原朝鮮人
ハプロに関する様々な事を書いてきてこれを考えないといけないと思い至った。私が重視するのは初歩的な考古学の知識程度を無視して遺伝データだけで好き勝手な妄想を並び立てる事に不快になったのが大きい。そしてその根本には嫌韓、嫌華が絡んでるのがさらに不快感を増す。知的好奇心で楽しんでるなら好き勝手な妄想も許せるが、大半これが絡んでるので使命感の様なものが湧いてくる。
何故これが強く絡むとかと言うと、自分達は韓国人と無関係だとしたいからと。次に中国ではすでに滅んだ系統と言張りたいからになる。だから今の中国人とは無関係だと言いたい理屈が成り立つ。韓国と中国側は、親と子という関係なので、上から目線で語りたいから日本のこういった姿勢を許さない。どっちも民族的感情論でうんざりする。
さて弥生よりちょっと前からやりたい。まず基本的に昔の半島は日本にとっては大陸からの通り道でしか無い。それじゃ右連中とは同じじゃないか?いやこの辺りは日本もそういう部分がある。たまたま日本は袋小路に後からなって閉じ込められてしまうけど。
ただここで重要なのは、右連中の妄想が何故発生するか?には一応理由がある。日本と同じように人骨が残りにくい事情がある。日本もそれなりの数遺跡があるけど、旧人の人骨だけが空っぽなのはそれがある。ゴッドハンドによる捏造からの話しになる。それまでは居たとなってしまったので。
人骨が出ないから居なかったって理屈は成り立たない。しかも、きちんと出ている。ただその数が極端に少ない。それは他にも理由があって、韓国の考古学はあまり金が入ってないようだ。熱心じゃない。日本の研究者がかなり協力してて、そりゃまあ日本と関係あるからで、それがかなり大きい。ただ根本的に見つかりにくい問題がある。
証拠から考えるのは確かに正しいが、数が少ないのを、ほとんど住んでいなかったって結論をつけるのは間違い。本当に真剣にこれをネットでべらべらと話してる人達が居る。信じられない。考えればすぐに分かる思考のミス。何故こんな馬鹿な事をするのか?その根底には真実を知りたい探究心なんてからっきし無いんだ。あるのは嫌韓を満たせればそれで良い。この理由を知ってから私はもう右連中の言う事は疑ってかかる事に決定した。私も鵜呑みにして最初騙された。そこから調べてあまりに稚拙な論理展開にすべて疑ったほうが良いと考えを改めたから。
通り道でしか無い部分で、細切石器文化の伝播は半島でも追えるから。当然これ使っていた人達が居る。やけに新しいなとなるけど、根本的には通り道としての関心も私も無い。目的は弥生人に繋がる人種の特定だから。韓国の起源とかそこまでやる気は無い。
ここから想像できるのは、C2Cの系統になる。どうやって伝播したのか?は現在のハプロからC2Bからの文化の伝播か?緩衝地帯での混血と見ている。直接はおそらく来てない。それぐらいびっしとこの2集団は半島付近では別れている。
満州やモンゴル高原と半島が違うのは、満州やモンゴル高原は、C2CとC2Bが雑多に同居している。特にモンゴル高原はどっちも均等に居る。シベリアのC2Bと、中国のC2Cがぶつかり合う場所がモンゴル高原となる。ブリヤート人が特異なのは、ここより少し北のバイカル湖までC2C集団として北上してるから。他にもちらほらいるけど、基本的にはいない。
新モンゴロイド誕生の前はおそらくC2Cが、半島の住民だと見ている。D系は現在の状況からおそらく居ない。さて問題はこの後の住人で、ここでD系が住んでいた可能性がある。D系は元から住んでいたのじゃなくて、おそらく日本から移住したと見ている。韓国に残るD形が明らかに日本で変異した血統だから。しかも満州にD系がいるのだが、チベットと日本人が同居している。戦争時代の物なのか?ならそうかもしれないし、なんとも言えない。戦争時代じゃないか?予想できるのは、かなり変異の数が多い系統なので、どうなのかな?と思ってしまうから。韓国はこうじゃない。
D系が残っていたという考えは私は否定的。韓国に土着の古モンゴロイドが居たのならそれは新モンゴロイドしなかったC2Cだと見ている。
ただ日本の北方系縄文人も高身長の特徴は出ていて、それはカムチャッカ半島から入ってきたC2Cだろうと見ている。弥生の様な劇的な変化は無いので、おそらく完全には新モンゴロイド化してないと予想できる。
新モンゴロイド誕生の時期は特定されて無いが、おそらくヤンガードリアス期の寒気の戻り移行の1万年より前の付近だと見ている。この後温暖化して日本列島は今に近い形になる。だからその前となると、まだぎりぎり新モンゴロイド誕生の前じゃないか?と見ているから。
