悪役令嬢と謹賀新年
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──悪役令嬢と謹賀新年
新年あけましておめでとうございます。
プルーセン帝国でも新年を祝うイベントがあります。クリスマスもあります。キリスト教は存在しないけれど。だって、乙女ゲーだからね。イベントはいろいろないと好感度を上げる機会がないからね。
普通は家庭でちょっとしたご馳走を食べたりして細々と祝うのだが、今頃エルザ君は新年デートというところだろう。ちゃんとフリードリヒルートに入っていてくれればいいのだけれど。
フリードリヒルートだと宮城を抜け出してきたフリードリヒと一緒にエルザ君の家でご馳走を食べるのだ。まあ、エルザ君の家は庶民の家なのでご馳走も皇族のフリードリヒにとってはそうではないのだが、エルザ君の手作り料理にフリードリヒもにっこりというわけである。
私の方は今年はイリスたちブラウンシュヴァイク公爵家を招いて晩餐会です。これはこの間、私たちがブラウンシュヴァイク公爵家の別荘に招待して貰ったお返しです。
「今年もよろしくね、イリス!」
「はい。お願いします、お姉様」
私とイリスは朝から新年の挨拶。プルーセン帝国でも夜更かしして、深夜に新年を祝うこともするのだが、イリスは夜更かしできないので朝から新年の挨拶だ。
さて、私は今日はやるべきことがある。
もし、エルザ君がフリードリヒルートに入っているなら、お忍びの馬車がエルザ君の家に来ているはずなのだ。それから、それを見逃してもその後にエルザ君とフリードリヒのデートイベントが商業地区であるので、それで確認できる。
私はエルザ君がフリードリヒルートに入ったかどうかを確認するために、今日は商業地区にあるエルザ君のパン屋を目指すのである。
さあ、出発!
「お姉様? どこかに出かけられるのですか?」
「ちょ、ちょっと商業地区にね」
私が出かけようとした瞬間、イリスが怪訝そうに私の方を見てきた。
「なら、一緒に出掛けましょう! 私も新年のお祝いをしている商業地区を見てみたいです!」
「そ、そっかー。一緒に来たいかー」
困った。イリスと一緒だとエルザ君の様子が監視しにくい。
でも、イリスは期待に満ちた瞳で私の方を見ているので、これを無下にするわけにもいかないのだ。可愛い妹がこんなにも楽しみにしているのに、それを裏切ることができようか。
「よしっ! じゃあ、一緒に行こうか! いろいろと見て回ろう! いろいろと!」
「はいっ!」
というわけで私は妹の期待に負けて、イリスを一緒に連れてエルザ君の様子見にいくことになってしまった。私は馬鹿じゃなかろうか。
しかし、なってしまったものは仕方ない。寒空の下でブラウたちを酷使してエルザ君たちの様子を探るしかあるまい! 我ながら鬼畜だと思うけれど!
では、いざ商業地区へ!
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商業地区もすっかり新年祝い状態。
大勢の人が行き交っているが、店舗も開いているのは飲食店ぐらいである。ほとんどは新年のお休みになっている。
だが、開いている飲食店では新年祝い限定ケーキなどそそられるものが。クリスマスケーキも美味しかったのだが、新年祝いケーキはまたそれとは違った趣で、食欲がそそられるのである。
「お姉様。賑やかでいいですね!」
「そうだね。お祭りって感じだよ」
イリスはいつもは年始を商業地区で過ごすこともないのか、目の前に広がる物珍しい景色にきょろきょろとしている。私は地球では年始を友達と一緒に過ごしたことなど何度もあるのであるが、こちらのそれとは違うのでまた気になる。
「お姉様、お姉様。今日はどちらに向かわれるのですか?」
「まあ、いろいろとね。いろいろと」
まさかエルザ君の様子を探りにパン屋に行くとは言い難い。
しかし、フリードリヒも立太子して正式に皇太子になったのに、エルザ君のところに本当にお忍びででかけることなどできるのだろうか。あのへにゃへにゃがそんな根性を発揮できるとはいまいち考えにくいのである。
ゲームのときはゲームだからでいいけれど、現実っぽくなった今、城の警備を潜り抜けて馬車でエルザ君のパン屋に行くことなど不可能──。
「いたーっ!?」
エルザ君のパン屋の脇にゲーム中にでてきたフリードリヒのお忍びの馬車が! 正式にはフリードリヒの家庭教師の人の馬車らしいけど、間違いなくゲーム中にでてきたものである。
おおう。根性を見せたのか、フリードリヒ。へにゃへにゃとか言って悪かった。
「お姉様? 何がいたのですか?」
「い、いや。何でもないよ。ちょっと叫びたくなっただけだから」
「そ、そうですか……」
イリスが怪訝そうに見てくるのに、私がふるふると首を横に振って返す。
しかし、これは本格的にフリードリヒルートに入っていますよ。好感度をかなり上げてないと起きないイベントだからな。これでフリードリヒは処理できたってことで安心していいかもしれない。
「お姉様。ここら辺は治安が悪い場所ではありませんか?」
「え? 普通の場所だと思うけど」
ちょっといつもの高級商店が並ぶ場所からは外れているけれど、だからと言ってそこまで危険な場所ではないはずだぞ。
「なんだか身なりの悪い平民の方が多くて不安になります……」
まあ、確かにここら辺は庶民のための商店街だから、貴族と比較すればそれは服装もちょっと質が落ちるだろうけど身なりが悪いとまでは言わなくていいと思うよ。
……そういえばイリスは平民はみんな犯罪者! って教えられている子だったな。これだとフリードリヒとエルザ君がゴールインするのに反対する子に育ってしまうかもしれない。そうなると姉として私がピンチ。
イリスに平民の人も怖くないよーと教えてあげたいのだが、いい例はないだろうか?
