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狼男の伝言ゲーム(後)

 「さあさあ、着きましたよ!」


 不必要に大きな声で、二色頭が古き良き時代の給仕係の仕草で、反田を体育館に招き入れた。

 当たり前のことだが、人影のない体育館は、いつもよりも広く大きく、そして、非友好的に感じられた。


 未だ、二色頭に信頼を置いたわけではない。

 何しろ、連れだって歩いているあいだ、彼の瞳がきらりと光ったからだ。まるで、犬猫だ。そんなの、ありえない。非常識だ。そして、そんなものを信じてたまるか、と反田は心底で、猜疑心の塊になっていた。


 「じゃーまあ、ね。反田くんも、暇じゃないんでしょうし。ちゃっちゃか始めちゃいますかー」


 反田と二色頭が、ちょうど、体育館の真ん中辺りに来ると、お気楽な調子でそう言う。ぱちんと指を鳴らした。音を吸収するものがないので、それは随分と長い間響いていた。


 そして、その反響音が消えたとき。


 反田の目の前には、反田が立っていた。


 いや、反田本人がここにいるのだから、それは、反田ではないのかもしれない。だけれど、そっくりな別人として片付けるには、あまりにも似ている。顔かたちだけではない。背格好だけでもない。すべて。雰囲気。そういったものが、反田将矢という人間に酷似していた。


 「……っ!?」


 驚愕のあまり、後ずさると、何かにぶつかる。思わず振り返って、顔から血の気が引いた。そこにいたのは、反田だったからだ。


 鏡に映った自分、とか、実はここが鏡張りだったとか、リフレクションを応用したマジックなんかではないのは分かっている。


 じゃあ、何だ。


 これは、何なんだ。


 唯一、反田本人と違うのは、一様に、制服に身を包んでいることだけ。

 しかも、反田のまわりには、反田のクローンのようなものが、うようよと集合してきた。誰も、何も言わない。ただ、反田を囲むようにして、それらは沈黙したまま、立ち尽くしていた。その視線は、すべて、私服の反田に向けられている。


