レベル3 義賊誕生
マウザーは実の父親を知らない。母は生まれたばかりの彼を抱えて修道院の前で倒れていたのだと聞かされた。修道士が見つけたときには女性が既に死んでいたので、その女性がマウザーの実母であったかどうかも定かではないが、ともかく彼は十五歳までその修道院で育てられた。
彼はその生まれの不幸さを全く感じさせない、誰にでも好かれる愛嬌にあふれた少年だった。周囲を惹きつけるその明るい性質に変わりはないが、今の彼にはそれだけではない屈託が見え隠れする。
彼が盗賊結社に身を投じたのは彼を育ててくれた修道院を守るためだったが、そこも今は閉鎖されて久しい。と言っても外部からの力で潰されたのではなく、そこに関係した人々がそれぞれに新たな暮らしを見つけて去っていったのである。
彼の恩人達も半ばは天寿を全うし、残りも別のもっと大きな街でそれなりの地位を得ている。そして共に育った孤児達も今はそれぞれ手に職を得て幸せな家庭に暮らしている筈だ。彼はこれだけのことをわずか三年の内にやってのけたのである。
既に当初の目的を果たした筈のマウザーが、未だに暗黒街にその身を置いているのは何故なのか。彼が優秀すぎて組織が容易に手放さないと言うのも理由の一つではある。だが誰も知らない真の理由が別にあった。
話は彼がまだマウスと呼ばれていた十八歳の年に遡る。
マウスというのは結社に加わった時に付けられた愛称で、天使に由来する彼の本名(修道院で与えられたモノ)が、盗賊には相応しくないと言う理由から同じ頭文字のこの名前が選ばれたのである。
その日、任務に向かうため、入り組んでいた住宅街の小路を走っていた彼は、曲がり角でよたよたと歩く老人とすれ違った。持ち前の反射神経で避けたはずであったが、病み衰えていた老人はそれに反応しきれずにその場に膝を突いてしまう。
「大丈夫ですか」
マウス少年の性格的なモノも有るが、何か直観に触れるモノが有ったのだろう。彼はごく自然に老人に手を差し伸べた。
「有り難う」
そう言って握り返してきた老人の手は思いの外力強く、またその眼光には冒しがたい威厳が感じられたと言う。
「聖戦士殿ですね」
「そのなれの果てだよ」
老人は自嘲気味に笑った。
傭兵のように金で動く事はなく、また騎士のように特定の主を持つ事もない、正義と秩序のために戦う選ばれた戦士。それがパラディンである。当たり前の事だが、盗賊にとって彼らは天敵であり結社では彼らに近づかないように指導されている。流石のマウスも一瞬対処にとまどったが、
「いい目をしているな、少年」
と言われて、
「どちらへ行かれるのですか」
と聞いてしまった。
「この先に樹齢二百年を越える大楠があるはずだが」
「確かにこの先の広場に、名前は知らないけどとんでもない巨木が有りました」
「そうか儂の記憶は間違っていなかったようだな」
そう言って先を急ぐ老人の背中に、
「手をお貸ししましょう」
彼は自然にそう申し出ていた。
老人の行き先は町の中央部にある緑地帯。四方八方から道が交差する大通のど真ん中にその大楠は立っていた。
「この辺りも随分と変わったモノだな」
「そんなに久しぶりなんですか」
「そう。かれこれ五十年になるか」
と言われ、
「一体、お幾つなのですか」
マウスは老人をしげしげと眺めた。
「もう八十五になるのか」
そんな高齢の人物を彼は知らない。彼が生きてきたのはそんな長生きの出来る環境ではないのだ。
「長生きのコツか。一言で言えば死神に嫌われる事だな」
と老人は笑った。時折見せるその鋭い眼光は死神をも退かせるかと思わせる。
「だがそれももう限界らしい」
老聖戦士は大儀そうに大木の元に腰を下ろすと、
「儂の命も今日の日没までか」
「どこかお悪いのですか?」
「なに、この年になれば全身悪いところだらけだよ」
