ちょっと変な妹とシーツ・マントマンの話
前作『ちょっと変な妹とスイカの話』に目を通していただいた方が読みやすいとは思いますが、これだけでも以下の3つを頭に置いて読んでもらえれば大丈夫だと思います。
その1:「俺」は深夜にシーツを羽織って町を徘徊するような人間
その2:「俺」には妹がいる。
その3:去年の夏、スイカ絡みの妹のちょっとした奇行を「俺」が目撃した。
俺とシーツ・マントマンの出会いは12年前の夏にさかのぼる。
5歳の俺は日本一美味しそうな国民的ヒーローに夢中だった。朝のテレビタイムには、画面に文字通りかじりついていたと、今でも昨日のことのように思い出す。
何故かじりついていたのか、それだと画面が見えないだろ、などと思われるだろう。もちろんテレビが美味くてだとか、某ヒーローを思わず食べたくなって、なんて理由じゃない。……後者だと思った人、残念でした。5歳の俺はいたって普通の幼子だったのだ。テレビの中のものに触れないことくらい知っていた。
理由は実に子供らしい。単純に、大好きなヒーローが悪役を倒す勇姿を見たかったから。うちは両親が共働きだったため、毎朝出勤に合わせた早めの時間、負けているヒーローを尻目に保育園に連れて行かれていたのだ。
テレビにかじっては引き離され、かじっては引き離され、そんな俺の目に映るヒーローはいつも濡れていた。
まぁ、こんな経緯があるため、幼い俺の中で某ヒーローは決して強い存在ではなく、あとから登園してくる友人に結末を聞くまでは安心できない、そんな危なっかしい存在だった。
だから思った。「おれがすけだちいたす」と。
そんなときに出会った。時は日曜の朝、場所は家の庭、真っ青な夏空をバックに翻る白いやつ。そう、シーツだ。
とりあえず名前に「マン」をつけてマントを羽織ればヒーローの仲間入りができるのではと幼心に察していた俺は、まだ生乾きのシーツをちっこい両手でひっつかみ、白をまとった体を勢いよく回転させた。
飛び散る洗濯バサミ、空回りする物干し竿、まるで新しいヒーローの誕生を祝福するかのように袖をはためかせるシャツたち。
こうして、シーツ・マントマンは誕生した。
文字の間を区切るのはその頃の俺のブームで、写真を見返すと年齢ごとに決まったポーズばかりをしているというあれと同じようなものだ。
もう少し経ってから知った、間に「=」を使う名前に改名しようと考えたことは内緒。安易な改名だめ。ヒーローは筋が通っている奴が好き派なんです。
さて突然だが、俺の一つ下の妹はちょっと変わっている。
俺の場合は5歳の頃と同じことを17歳になった今もしているせいで変わった奴と認識されるというタイプだが、妹の場合は幼い頃から少し変わっていた。
実は、シーツ・マントマン誕生の場に居合わせたのは洗濯ものだけではなく、当時4歳で俺にくっついて真似ばかりをしていた妹もそうだったのだ。
妹の存在を思い出したシーツ・マントマンは焦った。縁側にちょこんと腰掛ける妹の目は大きく見開かれ、その黒に入道雲まじりの青空を映してキラキラと輝いていた。
俺は、ヒーローは筋が通っている奴が好き派だ。それは5歳の俺もそうだった。「筋を通す」という言葉は知らなくても、何となく、兄として、一つとはいえ年下である妹を思いやるのが正しいことだと感じていたのだ。必然、ヒーローであるシーツ・マントマンもそうあるべきだと。
しかし、シーツは一枚しかない。
俺はぎゅっとシーツ・マントの裾を握りしめて体に引き寄せると、黙って、妹に背を向けた。
シーツ・マントマンは早くもヒーローではなくなったのだ。
たたた、と妹が家の中に駆けていく音がしたあと、俺の肩からは音もなくシーツ・マントが滑り落ちた。
生乾きだった真っ白なシーツは風になぶられ、あっと言う間に土色に染まっていく。俺は立ったまま、薄汚れたそれを長いことじっと見つめていた。
頭のうしろから首もとを夏の太陽がちりちりと焼き、額から目尻へと流れた汗に瞬きを繰り返す。いつもなら心躍るはずのセミの鳴き声にも、何故だか腹立たしいような、耳を塞ぎたくなるような、そんな気がした。
「――あたらしい、しーつよ」
舌っ足らずな声が俺の背中にかけられた。それから少し間を置くと、乱暴に履き潰された俺のサンダルの隣に小綺麗なピンクのサンダルが並んだ。俺のよりも小さいんだと、そのとき初めて思った。