かなりの後の時代で縄文時代の遺跡から人骨が半島出ていて、この形質は明らかに古モンゴロイドの特徴が出ている。この人達は一体誰か?でC2Cか?日本から移住したD系か?となる。
ただし、ここで慎重に考えるべきなのは、日本が交流をし始めた時期がかなり後になる。その前には縄文人は頻繁に半島に行き来していた証拠が無い。なら一体誰と交流していたのか?となる。その人達は当然日本の縄文人じゃない。それゆえC2Cが原住民として残ってる事の重要性が出てくる。
後アメリカに行かなかったQが考えられるが、古代大活躍したのにイマイチ今ぱっとしないのは、基本何故かQはアメリカに行ってしまった比重が高いからになる。これはハプロの理論ですでに理論化していて、移動してきた集団は、父系集団の場合、移動してきた元の父系はぷろはそっくり消えて母系だけのこしていく奇妙な性質がある。
C2Bと一緒に居たQが南下したり、元から中国に居たQなども考えられるが、今の状況から少数だろうとは見ている。遺骨からハプロを考えるのは不可能に近い。ただ当時のハプロが日本に残ってるのである程度は想像できる。もちろんQは日本でも少ない。重要なポイントは原朝鮮人と言うべき古モンゴロイドは居たという事実だけはある。
ただそれが縄文人なのか?は分からない。縄文人は最初満州シベリア沿岸と交流をしてて、韓国に当たる東部海岸と交流したのはずっと後のことだから。これはソバやヒエの栽培で分かっている。これは日本になく北方で盛んに栽培されていた作物なので、行くか来るか?無いと栽培するのは不可能だから。
それは地域的に新モンゴロイドだと予想できる。来た場合弥生の様な極端な形質の変化など無いので、少数だと結論付けられる。何度も書くがやや高身長の北方縄文人が居たのは事実なので形質の変化が無いわけじゃない。ただ弥生は劇的だったのが私にも分かるので。
半島に誰が居たか?で満州シベリアには新モンゴロイドの人骨が見つかってる。そもそも北方ほど古い人骨が見つかりやすい。じゃ何故いつどこで誕生したか?は分からないのか?となるとその辺りは私にも分からない。
かなり高い確率で弥生に近くなるほど、縄文人が半島に住んでいた可能性は高い。これには縄文土器の発見がある。ただ縄文人だけが住んでいたとなるとおかしな事が多数ある。全く別系統の遼河半島や満州起源の土器も見つかっているから。古モンゴロイド以上の縄文人だと特定できる人骨データは私が知る限りは無いと思う。あくまで縄文土器からの推測になる。
この人達がどうなったのか?だと突然消えてしまう。後は良く知ってる弥生系渡来人の人達に変わってしまう。混血か?滅んだか?この辺りは分からないけど、分かってるのはその時期でも見つかるのは日本から来た縄文人では?と思う骨になる。
生き残った可能性は無いのか?となると日本に弥生文化が入ってきたちょっと前になり、渡来系の村に縄文人らしき骨が見つかっているから。日本に着てからの混血では?となるとこれがうーん、基本的に初期は別れて見つかっているらしい。それゆえ交流が始まった時期とずれているからとなるらしい。向こうにすでに同化した縄文人系統子孫が居て、日本にやってきたと考えるほうが自然らしい。
それが土着の可能性は?これはもうなんとも言えない。半島側でも縄文後期に古モンゴロイドの人骨もたまにみつかるらしくて、今でもハプロにD系が僅かに残っていてこれでは無いか?と。
C2Cの新旧を区別できない問題があるけど、私は土着の人種は滅んだか同化したと見ている。考えてみると分かるが、何故縄文人の特徴が顕著に出たか?混血が無いか?少ないからになる。土着のC2Cならば、長く一緒に暮らしてないと同じ村で文化を共有する理由が無い。それは当然すでに混血が激しくてもとの形質なんて消えてしまうに決まってるから。故に縄文人だとしないと理屈が通らない。日本に独立して縄文人の集団があるから成り立つ話しになる。早くから数の多い新モンゴロイド集団と接触していた原朝鮮人が形質を保つのは不自然。
弥生時代付近やっと渡来系弥生人に似た人骨が半島南部で発見される。ただし、この人骨やや古モンゴロイドの混血の様な様相を見せる。さてこれはどう捕らえるか?古モンゴロイドが姿を消したのはこの時代以降新モンゴロイドの特長を持った人骨だけがみつかり、古モンゴロイドは唐突に縄文人らしきものだけが発見される事になる。
ただしごく僅か、おそらく縄文人または渡来系との混血したような人骨は見つかる。これも先ほどのように突然古モンゴロイドが現れるので日本からだと思えば良いのと、日本の移住者がかなりあとならはっきり居たことが文献に残ってるので初期にもそういう事があったと考えてもおかしくはない。
