悪役令嬢、金策に走る
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──悪役令嬢、金策に走る
「真剣にお金が足りない」
私は魔女協会本部でそう告げる。
「なんだ。そんなに金が要るのか?」
「そうなんです。お金がいるんです」
時期は夏休みも終わり、高等部1年の2学期が始まったころ。
私は資金不足に悩んでいた。
資金不足と言ってもお小遣いが足りないとかそういうレベルの話ではない。もっと大きな話である。そう、帝国内戦に敗れて第三国に逃亡したのちに、異国の地で再起するために必要な資金のことだ。
調べてみたら、ヘルヴェティア共和国で企業を興すには国に300万マルク相当の資金を税金として納めなければならないとかで。
今のところ私がヘルヴェティア共和国の銀行に収めている資金は750万マルク。300万マルクも税金を取られたら、450万マルクしか残らない……。
そして、起業に必要な資金もいろいろと調べたが、大きな会社をやるとなると500万マルクは初期費用で必要になるとか。無理に大きな企業にこだわらなければ450万マルクでも十分に企業はやれるのだが、それだとフリードリヒに負けた気がする。
そういうわけでお金が足りないのだ。
「冒険者ギルドで稼いでいるのではないのか? この間は水竜を討伐してそれなり以上の報酬を受け取ったと聞いているが」
「もっと水竜とか炎竜が出没してくれれば安定した収入になるんですけど、いつものクエストは多くても2万マルク程度ですからー」
冒険者の収入は不安定である。
炎竜や水竜のような化け物が出没したときには危険なクエストかつ至急達成しなければならないクエストなだけあって報酬がたんまりと振る舞われるが、いつものちょっとした魔獣の駆除では大した報酬はでない。
普段の魔獣駆除も危険なクエストではあるが、いかんせん炎竜や水竜ほどの環境に影響を与えるレベルの化け物は稀だ。なので、クエスト依頼主も足元を見てそこまでの報酬は支払わないのである。畜生。
それに高等部に入ってから勉強が難しくなってきて、学生と手伝い魔術師を兼業するのが大変になってきた。本当に二宮金次郎のごとく戦いながら勉強しなければならないかもしれない。
「ふむ。流石に錬金術でもオリハルコンは作れないからな。だが、いい方法があるぞ。薬を売るのだ」
「薬? 風邪薬とかですか?」
私はセラフィーネさんの言葉に首を傾げる。
「違う。非常に甘美な快楽をもたらす薬だ。一度その快楽を味わえば止めることのできなくなるものでな。常習性があるから、一度売れば次も必ず売れる。大儲けできるぞ?」
「それって危ないお薬なのでは……?」
どう考えても麻薬の類である。流石にドラッグの売人になってまでお金を稼ごうとは思わない。人として守るべきことは守るのだ。
「フン。なら相談には乗れんぞ。ロストマジックでまともな金稼ぎなどできるわけがないだろう。禁じられた魔術だぞ。そう簡単に──」
そこまで言いかけてセラフィーネさんがふと何かを思い出したように立ち止まった。
「ああ。あるにはあったぞ。これならロストマジックだと分からないし、他者を害することもなく、退屈に金が稼げる。やってみるか?」
「なんです、なんです? 興味ありますけど!」
私はセラフィーネさんが1冊の本を取り出すのに、興味津々で本を覗き込んだ。
そこに記されていたのは──。
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「諸君! 綺麗になりたいかー!」
「わー!」
魔女協会本部でセラフィーネさんから“退屈に稼げるロストマジック”を教わったその次の日、私は真・魔術研究部の部室で声を上げていた。
綺麗になりたい。これは女性の普遍的な欲求である。
セラフィーネさんが教えてくれたのは、この綺麗になりたいという欲求を叶えるものだった。すなわちロストマジックによる美容術である。
……美容術が何故ロストマジックに指定されたのか、はなはだ疑問なのだったが、セラフィーネさんに言わせると女性の間で凄まじい殺し合いが起きたそうな。嫉妬は本当に怖いね。
「じゃあ、私が美容にいい方法を諸君に伝授しよう! これから暫くは我々は美容研究部だ! 協力してくれるな、諸君!」
「はい、アストリッド様!」
今からミーネ君たちに手伝って貰うものは表向きはロストマジックではなく、民間の美容術ということになっている。
錬金術とブラッドマジックの複合で、セラフィーネさん曰く効果は絶大らしい。
「まずはお鍋の準備! 次にこのバートリ社のブラッドソープを砕いて入れる! それからこの“パラケルススの悩み”を数滴! 弱火でコトコトと煮込む!」
「アストリッド様。“パラケルススの悩み”とはなんですの……?」
「ロートスの実を中心に作った特別なエッセンスだ、ロッテ。詳しくは気にするな!」
ロートスの実以外にも水竜の血やらなにやら入っているが体に害はない。錬金術の重要素材のひとつなのだが、これは完璧にロストマジックなので詳細は明かせないぞ。
それからバートリ社のブラッドソープは実は秘かに錬金術が使われていて、錬金術の素材として有効らしい。バートリ社が錬金術と知ってて使っているのか、それとも知らないで使っているかは謎だ。今は追及する必要もない。
「コトコト煮込んで、素材が十分に混じったら魔力を注ぎます。あまり注ぎすぎないように。大体このお鍋のサイズで15MPほど注げば十分です」
私はそう告げて魔力測定器を使って、ちょうど15MPの魔力を注いだ。これだけ精密な魔力調整ができるのも日ごろの鍛錬のおかげである。
「これで美容エッセンスが完成だ! 私が試してみよう!」
まあ、効果は保証されているけれど、皆を安心させるために、ここは私がモルモットになろうではないか。お猿のピンク君ではどこかどう綺麗になったのかさっぱり分からないからね。
「使い方は?」
「こう疲れの出やすい目元やぷにぷに感が欲しい頬に塗って……」
私は出来上がった美容エッセンスを目元や頬にぬりぬりする。
「温かくなるまで魔力を注ぎます」
魔力を注ぐと美容エッセンスがぽかぽかしてくるのが分かった。
「後は暫くそっとしておいて……」
待つこと15分。
「できあがり!」
私はタオルで顔を拭くとミーネ君たちを見渡した。
「……目の下のクマが消えてますわ!」
「……アストリッド様は元々お美しいのであまり変化がわかりませんわ」
あれー? 反応がいまいちだぞー?
