悪役令嬢、演劇を見に行く
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──悪役令嬢、演劇を見に行く
「お姉様。今週末は何かご予定はありますか?」
「ん? ないよ。それがどうかしたかな?」
円卓でブラウたちにお菓子を上げながら、だらだらとブラッドマジックの防壁に関する論文を読んでいたらイリスがおずおずと話しかけてきた。
「実は今週末にハーフェル中央劇場でこの間の文化祭で私たちが演じた“狼男の花嫁”のアレンジバージョンが演目として出されるそうなのです。よろしければ、お姉様も一緒に演劇を見に行きませんか?」
ほうほう。イリスも演劇にのめり込んでいるな。
でも、そういう向上心の強いところはお姉ちゃん嫌いじゃないよ!
「いいね、いいね。見に行こうか。私も興味あるよ!」
「よかったです。では、チケットの方をどうぞ」
あれ? イリスってばもうチケット買ってるの?
「お姉様がダメでしたらヴェラさんたちといくつもりだったのですが、お姉様が来てくださることになってよかったです」
私が断っていたらヴェラとその取り巻きなんぞと行く予定だったのか。すぐさま了承しておいてよかった。あいつらはイリスの友達かもしれないけれど、油断ならないからな。下着盗もうとするし。
「って、チケット2枚?」
「はい。私もヴェルナー様と一緒なので、お姉様もどなたか誘ってください」
イリスから私に渡されたチケットは2枚あった。
そうか。イリスはヴェルナー君と一緒か。だから、私にも誰か誘っておいて欲しいわけだ。だって、私だけひとりで来るとイリスとヴェルナー君がいちゃいちゃしにくいからね。分かるよ、イリス。
けどね! お姉ちゃんには相手がいないの! 惨めだけど!
「ディートリヒ様などお誘いになられたらいいと思います」
「う、うーん。ディートリヒ君を誘うのはなあ……」
ディートリヒ君もアーチェリー部に入ってから筋肉も付き始めて、身長もだいぶ伸びてきたけど、いかんせん11歳であり、身長は私より低い。ちょっと私のストライクゾーンには入っていない。
「誰を誘ってもいい?」
「ええ。構いませんよ」
私が確認するのにイリスがコクコクと頷く。
「けど、フリードリヒ殿下は止めて欲しいです……。この間の宮廷晩餐会では皇帝陛下がお姉様を皇太子妃にとおっしゃったそうですが、私は反対です。お姉様が皇太子妃になってしまわれたら……」
イリスはやっぱり私が皇太子妃になると、イリスと距離ができちゃうと心配しているんだね。イリスはいつまでも私に懐いてくれていて嬉しいなー!
「安心して、イリス。私がフリードリヒ殿下を誘うことはないし、皇太子妃になることなんてこともないから。それに私はいつだってイリスのお姉ちゃんだよ」
「お姉様……」
誰がフリードリヒなんぞとくっつくものか! 私はいけ好かないフリードリヒよりイリスの方が100倍は大事なんだ!
「じゃあ、私は一緒に来てくれる人を探してくるね」
「はい!」
さて、とは言ったものの誰を誘おうか。
ミーネ君やベスたちの誰か? いや、同性を誘うとヴェルナー君が居心地悪いだろう。男女比が1:3になってしまうからな。ヴェルナー君がイリスといちゃいちゃすることができなくなってしまう。
だから男性を誘うのが好ましいのであるが、不幸にして私が気軽に誘える男性というものは存在しないのだ。イリスとヴェルナー君のように婚約者でもいればよかったんだろうけど、お父様たちは依然としてフリードリヒを狙っているからなー。
さて、というわけで誰を誘おうか。
そうだ。あの人に挑戦してみようか。まあ、ダメ元だ。やってみよー!
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「ベルンハルト先生-」
「なんだ、アストリッド嬢。また何か問題を起こしたか?」
「なんでそうなるんです?」
私がベルンハルト先生に声をかけるなり問題ありだと疑われた。私の扱いはどーなっているんだい! 最近では学園内で問題は起こしてないぞ!