後は時代を経て縄文人の居住地域以外は渡来系弥生人と似たような人骨のみになる。
後考える事は江南と満州どっちから来たのか?になるが、これがほとんど区別が付かない。古代は江南では古モンゴロイドの形質を持った人骨が発見されているが、弥生時代を迎えて個人差の範囲になってしまう。特に旧石器時代は縄文人と変わらない人骨も発見されていたが、それはすべて消える。それよりは新モンゴロイドに近くなる南方系の人骨が発見されるのが長江文明の頃になる。
ただ弥生時代に差し掛かる戦国時代はもう新モンゴロイドの形質を持ったものにかなり近くなってしまう。身長がやや低いなどあるが、縄文人と弥生人の差ほどじゃない。
ただ弥生人に一番似た大陸の人骨は山東省の人骨になる。ここは一番日本と近いのとおそらくここから稲作が伝播してるので、朝鮮南部にもこの人達は移住している。ほぼ弥生人と言って良い形質で大陸からは江南からよりこちらの方が来ていると見ている。
特にこの人達は半島南部にも移住してると思われるので、そこから日本に来た場合、直接来たのか?間接的に来たのか?が文化でしか分からない。
文化的伝播から、満州は、北方ツングースと、大陸は山東省、または江南地方(こちらはあまり無かったと見ている)。ただハプロ的にはおそらくO1B2が北方ツングース系だと思われるので、実際はすべて江南起源の系統だといえなくも無い。
MDNAから明らかに北方起源の流入が分かるのだが、おそらく父系は江南起源ばかりだった可能性がある。母系の混血によって、ツングースの遺伝子が持ち込まれただけで、大半の父系は大陸南部の系統だと思われる。
都合よくというか、父系のハプログループを特定できる当時の人骨は一切発見されて無い。
再び古モンゴロイドに戻って、実は日本と似ていたと言う証拠があり、現代の半島の人にもMDNAで日本の縄文系と似たものが残っている点。ここから絶滅したのではなくて、おそらく混血したのだろうと。ただし、それは日本から移住した縄文人だったのでは?これについては再度否定できない。
江南には特徴的なO1B1とO1Aの系統が残っている。ただ日本には極端にこの系統は少ない。私がプロト中国人と読んでいるO2a2b1なら山東省でも、満州でも、江南でもごろごろと見つかる。特に弥生時代なら中国南部もO2a2b1が広がっている。この辺りといえば有名なのはミャオ族。O2a2a1a2これがミャオ族の系統になる。
当然日本には皆無。特にこの系統はほとんど居ない。中国の南方から来たと言う証拠は人骨とMDNAになる。ただし一番良く似た人骨は山東省になる。これはおそらく半島南部に移住した稲作民族もこの系統の人なので、似てきて当たり前になる。
中国はどこから来ても大体O2a2b1の系統になってしまう。特に日本に特殊な地域性のあるハプロがほとんど無いのが大きな問題。もし日本に現代中国に残ってる南方の特徴的なハプロが多数あるなら起源がすぐ分かってすっきりしていたのだが、なんともO1B2の存在が悩ましい。
今回の目的として、古代朝鮮は無人だったはおそらく出鱈目。ただし、縄文時代の人骨は出土は本当に少ない。それでも、多くのネットに転がる話は日本に稲作が渡来する時期も居なかった事になっている。それはほぼ間違い。
普通に考えて、江南から山東省の沿岸部から日本に来るなら朝鮮南部にもたどり着く可能性は当たり前に高いし、そのように水田の遺跡が発掘されている。陸路はかなり複雑な話しになる。多分陸稲。陸稲と水稲はかなりタイムラグがあり、やはりO1B2が過去陸稲をもって北上した可能性は高い。先に陸稲栽培がきていて、このせいで陸路で水田が伝わったなどとごっちゃになっている。
移住縄文人または、普通に日本に入ってきた系統が半島に残って土着していた人達が南部に住んでいた。その次に中国沿岸部の人の移住。そして最後に東北部からのツングースの南下になる。
そうなるとO1B2は後から南下したのか?ならこれが半島ではそうだが、日本に出雲から入ってきた可能性がかなり高い。元々出雲は九州北部と違う半島との繋がりがありO1B2は出雲から入って先に少数が広がった可能性がある。そして、やがては、南下する。
支配的な騎馬民族として来たのはおそらく高句麗、百済建国のあたりのふよ族かと見ている。その前のツングースは、ごく少数のNとO1B2ではないか?と見ている。徳島の高いO1B2率と、かつ妙なNO系が高い割合で残ってる点。出雲徳島は古代に何か隠された謎があるような気がしてならない。