「ほらほら。ほっぺ触ってみてよ。ぷにぷにだよ。10代の若さだよ?」
「アストリッド様は普通に10代なのでは……って本当にぷにぷにですわ!」
私の頬を触ったミーネ君が感嘆の声を上げる。
「最近は勉強も難しくなってきてストレスもたまり、美容にも影響が出ているだろうが、この美容エッセンスがあれば問題解決! あなたにストレス前の美しさを! みんなで若々しくなろう!」
「わー!」
高等部になると勉強が難しくなってストレスも蓄積しやすく、勉強のためについつい徹夜しちゃってなおさら美容によろしくない。
なので、この美容エッセンスを使ったエステ商売で儲けるのだっ!
「これからどんどんこの美容エッセンスを量産して、高等部の学生たちに宣伝するよっ! 収入の3分の1は部費の足しにするからね! 残り3分の2は山分けだ!」
「山分けだなんて。アストリッド様が考案されたのですから、アストリッド様が全ていただかれていいと思いますわ」
「そ、そう? なら、遠慮なく貰っちゃうよ?」
どれほど稼げるか不明だが、需要はあるはずだ。これで放課後の時間を潰さずに、お金稼ぎができると考えれば少額でも儲けものである。
「さて! 宣伝のポスターを貼ってくるね! 高等部と職員室を中心に!」
私は颯爽と自作の宣伝ポスターを抱えると、ブラッドマジックで高等部の校舎に走っていった。職員室前にも貼るが、流石に教師陣が釣れるという見込みはあまりないが。
「ペタ、ペタと」
「おい。アストリッド嬢。今度は何をしている?」
おっと。職員室前に堂々とポスターを貼っていたらベルンハルト先生とうっかりエンカウントしましたよ。
「美容エッセンスを真・魔術研究部で作ったのでその宣伝です!」
「はあ。なんだかお前の部活は何をしてるかさっぱりだな。で、1回の施術で5000マルクか。ちょっと高くないか?」
「いえいえ。女性は若返れるとしれたらこれぐらいはぽんっと払ってくれますよ」
ベルンハルト先生が怪訝そうにポスターを眺めるのに、私が先生の手を取ってぷにぷにの頬を触らせてみる。
「おーっ。確かにもち肌だな。だが、お前ぐらい若かったら当然じゃないか?」
「いやいや。最近は主に理系の科目で苦戦して勉強、勉強とストレスだらけ。学校の勉強だけでは追いつかないので、徹夜して勉強することもありますし。この間までお肌がかさかさでニキビもできてたんですよ。それがこの通り!」
ベルンハルト先生が私の頬を遠慮なくむにむにするのに、私はそう返した。
「……ところで、先生そろそろむにむにしなくともいいのでは?」
「ああ。悪い。つい触り心地がよかったからな。まあ、これなら女性教師なんかは惹かれるかもしれんな。俺もさりげなく宣伝しておいてやるよ。部費集めの一環だろう?」
「ま、まあ、そんなところです」
まさか儲けの3分の2を懐に入れるつもりだとは言えない。
「まあ、頑張れよ。ところでエルザ嬢のことは面倒見てくれてるか?」
「最近はフリードリヒ殿下が主に。私は勉強で分からないところを聞かれるぐらいと、エルザ君が周囲に好意的に受け入れられるようにエルザ君の良さをアピールしているぐらいです」
「フリードリヒ殿下が、か? それはちと不味い気がするが……」
まあ、皇子と平民が付き合ってたら不味いって思いますよね。
「大丈夫ですよ、ベルンハルト先生。エルザ君は最後には報われますから」
「報われる?」
物語ではエルザ君はフリードリヒと共に鉄と炎の時代をなんとか乗り越え、確かな絆を結んで、フリードリヒが皇位継承権を放棄してでもエルザ君と一緒になると決断するのだ。そして、その告白を受けたエルザ君は卒業式の日にフランケン公爵家の令嬢だと判明するのである。
これは先の先の話だから、今は話しても信じて貰えないだろう。
「エルザ君のことは私も注視してますから、大丈夫ですよ」
「そうか。助かる。だが、学生で解決できない問題があったら遠慮なく俺に相談するんだぞ。平民の転入生でフリードリヒ殿下と親しいなら何も起きないはずがないからな」
頼りになるな、ベルンハルト先生は。
いざとなったら本当にベルンハルト先生を頼ろう。いつもくたびれているというかやさぐれている感じだったので相談しにくかったのだが、私ひとりでは解決できない問題も出てくるだろうし。
「じゃあ、まずは美容エッセンスの宣伝、お願いしますね!」
「ああ。話を広めておいてやるよ」
こうして私たちは別れた。
その後、思いもよらぬ事態が!
