その名は悪役令嬢
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──その名は悪役令嬢
家屋が燃えている。街が燃えている。宮殿が燃えている。
炎が立ち込め、黒煙でむせそうになる都市はかつては文化の中心地とすら呼ばれた偉大なる都市であった。文化──文芸作品、音楽、歌劇。様々なものが生み出される文化の中心地であった。
それが今や廃墟と化している。
その崩れ落ちた文化の都市を私が進む。
その右手にはあまりにも大きな砲──口径120ミリライフル砲を備え、火砲を以てして都市を廃墟に変えた私は廃墟の中を進む。私の邪魔するもの全てをその砲で薙ぎ払い、有無を言わせずに宮殿に向かって黙々と進んでいく。
辛うじて生き延びた兵士たちがクロスボウから矢を放って抵抗するも、私は矢の弾道が見えているかのような人間離れした動きでそれを回避する。
──第3種戦闘適合化措置は大成功だな。身体能力ブーストと共に反射神経も大幅に増強されてる。敵の放つ矢は止まって見えるようだ。回避するのにも苦労しないし、お礼を差し上げるのにも苦労しない。
そして、兵士たちにはお礼の砲弾をプレゼント。はい、どうぞ!
「さて、ブラウ、ゲルプ、ロート。周辺に残党は?」
私はそう問いかけながら、3体の妖精──3頭身でひらひらしたドレス姿がキュート──にして私の眷属の見ている視界を共有する。
視神経に映像が流れ込み、それがウィンドウのような窓に表示される。3体の妖精が見ている3つの光景に私は同時に目を走らせる。
『宮殿の前に兵士が立て籠もっていますです、マスター』
『後方には敵影なし』
『周辺クリア!』
いやはや妖精は適合者にしかその存在が探知できないために、偵察ドローンにはもってこいだな、本当に。本人たちはちょっと嫌がっているけれど、後でお菓子を上げたら機嫌を直してくれるだろう。
私は既に抵抗もできなくなった兵士たちの死骸の中を進んでいき、壊れた馬車や急ごしらえのバリケードを砲で景気良く吹き飛ばしながら、鼻歌でも歌いたい気分で宮殿へと向かっていく。
宮殿の前には近衛兵たちがいた。この戦争で激戦地にも繰り出した兵士たちだ。あの藍色と白の軍服には見覚えがある。
「ハハッ……。冗談だろう。戦場でよくあるフォークロアだと思ってたのに、実在したのかよ。こんな化け物が存在したのかよ」
近衛兵のおじさんがひきつった笑みを浮かべ、同時に乾いた笑いも漏らす。
「赤の悪魔。竜殺しの魔女。プルーセンの懲罰。こんな怪物が何故存在している。おかしいじゃないか。こんな、こんな単騎で我らが帝都を襲撃し、火の海にするだと。あり得るはずがない。なのに何故お前は……」
近衛兵のおじさんは心底理解できないという顔で私を見る。
「諸君の視野が狭いのが失敗だよ。私は今ある魔術だけでこれを成し遂げた。多少の才能はあったかもしれないが、創意工夫を諦めず、魔術を追求し続けたからこそ、私はこうして諸君らの前に立っている。それ以上に説明が必要かな?」
私はにこりと微笑んで近衛兵のおじさんにそう尋ね返した。
「化け物だ……」
「勝てるはずがない……」
「悪魔め……」
近衛兵たちは哀れにも恐怖に震えて、私にクロスボウを向けている。
「ならば、問おう、赤の悪魔。お前はまだ子供ではないか。人を殺して、これだけ大勢の人を殺して何故平気でいられる。お前が破壊したものの中には女子供もいたのだぞ。兵士とて帰れば家族がいた。何故平気でいられる……!?」
近衛兵のおじさんの言葉は退屈なものだった。
「いいかな。人殺しを躊躇うのにはいくつかの脳のモジュールが作用している。いわゆる人殺しを行う上でもっとも障害となる良心もいくつかの脳のモジュールが関係している。だが、もしそれらのモジュールを強制的に停止出来たら?」
まあ、これは私の自慢の話だ。
「まさか、そんなまさか。ブラッドマジックで自分の脳を弄ったのか? そのモ、モジュールというものを止めるために? 自分から良心を取り去るために?」