 何の冗談だ、巫山戯るのもいい加減にしろ。

 そう怒鳴ってやりたくて、二色頭を探す。本来なら見つけやすいであろうそれは、しかし、何故かどんなに探しても見つからなかった。


 「何なんだよ、これ。誰なんだよ、こいつらは!」


 放っておけば、びびってしまいそうな己を鼓舞するために、わざと口に出してみる。


 「オレは誰なんだろう」

 「え?」


 ふいに、斜め後ろから声が聞こえてきた。それは、紛れもない、自分自身の声。客観的に聞くと違和感はあるものの、それは反田の声だ。

 斜め後ろに立つ、反田のクローンが、同じことを口にした。


 「オレは、誰なんだろう?」

 「何、言ってんだよ。これは、何の冗談なんだ」

 「冗談?これが、冗談に思えるのか?」


 今度は、真横で声がした。


 「冗談じゃなかったら、何なんだよ」

 「冗談でなかったら?」

 「現実でしか、ありえない」

 「でも、現実でだって、冗談は起こりうる」

 「だったら、これは、冗談なのか?」

 「誰の?」

 「誰の冗談なんだ?」


 自分の声が、四方八方からする。反田の頭の中に、すでによぎった言葉たちが、クローンのようなものたちの口から発せられる。


 分からない。何なんだ、これは。誰か、説明してくれ。


 パニックの波が、押し寄せる。額には、嫌な汗が噴き出し始める。下手に何かを話せば、また、今のように、クローンたちが一斉に喋るのだろうか。


 怖い。


 自分の思考を、他人の口から聞くのが、怖い。


 それ以上に、自分が自分に問い詰められるのが恐ろしい。


 「だめだよ、反田くーん」


 ふいに頭上から、二色頭の声がして、頭上を仰ぎ見るけれど、その姿はどこにも見当たらない。そのまま、きょろきょろと首を動かすと、更に声がした。


 「だめだめ。探しても、おれは見つからないよ。そういうもんだから。それよかさ。反田くんのために、用意したんだから、このひとたち」

 「お、お前なのか、これ!趣味の悪い冗談だな、早くやめさせろよ」


 どこへ声を返していいのか分からなかったけれど、とりあえず、上空に向けて大声を上げた。


 「怒らない、怒らない。反田くんの、お願いだったでしょー」

 「オレの?願いだと……?」

 「そう。反田くんが言ったんだよ?自分と向き合いたいって。だから、呼んできたんだから、このひとたち」

 「っ、だ、誰なんだよ、こいつらは!」

 「反田くんだよ?見ての通り」

 「お、オレ?」

 「そう。人間ってのは、心の中に、何人もの自分を抱えてる。それを、全員、呼び集めただけだよ」


 心の中に、何人もの自分がいる?それは、人格ということか、側面ということか……。


 どちらにせよ、これだけ大勢の「自分」に囲まれるのは、気持ちの良いものではない。


 「反田くん、質問があるんでしょ?自分に。聞いてみるといいよ。みんな、答えたくてうずうずしている筈だから」


 そう言われるけれど、見渡す限りの自分の顔は無表情で、そこから何かを汲み取ることは、至難の業に思われた。


 「う、うずうずしてるんなら、何で何も言わないんだよ。どうせ、人形かなんかなんだろう」

 「だって、反田くんの質問にしか、答えないようになってるから。おれが何言ったって、そんなの、意味がある?反田くんの人生に、何か影響ある?」


 大アリだ。トラウマになる。


 「ほらほらー。ちゃんと聞いてみてよー」


 急かす声には、どこか、楽しげな響きもあって、それが憎たらしかった。


 「くそっ」


 誰にともなく詰ってから、盛大に眉を寄せて、ため息をついた。


 「お前、名前は?」

 「反田将矢」


 大勢のうちの一人が答える。


 「年齢は」

 「十八歳」

 「家は」

 「そんなことが聞きたいのか?」


 自分に、冷たくあしらわれて、猛然と腹が立つ。


 「おい!二色頭!」

 「……それって、もしかして、おれのこと?」

 「お前以外にいねえだろう!」

 「う〜ん。もっと他に呼び名が……。まあ、いいか。何ですかー、反田くん?」

 「質問に、質問で答えられたじゃないか!どうなってんだ!」

 「だって、そんな下らない質問、自分でも分かってるでしょう。小学生じゃないんだからさ。そんなこと聞かれて、反田くんなら、何て答えるのさ」

 「そんなことが聞きたいのかって……あ」

 「ほらあ。そういうこと。メインじゃないからって、オリジナルじゃないってことではないんだよ。ちゃんと扱ってあげないと」

 「は?どういう意味……」

 「おれと話す暇があったら、自分に質問してあげてくださーい。もう、おれは口出ししないからね」

 「おい!」


 声を荒立ててみたけれど、全くの無反応。本当に、もう何も言わないつもりなんだろうか、あの二色頭。


 「質問ったって、何を聞けばいいのか…分かるかよ、そんなこと」

 独りごちたつもりだったが、

 「じゃあ、質問すればいいのか、こっちが」

 少し離れたところにいるクローンが、口を開いた。


 目を見開いて、絶句した。確かに、それは妙案だと思ったけど。誰かがそう口にしていたら、同じことを返したとは思うけれど。


 「そ、そうして、くれるのか」


 空からになった喉で、返答すると、周りのクローンが一斉に頷いた。


 「では、質問。毎日、楽しいか」

 「た、楽しいよ」

 「友達のせい?」

 「それもある」

 「家族のせい?」

 「それもある」

 「学校のせい?」

 「それもある。ひとつじゃねえだろ、理由なんて」

 「では、榎沢里奈は?」

 「は?おい、ちょっと待て。何でそこに榎沢が」

 「どうして、榎沢の姿を目で追う?」

 「追ってなんか」


 違う。追っている。しかも、無意識に、だ。気付くと追っている。


 「なのに、何故、榎沢に話しかけない?」

 「それは、だから、オレは別に、親しくないし」


 「榎沢以外の、特に親しくない人間とは話せるのに?」

 「違う、だから、そうやって、榎沢を特別視すんのはやめろ」


 「特別視?そう思ったのは、自分だろう」

 「違う、お前が、そういう、ニュアンスで言うから」


 「オレは、お前だ」

 「違う、オレは、オレで、オレ以外のオレは」


 「親に対する自分、友達に対する自分、教師に対する自分、それもすべて、同じだと?」

 「そうだよ、同じだよ」


 「まったくの同一人物?」

 「そ、そうだよ!」


 「それが真理ではないことを、自分でも分かっているのに、どうして、それを認めない?」

 「何、言ってんだよ」


