九日目 託した想い、受け継がれたもの
今日はなんだか夜更かししたい気分です
ちょっと散歩にでも出てみようかな
秋の虫たちも歌っていることですし
「さて、湿っぽい雰囲気はここまでにしよう。お前に渡す物があるんだ」
榊さんは懐から手のひら大の何かを取り出し、芒に手渡した。細長い形をしたそれは、長く時を経ているのか色褪せた上質な布で包まれている。
「開けてみろ」
「はい。……これは一体……?」
包みから姿を現したのは、花をあしらった髪飾りだった。白く小さな花弁は桜のそれと似ているが、めしべが橙色をしていることや内側に包み込むような形状から、どうも違う花らしい。上品な色使い、細部に至るまで施された装飾は、これが決して廉価な物では無い事を物語っている。
「私からの餞別だ。受け取ってくれるか?」
「でもこれ、師匠の大切な物じゃないんですか? わたしなんかには不相応ですよ!」
「お前だからこそだ、芒。お前もまた、私の大切な弟子であり、娘のような存在なのだからな」
榊さんは優しく言いながら、髪飾りを芒の髪に着けた。控えめな色合いが彼女の清楚な雰囲気によく馴染んでいる。
「師匠……ありがとうございます。これを師匠だと思って、大事にしますね」
「ああ。良く似合っているよ」
微笑む芒を愛おしげに見つめる榊さん。ふと、彼女の瞳に愛弟子あるいは娘に向ける以上の、何かが浮かんだように見えた。例えるならばそれは憧憬のような――
しかしもう一度注意深く見ようとしたときには、既にそれは消えていた。やはり気のせいったのだろうか。
「それから、人間社会で暮らすにあたって必要と思われる物品も用意しておいたぞ」
榊さんが右腕を一閃すると、虚空からいきなりボストンバッグが出現した。が、先程その力の片鱗を体感した僕は、この程度ではもう驚かなくなってしまっている。
鞄の中には、衣類一式から日用品まで様々な物が詰め込まれていた。
「わぁ……何から何まで、ありがとうございます」
「なに、親として当然の事をしたに過ぎんよ。他にも必要があれば遠慮なく言え。あとこれは小遣いだ。定期的に補給される術を掛けているが無駄遣いはするなよ? それから……」
どうやら、榊さんはかなりの親バカであるらしい。それだけ愛されている芒が、少し羨ましく感じた。僕の親は仕事が忙しく、あんな風に気を掛けてもらったのは果たしていつまでだったか。もちろん親が僕に愛情を注いでくれているのは理解しているし、それについて恨む気は無い。ただ、どうしても憧れてしまう。
僕は眩しいものを見るような気持ちで、彼女たちを眺めるのだった。
「さて、秋斗さん。そろそろお暇しましょうか?」
それから数分後。榊さんとの歓談がひと段落したのか、芒が僕の傍まで来て言った。
「もうお別れは済んだの?」
「はい。あまり長々としても、かえって未練が湧いてきますから」
それもそうだ。別離は後腐れなくすっぱりと、が望ましい。僕は湯呑みに残っていたお茶を呷ると、荷物を持って立ち上がった。
「それでは師匠、これで失礼します」
「ああ、辛い事があったらいつでも帰ってきていいからな。
それから少年。何かあったら遠慮なく来ると良い。特別に油揚げ三枚で相談に乗ってやろう」
「あ、はい。ありがとうございます」
随分安上がりなようだが、スーパーの特売品なんかを持って行ったら怒られそうな気がする。近所に豆腐屋さんがあるかどうか調べておくとしよう。
名残惜しそうな榊さんに見送られ、僕たちは鳥居を潜った。時刻は既に昼近く、空を仰げば太陽が高く昇っている。澄み渡った秋晴れの空に、綿のような雲がのんびり泳いでいた。天気予報によれば、今日は夜までずっと快晴が続くらしい。星空が綺麗に見えることだろう。
「さて、目的は達成したわけだけど、この後どうする?」
「街の案内をお願いしたいところですけれど……この荷物ではちょっと大変ですね」
両手で持ったボストンバッグを見ながら苦笑する芒。
「それじゃ、一旦家に置いてからまた出ようか。あ、僕が持つよ。重そうだし」
「いえ、このくらい大丈夫ですよ」
「いいから任せてよ。これでも僕は男の子だぜ?」
そうカッコつけて荷物を受け取ったのは良いが……これが意外に重かった。一体どれだけの物が入っているのやら。とはいえここで音を上げては、男がすたるというもの。心配そうな芒に気取られぬよう、僕は必死に平静を装って歩き出した。
芒ちゃんは意外と力持ちです。米俵くらいなら持ち上げられるんじゃないでしょうか。流石に無理か。