「その通りだ。今の私には良心も慈悲も憐憫も存在していない。ただただ敵を排除するための戦闘機械だ。相手が敵兵なら容赦なく引き金を引ける。私のこの攻撃で巻き添えになった人間がいたとしても憐れむ心はない」
私は成し遂げたのだ。人間の脳を真に戦闘に向いた形にすることに。
「貴様は化け物だ。良心の欠けた殺人機械など怪物でしかない。普通の兵士ですら、敵を殺すことを躊躇うことがあるというのに」
「それが兵士として欠陥なのだよ、おじさん。兵士に良心など必要ない。全員が鼓笛隊の合図で前進し、死を恐れることなく、相手が全滅するまで戦う兵士こそ真の兵士。そうじゃないかな?」
はてさて。近衛兵のおじさんは戦争にノスタルジーを感じるタイプか。私とは趣味が合わないな。私は徹底的な効率化を求めるタイプだ。古い戦場の姿など見るに堪えない。人殺しが職業の兵士が敵を殺すことを躊躇うとは嘆かわしい。
「愛国心すらもないのか?」
「うーん。ないね。今の私は敵を殲滅することにだけ関心がある。もちろん、祖国の人々がそれで喜んでくれるならば嬉しいと思うだろう」
愛国心、ねー? ちょっとヒロインに意地悪したぐらいで公爵家を追放するような国のどこに愛国心を感じればいいのやら。
「さて、そろそろお話も終わりでいいかい。私はこの素敵で豪華で壊し甲斐のある宮殿をまっさらな更地にするという仕事が残っているんだ。お喋りも楽しいけれど、仕事に差し支えるのはよくないからね」
私はそう告げて無造作に砲口を近衛兵たちに向ける。
弾種、榴弾。連続射撃。
「悪魔がっ! 貴様は必ず地獄に落ちるぞ!」
「悪魔、悪魔と人を何だと思ってるんだ。私には両親から貰った立派な名がある」
近衛兵のおじさんの叫びと同時に砲が火を噴いた。
砲弾が着弾すると爆炎が舞い上がり、バリケードごと近衛兵を吹き飛ばす。私とすぐさきほどまで喋っていた近衛兵のおじさんも吹き飛ばされて、この街にあふれる物言わぬ屍の仲間入りだ。
リボルバータイプの自動装填装置が次弾を自動的に装填し、私は生き残った近衛兵たちに向けて砲声を高らかに鳴り響かせながら、砲弾を叩き込む。
「ブラウ。敵はもういない?」
『いないです、マスター』
私が熱を帯びた砲を天に向けて尋ねるのに、妖精のブラウがそう返す。
『しかし、いいんですか、マスター。ここまですることないのに……』
「必要だよ、ブラウ。敵は私たちを甘く見ている。連中には思いっ切り恐怖というものを堪能して貰わなくちゃあね。それに実戦でのデータも取りたいし」
まあ、実戦のデータが欲しいのがほとんどの理由なのだけれど、ね。てへっ♪
そして私は宮殿に砲口を向ける。
「ああ。言い忘れていた。私はアストリッド・ゾフィー・フォン・オルデンブルク。飽くなき魔術の探究者にして、人間弾薬庫。ついでに悪役令嬢などをやっています。どうぞよろしく、皆さん。そして、さようなら」
私はそう告げてニッと笑いと立派な宮殿を瓦礫にする作業を始めた。
立派な宮殿を木っ端みじんに破壊ってのは最高にクールだなと私は思った。美しいものこそ、壊れる瞬間が最高だ。まさに破壊という行為を行っていると心の底から堪能できる。こんなチャンスは滅多に来ないしな。
さて、どうしてこんなことになっているか過去を振り返ってみようか?
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それは私ことアストリッド・ゾフィー・フォン・オルデンブルクが4歳の時だ。
アストリッド・ゾフィー・フォン・オルデンブルクという馬鹿みたいに長い名前の少女は炎のように真っ赤な赤毛がチャームポイント。いつも自慢げにこの真っ赤な赤毛を見せつけ、腰まで伸ばしていた。
で、従妹のイリスが遊びに来たと聞いて大急ぎで階段を駆け下りていた私が、階段の5段目から床に顔面ダイブした日に私は全てを思い出した。
……私には前世の記憶がある!
