悪役令嬢と演劇部の王子様
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──悪役令嬢と演劇部の王子様
今日は従妹のイリスの練習を見に演劇部に向かった。
今年の学園祭ではイリスたちも演劇を披露するそうだが、流石に高等部と合同なのでイリスがヒロインになるのは難しいだろう。
と、そう考えていた。
「え? イリスがヒロインするの?」
「はい! この間の中等部の劇の出来がよかったので、と!」
わー! お姉ちゃんびっくりだよ!
確かにイリスの演技はよかったものな。あの嫉妬女の演技も凄かったけど、それに負けないぐらいの演技だったし。ある意味では納得の配役だね。流石は我が妹だ。お姉ちゃんも鼻が高いよ。
「でさでさ、やる演目は? 私は喜劇がいいな!」
「やるのは“姫と悪魔”です。ご存知ですか?」
「知ってる、知ってる! お姫様が悪魔にどうにか願いを叶えて貰おうとして、七転八倒するお話だよね!」
姫と悪魔は喜劇に分類される物語だ。
遠い異国の地のお姫様が悪魔を召喚して願いを叶えて貰おうとするのだが、悪魔がへそ曲がりな性格をしていて、お姫様にいろいろと注文を付ける。やれ、豪華な料理が食べたいだの、世界で一番高い山に登りたいなど。
最後はようやくお姫様の願いを叶える。それでお姫様は共に悪魔の注文をクリアしてきた隣国の王子様と結ばれてハッピーエンド。
「いい演目だね! またシャルロッテ物語みたいな鬱物語が来たらどうしようかと思っていたよ! イリスはお姫様役なんだよね?」
「はい。大変光栄なことにその役を承りました」
イリスもいい役を貰ったな!
「悪魔役と王子様役は誰なの?」
「悪魔役はヴェラさんのお友達で、王子様役はラインヒルデ先輩です」
悪魔役はあの嫉妬女か。意地悪な役にはもってこいだな。
やっぱりと言えばやっぱりだが、王子様役はラインヒルデ君か。イリスとラインヒルデ君の組み合わせは映えるだろうなー。まさに王子様とお姫様って組み合わせでさ。
「それじゃあ、今から練習?」
「文化祭まで残り少ないですからね」
夏休みが終わって季節は9月。文化祭までは1ヵ月だ。
「……ちょっと聞きたいんだけどさ。ラインヒルデ君って同性の子から告白受けたりしてるんだよね? それを受けたことがあるって話は聞いたことある?」
「え? 私はそういう話は聞いたことがありませんが……」
どうにもな。ラインヒルデ君の臨海学校や美容エッセンスのときの反応が気になるんだよな。単なる私の自意識過剰なのかもしれないけれど。
「ラインヒルデ君は演技で王子様をやるわけだけど、キスシーンとか抱き締めるシーンとかあるよね? そういうのってイリスは恥ずかしくない?」
「はい。これはあくまで演技ですから。ラインヒルデ先輩も意識はされていませんし。それに、その、ファーストキスは既にヴェルナー様と……」
ヴェルナー君。ついにイリスの唇を奪ったのか。ちゃんと責任は取るんだぞ。
「うーん。となると、どういうわけなんだろう……」
「お姉様、何かお悩みですか? 相談に乗りますよ?」
「ちょっとね」
ラインヒルデ君の真意は掴めぬまま。
ラインヒルデ君に私に興味ある? って聞くのは最高に自意識過剰って感じだし、かといってそっちの方の好意があるなら困ると言わなければならないし。
「イリス。練習見に行ってもいい?」
「もちろんです。お姉様なら大歓迎ですよ」
くよくよ悩むのも私らしくない。気になったら問いただしてみるのみ!
……これでまるきり私の勘違いだったら、もはや笑うしかない。
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放課後。
私はイリスの練習を見に、第1体育館にやってきた。
相変わらずイリスは可愛い。今回はお姫様役ということもあって纏っているドレスも一際可憐だ。これを見て魅了されない人間はいないだろう。流石はヒロインだ。
で、王子様はラインヒルデ君。
こちらもこちらで決まっている。銀髪碧眼な上に長身で、まさに王子様という具合である。これはまた見惚れる女子が大勢でるだろうなー。
かくいう私もちょっとドキッと来た。これは不味い。
「次の試練はなんだというのでしょうか?」
「火吹き山でドラゴンの逆鱗を奪ってこいとのことだ」
今やっているのは悪魔からの最後の試練のパートだ。
お姫様と王子様はあれこれと知恵を尽くして、ドラゴンから逆鱗をちょろまかすのである。本物の炎竜、地竜、水竜と戦った身としては、あれは言葉でどうにかなる相手ではないような気もするが、これはあくまでお芝居だ。
しかし、健気に頑張るお姫様をイリスは演じ切っている。あれだけ人前に出るのが苦手だったイリスが、はきはきとセリフと喋り、役を演じ切っているのは成長を感じる。その反面これからはあまり私は頼りにされないのだろうと悲しくもなる。
「こうして、お姫様と王子は逆鱗を手に入れました。全ては知恵のなせること。大きなドラゴンには力はあっても、知恵は不足していたようです」
ナレーションが滅茶苦茶ドラゴンを煽る中、練習は一区切りした。
「どうでした、お姉様!」
「凄いよ、イリス! 名女優だね! もう人見知りは治ったんじゃない?」
「そ、それが本番になると人見知りが出そうで心配なのです……」
ええー。それはないと思うけどな。実際に演劇部のみんなで練習風景を見てるけど、イリスが照れたりする様子はなかったし。
「あっ。まだ演劇部以外の人には劇見て貰ってないの?」
「ええ。そうです。中等部だけの演劇も、今回の演劇も演劇部の皆さんだけに見ていただいているだけで。本番になると知らない方が大勢いらっしゃいますし、本当にやれるのだろうかと心配になります」
ううむ。イリスならやれると思うけどな。だが、根拠もなくそう言うわけにはいかないんだよな。何か理由を思いつかなければ。説得力があって、自信が付きそうな奴を。
「ねえ。イリスは今だけはお姫様。誰もイリスのことをイリスだとは思わない。心の底から、悪魔に願いを叶えて貰うために奮闘するお姫様になりきって。そうすれば、きっと大丈夫なはずだよ」
「は、はい! 私、頑張ります!」
これもあまり根拠がある話じゃないけど、励みにはなってくれたかな?
