二十五日目 彼女の胸の内
気分が乗って来たので、前回の反省も兼ねていつもより早い更新です!
暑くなってきましたね。そろそろ衣替えをと思って箪笥を開けたのですが、夏服のあまりの少なさにしばし唖然としました。
「ねぇ綴樹君、この後暇かしら?」
全ての授業が終わり、楽しそうに部活へ急ぐ春仁を横目で見送りながら立ち上がった僕は、不意に久城さんに呼び止められた。これから帰るところなのか、机の正面に立った彼女はスクールバッグを肩から提げている。
「んー、まあこれといって特に予定はないけど……あ、まさか妖怪退治の手伝い?」
「しないわよ! それで、暇なのよね?」
まぁ……と首を縦に振る僕。帰宅部所属としては一目散に家路に就くべきなのだろうが、僕は補欠メンバーなのでそこまでして帰宅に命を懸けることは無いだろう。
久城さんは僕の返答を受け取ると、満足気に頷いて言った。
「なら決まりね。綴樹君、これからうちに来ない?」
「………へ?」
* * *
久城家は、なんでも平安の時代から続く名家の一族らしい。
それも朝廷に仕えた陰陽師の一族であり、かつての大戦中も陰で行動していたとかなんとか。そんな家柄だから当然、広大な敷地に侘び寂びの趣を持った豪邸なのだろうと戦々恐々としていたものだったが……
「あれ、意外と普通?」
案内されて到達したお宅は、確かに一般家庭と比べれば大きくはあったが、想像していたものよりはよっぽど僕の常識の範囲内だった。
「ああ、実はうち、本家じゃなくて分家なのよ。本家は田舎にあるの。期待させたようで申し訳ないわね」
「い、いや、かえってこの方が変に意識しなくていいよ」
しかし分家と言ってもそこは名家、外観から既に気品が感じられ、知らなければ高級料亭と言われても疑わないだろうというものだった。見たところ離れなんかもありそう。
「そう? じゃ遠慮せずにどうぞ、上がって」
「お、お邪魔しまーす」
立派な玄関に上がり、磨き上げられた板張りの廊下を久城さんに付き従って進んで行く。中は本格的な日本建築かと思いきや、台所や居間などは洋風で、いわゆる和洋折衷の形らしかった。そういえば何度かリフォームしてるって言ってたっけ。
やがて久城さんは二階に上がり、「けいか」というポップな文字が書かれた木製のプレートが架かった扉を開けた。
「ここが私の部屋。散らかってると思うけど、まあ入って」
招かれるまま入ったその部屋は、なんというか「女子の部屋」だった。
天井は木造だが、床には柔らかなピンク色の絨毯が敷かれ、部屋の隅だけ畳が露出している。部屋にあるのは本棚、勉強机にベッド、それから丸いクッションがいくつか。言うほど散らかっていないどころかすっきりと片付いていて、部屋の主の性格が反映されているようだ。僕の部屋と置いているものは大差ない筈なのに、どうしてこうも女の子らしさが感じられるのだろうか。色使いとかかな。
「楽にしてていいわよ。お茶を持ってくるわ」
扉の向こうに消えたかに思われた彼女は、扉の隙間からひょい、と顔を覗かせて一言。
「――変なところ触らないでよ!?」
「そんなことしないって!」
僕の抗議を遮るように、扉は閉められてしまった。階段を下りる音が遠ざかっていく。
むう、そんなに信頼が無いのだろうか、僕は。冗談で言ったのだと信じたい。
しかしまあ、考えてみれば当然のことかもしれない。親しくなったとはいえ男子を自分のプライベートな空間に招き入れているのだ、多感なお年頃としては釘を刺しておきたくもなるだろう。
そこまで考えると、ふと改めて自分が家族でもない女の子の部屋にいるのだ、という事実を認識する。思い返してみれば、実に小学生以来のことである。
こう言うとまるで僕がこれまで女子との関わりが無かったように聞こえるかもしれないが、実際はそれなりに話す人もいた。ただ、基本的に休み時間は図書室に入り浸り、放課後もまっすぐ家に帰っていたために互いの家に遊びに行くようなイベントは発生しなかったのだ。
なんとなく落ち着かなくて、深呼吸を一つ。しかしかえって部屋の匂いを胸いっぱいに吸い込むことになってしまい、ものの見事に逆効果だった。
僕は今、同級生の女の子の、最も私的な空間にいる。彼女が寝起きしたり、着替えたりする、最も気を弛める場所に、僕は踏み込んでいるのだ。