「アストリッド?」
私がそんなことを思い悩んでいたとき、聞きなれた声が響いてきた。
「ああ。ゲルトルートさん! それにペトラさんとエルネスタさんも!」
「やあ。新年おめでとう、アストリッド」
やってきたのは冒険者ギルド仲間のゲルトルートさんたちだ。流石に年始始まってそうそうはオフなのか鎧姿ではない珍しいゲルトルートさんたちだ。ゲルトルートさんが落ち着いたパンツルックで、エルネスタさんが可愛いワンピース、ペトラさんは短パンにTシャツという組み合わせである。
「そちらの子は?」
「従妹のイリスです。イリス、こちらは冒険者のゲルトルートさんたちだよ」
ゲルトルートさんがイリスの方に視線を向けるのに、イリスは私の背中に隠れてしまった。やっぱり平民は怖いのだろうか。
「へー。従妹なのに全然似てないな。こっちは竜を殺しそうにないぞ」
「そ、その話は内密にお願いします、ペトラさん……」
私が竜殺しの魔女であることはイリスには内緒なのだよ、ペトラさん!
「お姉様……。この平民の方々とはどのような知り合いなのですか?」
「冒険者ギルドに以前領地の手入れを頼んだ時に知り合ったの。とってもいい人たちだよっ! イリスともお友達になれると思うな!」
流石に手伝い冒険者をしていて知り合ったとはいえないのでこう言っておく。
「アストリッドの従妹ということはやはり?」
「公爵家令嬢です……。その、ちょっと仲良くしてあげてくれませんかね?」
ゲルトルートさん、鋭い。
「イリス嬢。そう怯えることはないぞ。取って食べはしない」
「そうそう。お貴族様にそうそう手を出すかよ」
ゲルトルートさんとペトラさんがそれぞれそう告げる。
「アストリッドちゃんの従妹の子って凄い可愛いね! お人形さんみたい!」
エルネスタさんはイリスの魅力にやられてしまったようだ。
「そ、その……。よろしくお願いします……」
イリスは依然として私の背中に引っ込んだままだ。
「そうだ! ゲルトルートさんは孤児院の出身なんだけど、この間はその孤児院のためにほぼ無償でゴブリンの群れを退治したんだよ! 凄いよね!」
「そうなのですか? それは大変素晴らしいことだと思います」
ふふふ。これにはイリスも感心するだろう。ゲルトルートさんたちはいい人なんだよ、イリス。平民がどうのとかは関係ないんだ。
「少し冒険の話を聞かせて上げて貰っていいですか? きっとイリスには聞いたことがない話でいっぱいでしょうから」
「任された」
私が頼むのにペトラさんがサムズアップして返した。
『マスター! 対象Fと対象Eを商店街で発見しました! ふたりで仲がいいように思われます! あっ! ふたりは喫茶店で限定ケーキを注文しました!』
私がイリスの面倒を見ている間でも、私はロートたちの目でフリードリヒとエルザ君を監視できるのだ。ふたりはロートの報告にあったように喫茶店で新年祝いの限定ケーキを食していた。
うん。ふたりの仲は確実だ。私が心配するまでもない。
このまま上手い具合にゴールインするんだぞ、フリードリヒ!
「それじゃ、そろそろあたしたちも行くぞ。せっかくの新年祝いの休みだから、楽しまないとな。アストリッドたちも来るか?」
「イリス。あなたは大丈夫?」
庶民のことに不安を覚えているイリスだ。反対したりするのではなかろうか。
「ええ。ご一緒させていただきます。冒険の話をもっと聞かせて欲しいです!」
おおっ! すっかりイリスがゲルトルートさんたちと仲良しになっている。
『マスター! 対象Fが対象Eと共に喫茶店を出ました! そこで対象Fと対象Eが、マスターのご学友と接触した模様!』
何っ!? 誰だ!?
と思ったらミーネ君たちだよ! 君たちはよりにもよってそのタイミングで!
『対象Fが何気なくスルーしようとしていますが、対象Eにマスターのご学友の突き刺さるような視線が向けられています! このままでは衝突する恐れがあります!』
ちょっと待って。今私フォローできるような状況にないんだけど。
「どうした、アストリッド? 良い店だぞ。貴族様でも気に入るはずだ」
「い、いや。ちょっと気になるものを見かけたもので」
ペトラさんが私がロートからの映像を見て足を止めているのに、怪訝そうに声をかけてきた。エルザ君がピンチなのだが、今の私には助けに行けないのである。
「で、では、行きましょうか」
今は自分で対処してくれエルザ君。強く生きるんだよ。
私には私の都合ってものがあるんだからね!
けど、ミーネ君たちがフリードリヒとエルザ君の恋仲を妨害すると、私に責任が降りかかる恐れがあるんだよなー……。
なるべくなら余計なことはしないでね、ミーネ君!
そんなこんなで私はエルザ君とフリードリヒを監視し続けたが、ミーネ君たちと衝突することはなかった。流石にフリードリヒの前で女の喧嘩を披露するのは気が引けたのだろう。よかった、よかった。
私の方はゲルトルートさんたちと一緒に洒落た喫茶店で新年祝いのケーキを食べた。甘酸っぱいラズベリーのソースがかかったレアチーズケーキは実に美味しかった。
しかし、これから学園が始まるとなると、ミーネ君たちがこの年始に見たことを歪曲して私に伝えてくるのだろうな……。ミーネ君は私とフリードリヒが結ばれるべきだというおぞましい妄想に取りつかれているから。
はあ、冬休み、もうちょっと続かないかなー。
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