若いマウスには死を目前にして泰然としている老人が理解出来なかった。
「さて、君にはお礼をせねばらなんな」
「そんな積もりは」
「生憎と我々は纏まった財を持たんので、遣れるモノはこの剣くらいか」
老戦士はそう言って背負っていた大剣を差し出した。
マウスは恐る恐るそれを受け取って剣を抜くが、
「やはり大きすぎて僕には使いこなせそうに有りません」
と返そうとする。
「重要なのは鞘の方だ」
この鞘は魔力を持ち、納められた剣の切れ味を増す力を持っているという。
「しかし、僕の突き剣では大きさが」
マウスは半信半疑のまま自身の細い剣をその大きな鞘へ差し込む。すると、鞘は剣に合わせてその大きさを変えた。
「どうなって居るんですか」
「思ったとおり君は鞘に選ばれたようだ。私の力と知恵のすべてを君に残そう」
老戦士はそう言って息を引き取った。
マウスはその遺体を近くの教会に埋葬し、彼の大剣を墓標の代わりに突き立てた。
老聖戦士の言葉の意味が分かったのはその日の夜であった。任務を放棄したマウスは、作戦を指揮する兄貴分から手酷く殴られた。しかし、その傷は見る見るうちに治っていく。それを見た兄貴分は気味悪がって手を止めた。それが聖戦士特有の治癒能力だと知ったのはしばらく後のことである。
それから三年目、マウスはいつものように老人の墓を詣でた。彼が墓標代わりにした大剣は風雨に晒されながらも全く錆びていない。あの時は判らなかったが、今ならこの剣が帯びている強力な魔力がハッキリと見て取れる。
「少しは腕を上げたようだな」
墓の前に立つと、いつものように剣士が彼を迎えた。それはあの老人の若い頃、恐らく彼が最も強かったであろう三十代半ばの姿だった。周囲は暗転し二人の姿だけがくっきりと浮き上がる。
「ようやく分かりましたよ」
マウスは剣を抜いて剣士と対峙した。
「貴方は師匠の霊じゃない」
「ではこの俺は誰だ」
「主を失った剣の記憶」
「それで、何か変わるのか」
語るに落ちるだが、
「こちらも本気で殺れる」
半分ははったりだが、半分は本音だ。今までの彼は相手を殺さないようにして勝とうとしていた。そんな余裕を持てる相手でない事は承知の上でだ。
「本気という割りには、逃げてばかりだな」
「挑発には乗らない」
刀身の長さで負けている上に二人の体格差から来る間合いの違い。それ以上に問題なのは刀身の重さ。非力なマウスの扱う細い剣では相手の大剣とぶつかったら簡単に折られてしまうだろう。
マウスがとても扱えないと諦めた、常人ならば両手で扱うべき大剣を、彼は片手持ちでしかもナイフでも扱うかのように左右に持ち替えながら自在に攻めてくる。明らかに剣術の基本からはかけ離れている。甲冑は着けていないが、両手の肘から先は手甲で覆われている。恐らくはこの戦法を用いるために手首を固定しているのだろう。
唯一の勝機は敵が自分の墓の上から一歩も動けないと言う点だ。つまり攻撃の主導権は常にこちらにある。マウスは互いの間合いを完全に見切っていた。
「常に味方との連携を考慮する傭兵のそれと違い、聖戦士は単独行動を基本とする。つまり同時に大人数を相手にする事を前提とした破形の剣術。逆に一人を相手にするのは…」
不得手の筈。
つけ込むべきはその剣の重さ。一撃を交せば返しの二撃目までわずかな隙が出来る。左右の持ち替えはその返しの時間差を最小限にするための戦術であるが。
剣が左手から右手へ移ったその刹那、マウスは一気に間合いに入り込む。
「ここで来るか」
普通なら剣が左手にあるときの方が攻めやすいように思えるのだが、両手を全く同等に使える相手には意味が無い。それならば剣が右手にあるときの方が急所が狙いやすい。