半ば無意識に、部屋をじっくりと見回してしまう。綺麗に整えられたベッド。理路整然と本が並べられた本棚。それから、衣類などが入っているであろう箪笥。
目に入るすべてから、久城恵夏という少女を感じる。此処からは確かに、彼女の息遣いが感じられた。
四方八方はおろか天井と床さえも彼女に囲まれていると、まるで僕は彼女の内側に取り込まれてしまったかのような錯覚に陥る。いや、それはある意味で正しいのかもしれない。私室というものは時に、その人を言葉以上に物語るものなのだから――
――がちゃ。
「うぇあ!?」
「わっ!? ちょっと、そんなに驚かなくてもいいじゃない」
突然扉が開き、思考を破られた拍子に振り返ると、そこにはお盆を持った久城さんが立っていた。黒塗りのお盆の上には、湯呑み二つと急須、そして皿に盛られたお煎餅が載っている。
「ごめんごめん、ちょっと考え事してたもので。……ってあれ、何考えてたんだっけ」
「知らないわよ……んしょっと」
久城さんは絨毯の上にお盆を下ろすと、急須からお茶を注いでくれた。ほわほわと柔らかな湯気が立ち上る湯呑みは、少し冷えた部屋に丁度良かった。
「この部屋、寒いでしょ? うち、エアコンはお祖母ちゃんたちの部屋くらいにしかないのよ」
「いやあ、これくらい大丈夫。個人的に暑い方が苦手だから」
「へぇ、そうなの?」
「うん。暑さは本当に恐ろしいよ。何しろ――狐の尻尾がただの暑苦しい毛玉にしか見えなくなるからね……!」
「……はぁ」
もう何度目になろうかという、呆れたような視線。僕にとっての死活問題は、どうやら今日も理解されないようだった。
それからしばらく、湯呑片手に煎餅を齧りながら、まったりと雑談を続けた。好きな食べ物の話から勉強の得意科目苦手科目、誕生日エトセトラ、互いに取り留めもなく情報を交換していく。
そして急須がだいぶ軽くなった頃、久城さんは急に姿勢を正して咳を一つ。どうやら、前置きは終了のようだ。僕も正面に座り直し、彼女の言葉を待つ。
「――ねぇ綴樹君。この間の大掃除の時、芒さんとお話したんだけど」
「ああうん、あの時はほんとお世話になったね。二人とも打ち解けたようで何よりだよ」
「ええ、私も彼女が今のところ害のない妖だと認めることにしたわ。貴方たちの関係性も聞かせてもらった。それについても私からは特に言うことはないわ」
「うん、それは良かった」
いつの間にか先程までの弛緩した空気はどこへやら。湯呑みのお茶はすっかり冷めてしまっていた。
「でも、ね。綴樹君、これからどうするかちゃんと考えてる?」
「これから……というと?」
「確かに芒さんは人格的には何の問題もないわ。寧ろ同年代の人の子よりもよっぽどよく出来ていると思う。……それでも、まだ人間社会については子供も同然よ。つまり、貴方は彼女の保護者も同然なの。そのことは理解している?」
当然だ――と言いかけて、果たして本当にそうだろうか? と疑問が浮かんだ。
確かに、久城さんの言う通り芒は本当の意味で人間というものを知らない。榊さんからある程度の知識は取り入れていたとはいえ、それらは身体で覚えていくものだろうと思う。人であることの悦びも哀しさも、実際に味わって初めて理解できることだ。
『人間について学ぶ』――この「人間」というのは、当然僕だけを指しているわけではない。いつかは社会に出てより多くの人と関わることが求められるのだろう。
「…………」
「ああごめんなさい、別に貴方を責めるために言ったわけじゃないのよ。ただ、前提としてちゃんと確認しておきたかったから」
思わず黙り込んでしまった僕に、久城さんが慌てたように手を振る。
「それで、本題はここからなんだけど。一つ私から提案があるの」
「提案?」
朝の芒といい、今日はやけに意見される日だな、とかぼんやり思いつつ先を促す。
「多分その調子だと今まで考えてもいなかったんでしょ? そんなんじゃ先行きが不安だわ。だから――私も協力させてくれないかしら?」
真剣な眼差しが僕の瞳を射貫く。その表情は、彼女が気紛れの善意なんかで言っているわけではないことを物語っていた。
暑くなってくると気軽に散歩もできませんねぇ。油断して長袖で出かけて後悔しましたよ……
みなさんも服装選びには気を付けてくださいね