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「番号札を持ってお待ちください! 順番が来たらご案内します!」
「番号札12番の方―! どうぞー!」
真・魔術研究部の部室前には長蛇の列ができていた……。
ポスターを貼ったのは昨日のことなのだが、大勢の学生や教師が集まってきている。長蛇の列だ。そんなにみんな若さを求めているのか……。
「魔力を注いで15分待つこと、これで完成です! どうですか、見違えるようになったでしょうっ!」
「うわあっ! きらきらしてる!」
私が美容エッセンスをぬりぬりして、魔力を注ぐこと、15分!
ストレスと徹夜で荒れた肌がぷにぷにになってクマまで綺麗に取れたのに、高等部2年の先輩が驚きの声を上げた。これは効果絶大ですよ。
「素敵だわ! こんなものがあったなんて!」
「ふふふ。数には限りがありますので、これぞというご友人に紹介なさってください」
「これは誰にも紹介したくないわね。この美しさは私だけのものにしておきたいものですから!」
いや、宣伝してよ。
「あれ? アストリッド様、数に限りがあるんですか?」
「原材料がねー」
原材料のひとつである水竜の血液はたっぷりと採取しておいたけど、それでもこのまま使い続けると底が尽きる可能性があるのだ。なので在庫に制限があることは主張しておかなければ。
「さて、どんどん行っちゃおう! もう既に6万マルクは稼いでいるぞ!」
「わー!」
これで4万マルクは私のものだ。ちょっとした魔獣退治並みの報酬に匹敵する額をゲットできているぞ! やったね!
「次の方ー!」
「やあ、アストリッド様」
私が次の人を呼ぶのに現れたのはラインヒルデ君であった。
「あれ? ラインヒルデ君も美容エッセンスの施術を?」
「ええ。舞台に立っているとやはり自分の外見が気になりますから」
そうか。舞台という大勢の人に目立つ場所に立っていれば、自分の外見は特別に気になるものだよね。納得、納得。
けど、ラインヒルデ君は美容エッセンスが必要なほどの人間には見えないのだが。
「では、そこのベッドに横になってください」
「ああ」
私が告げるのにラインヒルデ君がベッドに横になる。
「では、まずはこの美容エッセンスを塗りますね」
私はラインヒルデ君の顔に美容クリームを塗る。
「アストリッド様は手が温かいね」
「そうですか?」
私が手でぬりぬりするのにラインヒルデ君が小さく笑ってそう答えた。
「熱くないですか?」
「ちょうどいいよ」
うーん。これでいいのだろうか。
「これで完成です!」
そして、待つこと15分。ラインヒルデ君の施術が完成した!
「どーだい、ラインヒルデ君! 出来上がりはこんな感じだよ!」
ラインヒルデ君の肌はぷりぷりで、演劇部の主役に相応しい顔になった。
「ああ。これは素晴らしい。流石はアストリッド様の美容術だ」
正確には私じゃなくて魔女協会のセラフィーネさんのおかげだけれどね。
「また肌が疲れ始めたら、来ていいかい?」
「その美容エッセンスの数に限りがありますから……」
ラインヒルデ君が笑顔で告げるのに私は視線を逸らしてそう告げる。
「そうか。残念だな。君に私の体を触れて貰う機会なのに」
「へ?」
最後にラインヒルデ君は意味深な言葉を残して去っていった。
ど、どういうわけなんだろう。
「アストリッド様! 次のお客様を通していいですか!?」
「いいよ! じゃんじゃん連れてきて!」
こうして私たちは美容エッセンスでじゃんじゃん稼いだのだった。
高等部の学生はもちろん教師陣もやってきて、大盛況であった。僅かに7日で水竜の血が尽き、そこで惜しまれながらも店じまいとなった。
稼いだ額は総額30万マルク!
このうち10万マルクを部費とし、20万マルクは私が戴いた。
思いがけぬ報酬に私はにっこり。
これでお家取り潰しになったとしても安全だぜ!
……しかし、ラインヒルデ君のあの発言は本当に何だったんだろうか……。
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