女にもう一度どこかの国を滅ぼして貰うためかな?」
むむっ。今日のフリードリヒはどことなく気合いが入っているな。
まあ、当然か。自分のあずかり知らぬところで勝手に縁談が進んでいたら、気に入らないよね。それにフリードリヒはもうエルザ君と仲良しなわけだし。私なんて相手にしてる場合じゃないですよ。
「この縁談は皇帝陛下も望まれていることなのですよ、殿下」
「そして、この縁談は私の縁談であって父上の縁談ではない。私はアストリッド嬢を好ましく思っている。だが結婚の相手としては見ていない」
よく言った、フリードリヒ! 今日のお前はなよなよじゃないぞ! 本物の男だ!
「……本当にそれでよろしいのですか?」
「いいんだ。私の結婚相手はもう決めている」
おっ! ひょっとしてエルザ君に心を決めたってところなのかな。
「まさかそれは噂にあった平民の娘ではないでしょうな」
「私は結婚相手が平民であったとしても気にすることはない。たとえ、皇位継承権を失うことになったとしてもだ」
いえいっ! フリードリヒが男を見せているぞ! 頑張れ! マジ頑張れ!
「殿下。皇族の結婚は政治です。そのことをきちんとご理解ください。皇帝陛下もそう望まれているはずですよ」
「悪いね、シュテファン宰相。私に政治は50年早いんだ」
まあ、皇族の義務としては他国の王族や国内の有力貴族と結婚した方がベストなんだろうけど。それでもエルザ君はフランケン公爵家のご令嬢だし、結果的には何の問題もなくなるのである!
「これは後悔することになるかと思いますよ。我々が彼女を押さえておかなかったことについてはいずれ」
「彼女は帝国臣民だ。それで十分だろう?」
宰相閣下が渋い表情を浮かべるのに、フリードリヒがそう告げて返した。
そうだぞ! 私はそっちが攻撃的じゃない限り攻撃するつもりはないぞ!
「それでは今日はご苦労様でした、アストリッド嬢。いずれまた」
「はい。しかし、またはないかと思います」
私は宰相閣下が出ていっていいというように扉を開くのに、頭を下げて出ていった。
「際どいところでしたね、アストリッドさん」
「ベス。来てたなら、事前に教えてよ。いきなり宰相閣下と喧嘩を始めたからびっくりしたじゃないか!」
ベスもさりげなく部屋を出て告げるのに私はそう告げる。
「あなたを保護するためですよ。帝国の駒として一生を終えるのは嫌でしょう? ローゼンクロイツ協会は危険な魔術師を監視しますが、同時に彼らを不当な圧力から保護する目的もあるのですから」
「それでも一言言ってくれてればよかったのにー」
でも、ベスが助けに来てくれて嬉しいよ。
「しかし、これで当面問題は起きそうにないですね。フリードリヒさんはご自身の意志を示されたのですから。周囲は撤回するように圧力をかけるでしょうが、それからが彼らが試されるときですね」
「フリードリヒはちゃんと外圧に勝てるかなー?」
そんなこんなで私の宮廷訪問は終わった。
私はなよなよだと思っていたフリードリヒが男らしさを見せたのにちょっと感動。流石はゲームの攻略対象なだけはある。無意味に存在するわけじゃないんだね。よかった、よかった。
しかし、これで勝敗が決したわけではない。
フリードリヒが周囲の圧力に結局負けた場合は私が生贄になるかもしれないし、今回の件で今度は皇帝陛下が気を悪くして、私の家を取り潰そうとしてくるかもしれない。
そうなったらやっぱり戦争だぞ!
「よし! これからも戦争に備えよう!」
「どうしてそうなるのです?」
私が気合いを入れるのを、ベスは冷ややかに見ていた。
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