二十八日目 支え合って、手を取り合って
お久しぶりです。ようやく色々とひと段落したところなので更新できました。
休んでいる間も皆さんに読んでいただけて、とても嬉しく感じています
ガラス窓越しに聞こえてくる鳥の鳴き声――ではなく、いつもより控えめに鳥の鳴き声に設定した携帯のアラームで目が覚める。
時刻は午前8時半、これが平日ならば一瞬で運命を悟り、却ってひどく落ち着いた状態で黙々と朝の準備を始める時間だ。しかし、今日は幸いに休みの日。柔らかな日差しに包まれたままもう一度布団に潜り込んだって誰も咎めはしないのだ。
とはいうものの、いくら休日だからと言ってそんな誘惑に負けるわけにはいかない。何しろ僕は「人間生活」のお手本でもあるのだ、信じて送り出した娘が怠惰になって戻ってきました、では笑い話にもならない。
そんなわけでゆるゆるとベッドから起き上がると、窓を開けて新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んだ。冷えた空気が気怠さを活力に塗り替えてくれる。澄んだ青空には雲がのんびりと泳いでいた。
「おはようございます秋斗さん。ちょうどこれから呼びに行こうと思ってたところですよ」
リビングではいつも通りに芒がキッチンに立っており、食卓には既に朝食が並べられている。つい先ほど入れたばかりらしい味噌汁からはほかほかと湯気が立っていた。
「おはよう、芒。今日もいい天気だね」
「はい! でも少し冷えて来ましたし、お体には気を付けてくださいね」
「そろそろ冬だからねぇ……芒もあんまり無理はしないように」
「そうですね。ありがとうございます」
食事が終わると芒は食器を持って行き、僕はソファに移動してぼんやり携帯を眺める。その間に彼女は洗い物を済ませ、代わりにお茶を運んでくれた。そしてお盆を持ったまま僕の後ろで大人しく控え、尻尾を揺らしながら僕の言葉を待っている。
なにも変わりない、いつもの朝。何度も繰り返されて、「いつもの風景」になった展開。それに慣れてしまった自分。ふと、疑問が心に浮上してきた。
――僕たちの関係は、これで本当に良かったんだっけ?
「………ねえ、芒」
「はい、何かご用ですか? あ、お茶のお代わりですか? 今お持ちしま――」
「芒」
その違和感を抱えたままでいることに耐えられず、口を開いた。いつになく真面目な調子で発せられた僕の声に、芒の動きが止まる。怪訝そうにこちらを見ているのが背中越しにも伝わってきた。
僕はソファから降りるとカーペットの上に正座する。
「こっちに来て、座って」
「………はい」
芒は言葉に従って、僕の前に鏡写しのように正座した。
不安げな彼女の視線を真正面から浴びる。まるでこれから主人の叱責を受けるかのような――いや、事実彼女はそう感じているのだろう。何も悪いことはしていないというのに。
「あの……秋斗さん、わたし何かしてしまいましたか……? もしお気に障ることがあったなら直します。わたしが出来ることなら言ってくださればなんでもします。だから――」
「違う、そうじゃない。違うんだ芒。まずは僕の話を聞いてほしい」
「……っ、はい……」
彼女の言葉は聞くに堪えなかった。そんな風なことを言って欲しくはなかった、そして何よりも、芒にそんなことを言わせてしまった自分が許せなかったから。
「―――ごめん!」
「は、はいっ?」
唐突に頭を下げた僕に、面食らった声が降りかかる。それでも僕は顔を上げようとはしなかった。
「こんなはずじゃなかったんだ。こんなつもりじゃなかった」
「ちょ、ちょっと待って……まずは頭を上げてください! さすがに今回は訳が分かりませんよ!?」
僕はようやく顔を上げると、芒に向き合って視線を合わせる。予想通りというか無理もないが、彼女の瞳には困惑の色がありありと浮かんでいた。
「芒……僕たちの関係って、なんだったかな」