マウスは右からの返しが届く前に全身のバネを利かせた捨て身の一撃を相手の心臓へと突き入れる。これが彼の必殺技となった心臓突き誕生の瞬間である。
「見事」
大剣はマウスの首筋の手前で止まった。通常の戦いで有れば惰性でマウスの首も飛ばされていたであろうがこれは幽冥界の戦いである。剣は己の負けを認めて霧散した。
「貴方が甲冑を着けていればこんな負け方はなかったでしょうに」
「絶対に甲冑を身に着けない彼の戦術を真似ただけだ」
師の姿を借りた大剣は答えた。
「師匠は何故そんな無茶な戦い方を?」
「自分が傷を負う前にこの俺が敵を倒すと信じていたからだ。今のお前の様に」
「では僕は認めて貰えたのかな」
「まだまだ腕は未熟だが、その度胸だけは認めよう」
剣士は姿を消し、背景は元の墓場に戻る。一つだけ違っているのは墓に刺さっていた大剣がすっかり錆びている事だ。聖戦士の大剣は三年遅れで主の元へと向かったのだろう。
「さようなら、相棒」
とどこからとも無く女性の声がする。
「お前、喋れたのか」
信じがたいが声の発信源はマウスが腰に帯びる鞘らしい。そういえば老人が「彼女」と呼んでいた。
「お前とは失礼だわね。私の方がずっと年上なのよ」
作られてから五百年と言うから、マウスよりも二十五倍も”生きている”事になる。
「これまでに七人の主人と五振りの相方を看取ってきたけど、あの”二人”は最も長く連れ添った相手だったわ」
剣士とは約五十年だが、剣の方は前の持ち主からの引き継ぎで百年を越えると言う。
「出逢った頃は気の利かない男だったわ。長い間にようやく意思の疎通が出来るまでになったけど」
とこれは剣の話らしい。剣の切れ味を高める鞘の魔力がいつしか剣の自我をも引き出したのだと言う。それほど長年連れ添った相方と別れることに成ったのも、すべてマウスに彼を使いこなす腕力が無かったためである。
「なにか申し訳ないな」
「そんな事、あんたの気にする事じゃないわね。私は正義と秩序を守るために主人に協力するただそれだけさ」
「僕は新しい主として相応しいのだろうか」
「前の主人が先代を越えたのは十回目だったから、将来有望かもね」
この継承戦は年に一度、先代の命日にだけ行われる。つまり、十回と言う事は、
「十年掛かりですか」
「あの子は、自分の戦術を掴むのに随分と手間取ったから」
先代は恵まれた体格に任せて重装備の鎧を着込んで大剣を振り回す典型的な重戦士タイプだったと言う。
「それが、どうしてあんな軽装に?」
『剣は正義の象徴。鎧は秩序の亀鑑』
聖戦士の誓いの一節だが、
「だがある時に気付いたのね。我が身を守る鎧は不要なのだと」
聖戦士には内に秘められた強力な治癒能力が与えられている。
「聖戦士の癒しの力は救いを求める人々の願いが具現化したモノ」
だから聖戦士が己の戒律に従っている限り、その力は強まっていくのだという。
「聖戦士とは秩序を守るべき存在であって、秩序に守られていてはいけない」
「良いんですか、そんな事僕に話しても」
先代が十年に渡る試行錯誤の果てに見つけた答えを簡単に教えられたのでは不公平ではないか。
「別に構わないでしょう。貴方は既にその域に達しているから」
「僕の場合は、重い鎧で動きを束縛するより軽装で動き回る方が得意だから」
マウスが軽武装なのは、盗賊家業との兼ね合いもある。重い板金鎧では動きにくくて仕事にならない。
「その点も見越して、貴方を選んだんでしょうねえ」
『秩序をもたらさない正義は独善。正義に基づかない秩序は欺瞞』
聖戦士の誓いはこう続く。
「貴方はその使命に目覚める前からその精神を体現しているようね」
と言われてもマウスにはその実感はない。
「貴方はもう地の底を這い回るネズミではない。これからは鼠狩るモノと名乗りなさい」
鞘はそう言って言葉を止めた。
この日、義賊マウザーが誕生した。