「何せ学園にフェンリルを持ち込むような学生だからな。ちょっとは警戒するというものだ。おまけに悪名高い魔女協会と関わってたとなると、な」
「そ、それぐらいいいじゃないですか! フェンリルぐらい! 別に級友を生贄に捧げたわけでもないですしっ!」
「フェンリルはぐらいで済まされるものだったのか」
ぐぬう。ベスが余計なこと喋っちゃったからベルンハルト先生の警戒心がマックスになってしまったのではないだろうか。恨むよ、ベス! 今もどこかで見ているのかもしれないけれど!
「まあまあ。最近は私も問題を起こしてないでしょう?」
「それもそうだな。最近はちゃんと静かにしてる。……見えないところで何かやってるわけじゃないよな?」
「何もしてませんって」
疑われてるなー。そこまで信用ないかなー。
「それはそうと、ベルンハルト先生、演劇に興味ないです?」
「演劇か? そう言えば、お前の従妹は演劇部だったな」
「そうですよ。この間の文化祭でもヒロインでした! 先生は見てくれました?」
「ああ。見たぞ。あれがお前の従妹とはにわかに信じられんな」
ひでえや。
「で、演劇部の話、ってわけじゃないみたいだな。どうした?」
「実はそのイリスに演劇を見に行こうって誘われて。チケット2枚貰ったんですけど、先生一緒に行きませんか?」
ベルンハルト先生が尋ねるのに、私は2枚のチケットを取り出して見せる。
「おいおい。他に誘う奴はいないのか?」
「それがですねー。いないんですよー」
私は残念女子かつ爆発物処理班なので演劇に誘えるような男性などいないのだ。
「ふうむ。まあ、演劇に興味ないことはないが。題目は?」
「“狼男の花嫁”のアレンジバージョンだそうです」
「悪くないな。笑える話は好きだ」
おっと。これはいけるかな?
「しかし、本当に俺なんぞでいいのか? ああ。ひょっとして保護者代わりか?」
「違いますよー! パートナーとして来て欲しいんですよ!」
納得したという顔をするベルンハルト先生に私が突っ込んだ。
「パートナーって。俺みたいなおっさんをか? いくらなんでもそりゃないだろう」
「ベルンハルト先生。今年で何歳です?」
「25だ。もうすぐ30だな」
「なんだー。10歳年上なだけじゃないですかー」
「お前の基準は分からんが、世間一般的には15歳から見ればおっさんだぞ」
10歳差くらいなんだい! 私は気にしないよ!
「いいんですよ、いいんですよ。この私がいいと言っているからいいのです。というわけで一緒に来てくれます、先生?」
「随分粘るな……。お前なら他にもっといい男を捕まえられるだろう。流石に世間で言われているように皇太子妃が似合うとは思わんが、学園の教師なんぞよりいい相手が見つかるはずだぞ。なんたってあのオルデンブルク公爵家で、魔術の才能もあるんだ」
「私は先生を捕まえたいんですよ!」
確かに円卓にはフリードリヒ一派を除いても魅力的な男性で、家柄も問題なく、将来の展望も明るい先輩がいるにはいる。
だが、そういう先輩は予約済みなことに加えて、私があのゲームで本当に惚れた男性は誰が何と言おうとベルンハルト先生なのだ!
「まあ、そこまでいうならな。お前の面子を潰すのも悪い。暫くの間はわがままな公爵家令嬢さんの夢に付き合ってやるよ。だが、本当に他に男探しておけよ? 将来苦労することになるからな?」
「大丈夫です!」
いえーい! ベルンハルト先生がパートナーになってくれたぜー!
まあ、先生の言うようにこれが暫しの夢なのは分かってる。先生とは家柄も違いすぎるし、世間的には年齢も離れすぎている。
いずれ、フリードリヒがエルザ君と結ばれれば、お父様も諦めて縁談を持ってくるだろう。公爵家の娘として生まれた以上は、自由恋愛で結婚するなど難しいことは理解しているのだ。
なので、今は夢を見させて貰おう。それが短い夢でも美しければそれでいいさ。
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というわけでやって参りました、ハーフェル中央劇場!