 「何故、自分を均一化したがる?」

 「均一化なんて、してない」


 「統一と画一は、同じものではない」

 「知ってるよ!」


 「何故、否定する?」

 「否定?何の話だ、何を否定するっていうんだよ」


 「自分を」

 「オレを?」


 「何故、自分を否定する?」

 「オレが、オレを?違う、それは、違う。オレは、毎日楽しくやってるし、否定なんて、してない」


 「しかし、認めてもいない」

 「認めてる!ちゃんと、オレは、オレのことを」


 「自分の多様性も認めていないのに、自分のことを認めていると?」

 「だから!何なんだよ、その、多様性って。オレは、そんなに大層な人間じゃない!」


 「それは、誰の評価だ」

 「オレのっ!オレのだよ!オレに対する、オレ自身の評価だ!」


 「他人からの要望を、自己評価に置き換えていると、分かっていても?」

 「何なんだよ、分かっているって。そんなの、初耳だよ。何でオレが、そんなこと知ってるって決めつけるんだよ」


 息が、自然とあがってきた。苦しい。呼吸をするのが、とても、辛い。


 「それは、我々が、お前だからだ」

 「何言ってんだよ、オレが、そんなお堅い話し方するわけないだろう」


 「これも、お前の一面。側面にすぎない」

 「今のお前も、お前。我々も、お前の一部」

 「榎沢は、どうして、自分と向き合えることが出来るようになったんだろうと、ずっと気になっている」

 「自分が、本当にやりたいことを見つけるためには、どうすればいいんだろうかと」

 「それを見つけるためには、反抗もしなければならないのかと」

 「他人の評価に傷をつけたくないと、恐れている」

 「しかし、このままの評価でも終わりたくないと」

 「いつか、自分のありのままをさらしてみたいと」

 「長い間、そう、願いながら、笑顔を貫いてきた」

 「そうすれば、誰も傷つかないから」

 「楽しいことだけをしていれば、誰も傷つかない」

 「その代わり、何も、手に入らない」

 「榎沢は、何かを手に入れたんだろうか」

 「あの、二色頭が、榎沢はいい顔をしていたと言っていた」

 「うらやましい」

 「まぶしい」

 「あんな風に、なりたい」

 「あんな風に、自分を貫いてみたい」

 「あんな風に、自分と向き合ってみたい」

 「これは、すべて、お前の側面。お前の一部」

 「お前は、ひとつではない」

 「反田将矢という人格は、多面的であって、決して、お前だけではない」


 「やめろ、もう、やめてくれ!」


 そう叫ぶと、肩でぜいぜいと息をした。声は、小さくなりながら、わんわんと体育館の中を旅し続ける。ぴたりと口を閉ざしたクローンを睨んで、反田は、一言だけ呟いた。

 目眩のする頭を、必死で押さえつけながら。



 「分かってんだよ。全部。お前らなんかに、言われなくても」










 トレイにふたつ、ティーカップを載せて、伝馬が歴史資料室に入ってきた。

 湯気を立てているそれを、窓際に佇む六花に手渡す。

 名残惜しそうに校庭を眺めていた六花は、それでも、伝馬の方に向き直ると、黒曜石のような瞳を細めた。


 「反田さん、倒れたらしいね」


 あ〜、とばつが悪そうに、伝馬が目を逸らす。トレイを机の上において、ティーカップを手にしてから、空いた方の指で、ぽりぽりと頬を掻いた。その一連の仕草を、六花は微笑をたたえたまま、見守っている。


 「ごめん!」


 片手を縦に、顔面につけて、伝馬がぎゅっと目を瞑って謝罪の言葉を口にする。六花は、可憐に小首を傾げてみると、


 「何を謝っているの?伝馬」

 「あ、あれ?怒ってるんじゃないの、六花」

 「怒る?僕が?何に対して?」

 「えーと、だから、それは、その、反田くんが倒れちゃうまで、おれが追い詰めちゃったことに対して?」

 「へえ?そういう理由で、怒ったりするものなのかい、人間は」

 「いやまあ、うん、そういうこともあったりするかも」

 「人間とのハーフの君が言うんだから、間違いないだろう。そうか。なら、教えてくれ。僕は、どうやって怒れば良いんだい?」

 「無理して怒る必要なないと思うけど」

 「そうなのか?」

 「うん。怒るポイントなんて、人それぞれだし」

 「そうか……」


 ふむふむと素直に頷くと、六花は興味深そうに、怒っても良いし怒らなくても良いのか……と呟いている。


 ややあってから、顔を上げると、いつもの微笑みを浮かべていた。何も言わずに、話の先を促す六花に、敵わないなと伝馬は苦笑する。一度、カップの中の液体で喉を潤してから、姿勢を改めた。


 「反田くんは、案外優しかったみたいだね」

 「でも、学校での評価は、不真面目でお調子者で楽観的だと聞いているよ」

 「そう。そういう風に、思われてただけ」

 「仮の姿ということ?」

 「いや、あれも、立派な反田くんの一面だよ。でも、全部じゃない」

 「伝馬。良く分からない」

 「だからさ。たくさんの感情が、同時に存在するのが、人間なわけ。それが、自然な状態。それを、無理矢理、ひとつの感情、ひとつの人格だけにしてしまうと、そこに矛盾が生じる。それに気付くと、辛い目に遭う。だから、見ないようにする。そうやって、反田くんはずうっとやってきたんじゃないかな」


 言ってから、反田の落ち着かない瞳を思い出した。間近で見れば、澄んだ瞳をしていたのに、決して目を合わせようとしない、まだまだ幼い魂を宿した瞳。


 「ふうん」


 紅い唇を形良く歪めて、六花が呟いた。ティーカップを口につける様さえ、人形のようで、まるで現実味がない。


 この分だと、全然、おれの言ったこと理解してないなあ。

 もう一度、噛み砕いて説明する必要があるか。


 そう思って、伝馬は頬を緩める。手のかかるこほど愛おしいとは、よく言ったものだ。


 「ねえ、伝馬」

 「ん?」

 「反田さんの願いは、叶った?」

 「ある意味、究極の願いだからね、反田くんのは。でも、そうだな」

 「?」

 「人の目くらいは、見れるようになるんじゃない」

 「伝馬。人間の目は、特殊な能力でもないと、見れないものなのかい?」


 違う違うと笑って視線を向けた先は、校庭。夕闇が訪れようとしている。この色を何と名付けるか。ピンクというか、紫というか。紺かもしれない。でも、結局は、どれだって同じこと。



 移ろいゆくものに、心を揺らせられること。それが、人間の醍醐味ってもんだろう?


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