不味い案件ではないから静かに聞いて欲しい。お願い。
私の前世はようやく成人に達して1年の大学1年生だった。ちなみに学部は文系。
私はちょいミリタリ女子でにわかながら楽しいオタク生活を楽しんでいた。お気に入りの軍艦と戦車と戦闘機は……とか話していると話が脱線するので元に戻そう。
私は晴れて志望校の大学に入学して1年目から自由な一人暮らし&楽しいオタク生活を満喫していたはずなんだが、気付いたら4歳の幼女になっていた。一体全体、何が何だか分からない。本当に訳が分からない。
だが、はっきりと分かるのはこのアストリッド・ゾフィー・フォン・オルデンブルクという名前だ。これは私が前世でオタ友達に半ば押し付けられるようにしてプレイした乙女ゲー“流れ星に願いを込めて”に出て来るキャラクターの名前と完全に一致したのだ。
それから全てを思い出すまでに時間はかからなかった。
この国の名前、プルーセン帝国。このプルーセン帝国を治める皇帝陛下の名前、ヴィルヘルム3世。私が入学予定の学校の名前、聖サタナキア魔道学園。そして第1皇子殿下の名前、フリードリヒ。
全てがあの“流れ星に願いを込めて”の世界の設定なのだ。
一応借りただけあって全ルートクリアした私には全てが分かる。
まずこのゲームの主人公は私ではないこと。
私は俗にいう悪役令嬢であり主人公の邪魔をするポジションであること。
そして、ヒロインと攻略対象が華やかなハッピーエンドを迎える中にあって、この私だけはどのルートでもお家取り潰し&国外追放という末路を辿るということ。
普通の人ならばここで人生詰んだ! と思うだろうが私はそうではない。私はいつでも前向きに生きることをモットーとしているのである。
私の記憶するところによれば、私には主人公のライバルになるだけの魔術の素質があったはずである。そう、この世界では魔術が存在するのだ。人々とは魔術によって豊かな暮らしをしているのである。いわゆる剣と魔法のファンタジーワールド。
ならば、ならば、だ。
私の魔術の素質を磨きに磨きまくってバッドエンドの運命を返り討ちにしてくれればいいのではないか!
そのために役に立つのが前世の知識。
私はにわかながらミリタリ女子である。敵の強固な戦車の装甲を撃ち抜く砲弾のメカニズムや、自由に空を飛ぶ戦闘機のメカニズム、狙った相手は外さない誘導弾のメカニズムについては多少なりと知識がある。
私が知る限り、この世界ではまだこのような魔術や兵器は開発されていない。だって、剣と魔法のファンタジーワールドだもの。
ならば、ならば、である。
私の魔術の才能を早々に開花させ、未だに発展途上のこの世界の魔術に私の萌え──燃えてやまない現代兵器技術のそれを調和させ、待ち構えているバッドエンドをぶち抜いてやればいいのだ!
うん! 最高の計画って感じだっ!
「これに賛成な方は挙手を願います」
「賛成です!」
「賛成!」
「賛成!」
アストリッド脳内会議において今後の方針は全会一致で可決。
かくして、私の人生の目的は4歳にして定まった。
ひとつ、魔術の才能を開花させるために鍛錬を怠らないこと。
ひとつ、この世界の魔術と現代兵器技術の融合を成功させること。
ひとつ、なるべくならバッドエンドになりそうなことは避けること。
ひとつ、お家取り潰しになっても大丈夫なだけの能力の獲得と貯蓄をしておくこと。
これだけやっておけば何が起きても大丈夫に違いない!
そう考えたその日から私は知恵熱を出して、7日間寝込む羽目になってしまった。両親は大慌てで治療師さんを呼んで治療したものの、私の急激に思い出した記憶を私の小さな脳は受け取り切れずに、熱は7日続いた。
だが、熱から覚めたとき、私は決意を新たにした!
何が何でも運命のバッドエンドなんて迎えたりはしない! バッドエンドが待ち構えているならば、私の持ちうる火力を以てして粉砕してくれると! 私は物語の中の惨めなアストリッドとは違うのだと!
さあ、寝てなんていられないぞ、ガーデルマン! 今日から魔術の特訓だ!
え? 魔術の訓練は学園に入ってから?
それじゃ遅いんですよ、お父様!
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次話を本日20時頃投稿予定です。