イリスは元気よく返事すると衣装を着替えに第1体育館の倉庫に向かっていった。
「流石ですね、アストリッド様」
「ああ。ラインヒルデ君。あの子とは付き合いが長いから、なんとなく迷っていることはわかるんだ。ちょっと芝居じみてたかな?」
「ここは芝居をするところですから、芝居をしてもいいんですよ」
まあ、確かにここは演劇部の練習場だが。
「アストリッド様も演劇部に入られればよかったのに。あなたのような方がいたら、素晴らしい劇が演じられたと思いますよ」
「やだなー、ラインヒルデ君。私は演技に関してはずぶの素人だよ」
私はこう見えても真・魔術研究部初代部長なのだ。魔術を探求し、運命をぶん殴ることこそ我が使命。演劇に興味があろうと脇に逸れるわけにはいかないのだ。
「……アストリッド様。ちょっとよろしいでしょうか?」
「何かな、ラインヒルデ君? ここでは話せない用事?」
「あまり人には聞かれたくないですね」
……あれか。あれなのか。まさかとは思うのだが……。
「じゃ、じゃあ、ちょっと外に出よっか?」
「はい」
私が告げるのにラインヒルデ君がさりげなく私の手を握る。
た、確かに王子様役にはドキッとしたけれど私はノーマルだから! こういうので恥ずかしがったりしないから! 女の子同士で手を握ることぐらいよくあることだから!
いかん。私の方が意識しすぎで挙動不審だ。
「アストリッド様?」
「な、何かな、ラインヒルデ君!?」
私がふと我に返ったときには、私とラインヒルデ君は第1体育館の裏にいた。
おおう。まさにそういう場所じゃないか……。
「そ、それでラインヒルデ君は私に何の用事かな?」
私はそわそわしながらそう尋ねる。
「アストリッド様。空を飛んでおられましたよね?」
「へ?」
あれ? 何それ? って、不味い、不味い。
「な、なんのことかなー? 知らないけどな―」
「おかしいですね。確かに先週も空を飛んでいるのを朝に見かけたのですが。自分は早朝に学校に来るもので、よく晴れた日は空を眺めるのです」
うっ……。誰にも見られてないという想定が甘かったか。
「確かに空を飛んでいたよ! それがなんだってんだい! 魔術師だから空ぐらいひょいと飛ぶさ!」
「……羨ましいですね」
「え?」
ラインヒルデ君が視線を落とすのに、私は話が飲み込めずにぽかんと口を開く。
「私はここで魔術を学びましたが、ちっとも空は飛べませんよ。地べたに這いつくばったままだ。あなたのように空が飛べればよかったのに」
「君は……」
ラインヒルデ君からはどこか悲し気な感じがした。
「私も伯爵家の長女。嫁ぐ先を決めるのはお父様たち。それは分かっていましたが、実際に学園で様々な人に出会うと、全てを両親に決められるのはやりきれなくなる。この演劇も卒業すればそれで終わり」
「そんな……」
演劇部からは劇団に入った人たちもいたんじゃないの? そういう人たちにはラインヒルデ君はなれないの?
「公爵家であるあなたは私以上にいろいろと決められているはずなのに、誰よりも自由にしてるように見えたのです。空を飛んでいる姿を見たときは」
「そうだね……。空を飛ぶくらいの自由はあるかな」
まあ、実際は冒険者ギルドで手伝い魔術師などもやっていたり、挙句には魔女協会の協会員だったり、まだ婚約者が欠片も決まる気配がなかったりするのですが。
それでも自由が少ないのも事実だ。私がベルンハルト先生を好きでもお父様は反対するだろう。年上が好きだとしても、お父様がそれを選択してくるとは分からない。結局のところ私たちには自由は少ないのだろう。
「私もあなたのように空を飛べればよかったのですが。そうしたらこの鬱屈とした気分も、閉塞感も吹き飛ばせるような気がするのです。まあ、実際のところは空を飛べるあなたですら不自由なのですから、気のせいなのでしょうね」
「だろうね。私は空は飛べても、結婚の相手は選べないよ。この立場にある限り」
帝国が内戦に突入し、私が敗北すれば立場も変わるだろうが。それでは帝国から追放されて、帝国にいる人たちとは結婚できないんだよね。
私は公爵家令嬢という立場と同時に悪役令嬢という立場もあるのだ。
「あなたの手を掴んでいれば自由になれる気もしました。それだけあなたは自由奔放に生き生きとされている。あなたのその手は自由への切符のように思えた」
ラインヒルデ君はそう告げて私の手を恭しい仕草で握った。
「私たちは不自由仲間だね。君のことをラインヒルデって呼んでもいいかい?」
「ええ。もちろんです」
ラインヒルデ君はそう告げて私の手にキスをして、にこやかに笑った。
この時のラインヒルデ君は少し自由になれたのだろうか。
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