俺は下を向いたまま妹からシーツを受け取る。乾いているためか、地面を引きずってきたはずのそれは真っ白なままだった。
「……シーツ・マントマン!!」
俺は空に向かって高らかに宣言し、純白のシーツ・マントは華麗に宙を舞った。それと同時に妹が俺を見上げながらパチパチと笑顔で拍手を送ってくれる。
シーツ・マントマンの2度めの誕生だった。そう、現在まで続くシーツ・マントマンは実は二代目なのだ。初代はものの数秒でヒーロー引退の憂き目あったが、ヒーローにつきものの優秀な助っ人のおかげで見事に復活を遂げたというわけ。
俺の妹は子供の頃からちょっと変だ。
我が強いはずの幼年期にヒーローでもなくお姫様でもなく、何故かシーツ・マントマンの助っ人をやりたがった。
シーツ・マントが汚れたり悪の親玉(母親)に奪われたりするたび俺のもとに新しいものを運び、いざ戦いになれば安全なところに避難しつつ俺を応援した。
その立ち回りは、誰もシーツ・マントマンに強力な助っ人がいると気づかないほど見事なものだった。
某ヒーローは俺が思っていたよりもずっと強いことを知り、さらに架空のヒーローの助っ人にはなれないのだと理解している現在。シーツ・マントマンは夜の闇に紛れて活動している。3年前に、誰かに見られるとヒーローではなくなってしまうという制約ができてからは、臨機応変にシーツ・マントを着脱しながらのパトロールを続けている。
一方の妹は、小学校の高学年になった頃から俺を避けるようになった。それは現在進行形で、顔を合わせれば「痛い」だの、「中二」だの言ってくる。この前なんか学校の廊下で出くわした俺を見事に無視してみせた。
すっかり普通の女子高生の妹。俺の真似どころか、むしろ兄を反面教師にするように、明るくしっかり者で現実のニュースに興味をもつような優等生タイプに育った妹。
しかし、やはり俺の妹はちょっと変わっている。
俺のベッドは中学生の頃から、夏はゴザ、冬は古い毛布をシーツ代わりに敷かれるようになり、シーツ・マントの供給を絶たれる危機に瀕した。しかし、敵は知らなかったのだ。シーツ・マントマンに強力な助っ人がいることを。
「……前方異常なし、階段異常なーし」
時は夏の夜の良い子は夢を見ている深夜、場所は妹の部屋の前。普段なら扉の前で立ち止まるだけで中から怒鳴り声が飛んでくるものだが、今はいたって静かだ。
俺は周囲の安全を確認したあと、そっと右手で拳をつくると、固く閉ざされた扉をノックした。
トントントン。
まずは三回。
トントン。
次は二回。
トン――。
そして、最後に一回。
じっと息を潜めて待つ。すると扉が少し開こうとする……が、深夜の廊下に高い開閉音が響いたことで警戒するように動きが止まり、しばらくしてから再び開き出す。
真っ暗な廊下に部屋からの光が細く漏れる。互いの顔は見えない、そんな秘密の取引めいた隙間ができたところで扉はピタリと止まり、次にその向こうからノック音が聞こえてくる。
トン、トントン、トントントン――。
助っ人からの合図だ。俺はもう一度最初と同じ、俺の合図を繰り返す。すると、いつものように扉の隙間から白いものが押し出されてくる。
そう、シーツ・マントだ。俺が受け取ると扉は音を立てずにそっと閉まる。
俺の妹はやっぱりちょっと変だ、と俺は階段を下りながら苦笑する。
奇行を繰り返す兄を散々毛嫌いしておきながら、3年前にシーツ・マントマンを引退しようかと途方に暮れていた俺の顔面にシーツを投げつけてきた。
漫画やアニメよりも小難しい小説を好むくせに、こんな子供染みたやり取りを三年も続けている。去年のスイカ・ハット事件のあとでさえ、秋の虫が鳴く頃には元通りだった。
ノック音だって、どことなく楽しげでリズミカルだ。
俺は、そんな妹が大好きだ。俺を無視する妹をわざわざ追いかけていき、妹の友人たちの前で声を掛けるほどに、それくらい大好きなんだ。
玄関についた俺は、あの夏の日と同じように軽く体を回転させ、華麗にシーツ・マントを羽織る。
――さぁ、今日も世のため人のため、シーツ・マントマンは夜の町へと繰り出そう。困難もあるが大丈夫。彼には秘密の強力な助っ人がついているから。
ここまで読んでいただきありがとうございました。少しでもくすっと笑ってもらえる文があったなら嬉しいです。