「い、一体どうされたんですか? いきなりそんな……」
「芒が料理や掃除をやってくれて、すごく助かってる。芒が来てくれてから、僕の生活は間違いなく良くなった。これは事実だよ」
「いえ、そんな……」
「でも、それに対して僕は……何もしてない。芒に甘えて、それを『当たり前』にしてしまっていた」
真剣に狐耳を傾けてくれている芒。僕は少し間を空けて――そして言い放つ。
「こんなのはまるで―――主従関係じゃないか」
芒が息を呑む。本人としてはそんな意識は全くなかったのだろう。しかし、彼女の便利さに甘えてそれを「当然」として受け入れ、ふんぞり返ってしまっていた。それが主従でなくて何なのだ。
「私はただ……秋斗さんの助けになればと思って……人間のことも、早く覚えなきゃって……」
「うん、分かってる、分かってるんだ。芒は何も悪くない。責めるつもりも理由もないよ」
動揺する芒を宥めるように、できる限り穏やかな声で言葉を紡いでいく。
「僕の望みはさ、芒と一緒に暮らすことなんだ。共生、っていうのかな。お互いが相手を支え合って生活する……そんな毎日が送れたらいいなって、そう思ってた」
「だけど、現状はそんな理想とは少し違う。確かに、人間の技術を学ぶなら誰かに従っていた方が効率のいいこともあるかも知れない。だけど、それじゃ人として大切なものは学べない……ような気もする。僕は芒を使用人のようには扱いたくないし、それは榊さんの望んだ結果でもないと思うんだ」
『狐っ娘がメイドとしてご奉仕してくれる』――なるほど、字面としてはかなり魅力的だが、しかしそれは僕の抱いた夢とは違っていた。
人と妖が対等な関係を築くなんて、馬鹿げた話かもしれない。けれど、だからこそ、実現したいと思うものなんじゃないか。
だって、昔母さんが語ってくれた狐っ娘の話は、幸福な結末が用意されていたんだから。
「何より僕は――芒と過ごして、一緒に成長していきたいんだ」
そこで僕は口を閉ざし、芒の反応を窺う。彼女はじっと真剣な表情で、僕の話を聞いてくれていた。
「…………」
僕たちは向かい合ったまま、時計の秒針が刻む音がやけに大きく感じられる時間が過ぎていった。
「………嬉しかったんです、わたし」
やがて、ぽつりと芒が口を開いた。
「色んなことが出来るようなって、わたしの料理を秋斗さんや恵夏さんが美味しいって喜んでくれて……。新しいことを覚える度に、これでもっと秋斗さんのお役に立てるんだって思うとやる気が出てきて」
「芒……」
脳裏に浮かぶのは、僕が教えたことをうんうん頷きながら聞いている姿。学校から帰るたびに、「今日はこんなことができましたよ!」と笑顔で報告してくる光景。
芒はただ、純粋に嬉しかったんだ。自分にできることが増えるのが。僕も記憶にある。初めて自転車に乗れるようになった時の快感。料理を一人でやり遂げ、それを美味しいと言ってくれた時に感じた達成感と喜び。
「少し、はしゃいでしまいましたね、わたし。ごめんなさい」
自嘲気味に苦笑して、ぺこりと頭を下げる芒。さっきとはまるであべこべだ。
なにも悪くないと言っているのに、それでも自分の責を見つけて、相手を立てて。今更ながら彼女はなんて……なんていい子なんだろう。
「わ……あ、秋斗さん……?」
気づけば、僕は芒の頭を撫でていた。
目の前で丁度いい位置にあったからとかそういうわけではなく、単純にそうしたいと思ったから。
「じゃあ……二人で考えようか。お互いが納得して、満足して暮らせるような決まりを」
「……はいっ……」
狐耳がぴこっと動く。陽光を浴びて艶やかな黒髪は、柔らかくすべやかで、極上の絹のようだ。僕はしばらくの間、掌に広がる幸福感を味わった。
なんだか急に寒くなりましたね。コンソメスープが美味しい季節です。
私の周りでも体調を崩す人がちらほらいますし、皆さんもあったかくしてお過ごしくださいね