ここにやってくるのはヴァルトルート先輩が強引に円卓のメンバーを演劇に連れていって以来だ。相変わらず立派な建物である。プルーセン帝国で最大の劇場に相応しい様相をしているというようなものだ。
「イリス! ヴェルナー君!」
「お姉様! それとベルンハルト先生ですね」
イリスは私がベルンハルト先生を連れてきたことにちょっと驚いているようだった。
ベルンハルト先生はこの劇場に相応しい立派なタキシード姿で、思わず見惚れてしまうほどに男らしかった。まさに大人の男性って感じだ。行動の端々から年上の余裕を示してくれているのも頼もしい。
「やあ、イリス嬢、ヴェルナー君。今晩はよろしく頼む」
「はい。ベルンハルト先生」
イリスのベルンハルト先生への好感度はまずまずだ。イリスって最初にベルンハルト先生に会った時に悪くない人だって思うって言っているんだよね。だから、ベルンハルト先生が付いて来ていても悪感情はなさそうだ。
「しかし、アストリッド先輩のパートナーがベルンハルト先生だったとは驚きました。アストリッド先輩ならば、フリードリヒ殿下をお連れするものだとばかり」
「いやね、ヴェルナー君。私とフリードリヒ殿下の間には何もないからね。本当に何もないからね。私の好みはベルンハルト先生のようなリードしてくれる年上の男性なんですよ。分かってくれた?」
「そ、そうなのですか。ですが……」
言いたいことは分かると。私とベルンハルト先生では家柄が違いすぎるって言いたいんだろう。でも、今日は特別な日なんだ。ベルンハルト先生が特別に私に付き合ってくれるというとても貴重な日なんだ。
「さて、そろそろ演劇が始まっちゃうよ! 中に入ろう!」
「はい!」
私が告げるのにイリスが劇場の中に向かう。こういう時でもイリスのエスコートを欠かさないヴェルナー君は本当にイリスの婚約者に相応しいな。私もイリスの婚約者がヴェルナー君でよかったよ。
「じゃあ、お手をどうぞ、お嬢様?」
「はい。ベルンハルト先生」
ベルンハルト先生も私に白手袋に包まれた手を差し出し、私はその手の上に自分の手を重ねた。最高に幸せな時だ。
イリスが取っていたチケットは特等席である2階からの席で、私たちはオペラグラスを手に、劇場の舞台に目を向ける。
上演される“狼男の花嫁”はアレンジバージョンだったが、基本的な流れは元の作品と同じだ。ただ、このハーフェル中央劇場で演じるに相応しいように、大人向けのビターな作品になっていた。
狼男と呼ばれる貴族はより狼男のようになり、本当に花嫁が愛することができるのかという疑問が生じたり、複雑な恋の過程を得て、ハッピーエンドを迎える結末になった。花嫁が狼男を抱擁するときには私も涙したものだ。
「ベルンハルト先生、どうでした?」
「ああ。いい劇だ。原作も好きたがアレンジバージョンも悪くないな。大人向けのビターなものになっていたが、笑えるところは笑える。この脚本を書いた奴はそれなり以上の名作家だな」
ベルンハルト先生もこの劇はお気に召したようだ。なによりなにより。
「一番のシーンはどこでした? 私はクライマックスの狼男が花嫁を優しく抱擁して、これまで信じてくれてありがとうという場面でした!」
「そうだな。俺は笑えるとこが好きだが、実際に狼男と間違われて、食事が肉しか出ないところとかも笑えたな。後は何があっても君を離さないと狼男が言うシーンだ。あそこは外せないだろう」
「おおっ! そのシーンも素晴らしかったですよね!」
ベルンハルト先生とは趣味が合うな!
「それで、夢は見れたか?」
「ええ。とってもいい夢を見れました。けど、ベルンハルト先生。私はもっともーっと夢がみたいです。なので、これからも一緒に遊んでくれますか?」
「はあ。仕方ないな。いいぞ。公爵家令嬢となれば自由は少ない。同情する。だから今だけは自由であるといい。それがお前をちょっとでも幸せにするなら、付き合うぞ」
「ありがとうございます、ベルンハルト先生!」
ベルンハルト先生は本当に優しい。その優しさが心地よくて、一生この幸せに浸っていたい気分だ。
だけれどそうは行かない。いずれ、離れ離れになる日が来るだろう。
その時にはベルンハルト先生と過ごした幸せの時を思い出して過ごそうと思う。
それが私の幸せだから。
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