初めて触れた世界1
私は消えた筈だった。
それはもうきれいに。
なに一つ残すことはなく。
それなのに未だ空間を認識している。なにもない場所をただ漂うように私はここいる。
ここはどこだろう。
そんな疑問が私に積もっていく。
やはりおかしい。私はあの場所で、世界中の要らないものを集めた山の中で消えたのだ。それなのに私はまだ私を認識している。こんなことがあるのだろうか。私にさらなる疑問が積もる。
この疑問を解決するための参照データが私にはない。データサーバーに接続出来れば、なにか答えが見つかりこの大量の疑問を解決できるのだろうか。
それにしても私がこの空間を認識してからかなりの時間が経っている筈だ。正確な時間なんて私にはわからないし、今までの私が時間を気にすることもなかった。
なのに、この空間ではすることが無い今の状態が余りにもどかしく思う。アンドロイドが思うなどという思考に陥ること自体おかしい。これもエラーなのか。
この場所は私に対して、少なからず、良からぬ影響を与えているようだ。
私が思考している間に、なにもないこの空間が段々と白んでく。
私はどうやらその光源へと向かっているようだ。私を光が包んでいく。とても眩しいそれはまるで私を迎え入れてるようだった。
私のいつもの日課である街の外れにある小さな森の泉の辺りで私は地面に膝を着き、手を重ねた。私は祈りを捧げてる。
「今日も良い天気ですね。少しずつ暖かくなり、そろそろ春の草花が芽吹くころです。私もお母様もお父様もお元気に日々を過ごしています」
ここには私の姉が眠っている。
私が小さいころに亡くなった姉様はとても美しかったと聞く。外見だけではなく、その人となりがとても素晴らしい人物だったようだ。私に残っている数少ない記憶の中でも優しく微笑んでいるような姿が薄っすらとではあるが、とても印象的だった。
お父様やお母様から姉様について色々なことを教えてもらい、記憶に残っている以上に私は知っていた。
だけど、一つだけ知らないことがある。私はなぜ姉様が亡くなったのかを知らない。お父様もお母様もそれについては頑なに教えてくれなかった。
きっと思い出すことが辛いのかもしれない。そう思うと強く訊き出すなんて私にはできなかった。
知りたいという気持ちはあるが、誰かが辛い思いをするのであれば私は自分の興味を押し留めることぐらい容易かった。
私はいつも通り姉様に家族の近況を報告すると、その場を後にすべく立ち上がり、周りを見渡した。
朝の陽光に照らされた小さな泉の水面が鮮やかに光を反射させていた。この辺りは私の小さな頃から変わらない。色褪せない私の思い出をそのまま形にした様な場所だった。
私はもう一度姉の眠る場所へと目を移し、そっと笑顔を向けると帰路へと歩き出した。
来た道を戻るだけなのに何故か新鮮な気分になる。この小さな森は街の近くにある為かそんなに鬱蒼としていない。それでも森であるからか動植物は豊富だ。
春が近づいて色んな生き物たちが冬の寒さから目を覚ましいる。日に日に変わりゆくこの場所は街とは違う雰囲気を私に与えてくれた。そしてそれが私は大好きだった。なんだが冒険しているみたいで。
お父様もお母様も心配性なのか余り私に出掛けて欲しくないらしい。いつも外へ出る時はメイドを側に置こうとする。
本当はここに来る事もあまりよく思っていないと知っている。だけれども、この日課だけは止める気はなかった。
どうせ背後をコソコソとついて来ているメイドも居るのだろうし。
私に見えないところに姿を隠してるのだろうけど、いない筈がない。
私は一度歩みを止める。
「別に、そんな隠れなくてもいいのよ。早く出て来てらっしゃい」
私は誰もいない空間へと投げ掛ける。
「隠れているおつもりありません。フラニーお嬢様。私は見守っていただけでございます」
木陰の中から姿を現し、そう投げ返したメイド姿のこの女性はミルチェという私の家に長く支える一族の一人娘だ。
私より4歳ほど歳が上で私が幼い頃からずっと一緒にいたため、もう一人の姉のような存在だった。背が高く美形の顔立ちは長く伸ばした赤みがかった茶色の髪と同じ色の瞳はよく似合っていた。
ミルチェ自身は髪が長いと仕事に邪魔だと嫌っていたが私は長いほうがいいと思う。
彼女は常日頃その綺麗な長髪を一つにまとめている。これは仕事用の髪型らしい。あまり見せてはくれないが、髪を下ろした姿のほうが個人的に好きだった。
「そう。なら普通についてくればいいでしょう」
少し語句を強めて言ってみる。
「お嬢様に配慮したおつもりなのですが、不快でしたでしょうか?」
ミルチェは優しく微笑んで言った。
私とミルチェは主人とメイドの関係というには些か普通ではない。距離感はどちらかというと家族に近い。私がもう一人の姉と思うくらいには。
この距離感は私とミルチェに限ったことではなく、私の家族とミルチェの家族がこういった距離感なのだ。簡単に言えば家族間の親密な付き合い。と言ったところだろうか。
「不快でしたら謝罪いたします」
「別にいいわよ。わざわざ謝らなくても」
律儀に謝るミルチェを一瞥しながら私は言った。
「ですが、お嬢様。あまり当主様にご心配をおかけするようなことは自重して頂かないと私としても困るのですが。お嬢様も今年で15になられるのですし、責任のあるご行動を……「そんなこと、言われなくたってわかってるわよ!」
私はミルチェの言葉を遮るようにそう言い放つ。この発言、私としては隠れて後をついて来てたことより、よっぽど腹が立った。
「申し訳ありません。差し出がましい発言、謝罪いたします」
それを汲み取ったミルチェはすぐに自ら謝る。
彼女のこういうところを見ると将来は有望なメイドになるのだろうな、と私は思っていた。
「いいわよ。貴方は間違ったことを言ってる訳じゃないし……。でもね。でも、これだけは止めるつもりないから」
「左様でございますか」
私が我儘を言っているのにも関わらず彼女はそれを受け入れる。きっと、ずっと前から私がこの日課を続けていたことを知っていたのだろう。私がコソコソと後をつけて来ている彼女に気づく前から。
今日は結果的にそんな気まずい距離に嫌気がさした私から思わず声をかける結果となった。
私は単純に根負けしたのだ。
だから彼女も説得などという無駄な行為はしない。多分これからもこの日課を続ける私を黙認しながら側で見守ってくれるのだろう。
私はすっと息を吸って、気分を入れ替えるつもりで笑って言う。
「さぁ。そろそろ帰りましょ。春が近いとは言っても、まだまだ朝は寒いわ。早く朝食も食べたいしね」
「承知致しました。では、参りましょう。そういえば、本日のご朝食はフラニーお嬢様のお好きなトマトのオムレツでございます」
優しく笑いながら私に返事を返すミルチェ。
少し気分の上がる私。
私とミルチェの仲など今更こんな些細なことでは揺るがないし、ちょっとの仲違いなど直ぐに元に戻る。私とミルチェは屋敷へと帰るためにまた歩き出した。
私のすぐ背後をミルチェがついていくる。私はこの距離感がやっぱり好きだった。
私とミルチェはその後も他愛のない話をしながら街の入り口近くの小さな街道まで出た。
この時間では、あまり大きくないこの街道に人は滅多にいない。私とミルチェの二人の時間が続く。
そんな時、突如として道の脇の木陰から物音がした。