1・永作香澄の章 (5)
どうしてだろう。
いつもならベッドに入ればすぐに眠りについてしまうのに、今夜はなぜかなかなか寝付くことが出来なかった。
ぼんやりとベッド脇に置いたネックレスに視線を向ける。窓から刺す月の光を受けて、ほんのりとダイヤモンドが輝いて見える。
手を伸ばしてネックレスに触れる。
やわらかな光。だが、それはどこか寂しげな光を纏っているように見える。
いったい誰がこのネックレスを持っていたのだろう。女性が自分のために買ったものとは思えない。やはり恋人からの贈り物なのだろうか。
(いいなぁ)
ほんの少し羨ましく感じる。
ふと大学の時に付き合っていた間山高広のことを思い出す。間山は大学の先輩で、香澄にとっては生まれて初めての恋人だった。だが、間山が大学を卒業して仕事の都合でアメリカに渡ったことで、その後半年も経たないうちに別れることになってしまった。
今でも時々、間山のことを思い出すことは多い。あの頃が香澄にとって一番幸せな時期だったような気がする。
間山が買ってくれたオープンハートのネックレスは今でも大切にしまってある。
――一緒にアメリカに行ってくれないか?
あの時の言葉が思い出される。
もし、あの時、間山の言葉に従っていたら、きっと人生は大きく変わっていただろう。
(あの人、どうしてるかな?)
そんなことを考えているうち、香澄はゆっくりと眠りに落ちていった。
意識の深いところから声が聞こえる。
――どうしてそんなに不安そうな顔をしているの?
誰かがそう囁きながら香澄の髪を撫でている。聞いたことのある声だ。
――大丈夫。心配いらないよ。
(熊谷部長?)
はっきりと聞き取ることは出来ないが、それは確かに熊谷の声だ。
夢だろうか。
――愛してるよ。
甘い囁き。
これは夢だ。夢に決まっている。
自分が今、ベッドのなかで横たわっていることははっきりと理解出来ている。それなのに、どこかその声だけははっきりと頭のなかに響いてくる。
(夢なのに……)
自分の心のなかに、それほどまでに熊谷を想う気持ちがあるというのだろうか。妙な不安感が全身を包む。
熊谷の手が頬に触れる。
暖かな温もり。まるでそれが夢などとは感じられない。思わず身を竦める香澄の肩をその腕は力強く抱きしめた。
身体が震える。
(やめて……)
だが、それは声にならない。
これは夢なのだ。そう自分自身に言い聞かせようとする。それなのにその温もりはまるで現実のものと同じように伝わってくる。
――愛してる。
そっと息が首筋にかかる。
「いや……」
微かに声が漏れた。その声に香澄の肩にかかった腕の力がわずかに緩む。
(逃げなきゃ)
香澄はさらに声を出そうとした。
その瞬間。
――ダメヨ。
ふと、女の声が頭のなかに響いた。そして、身体全体を白い霧が包み込む。
(嫌……やめて)
香澄はその力に逆らおうとした。
――力ヲ貸シテ。
ふっとその声が心に触れる。寂しく、悲しみに包まれた冷たい感情。香澄は思わず力を抜いた。
白い霧が香澄を多い、そして、視界は闇に包まれていく。
窓から差し込む朝日に目を開ける。
すでに午前8時を回っている。
妙に頭の芯が疲れている感じが残っている。
(どうしたんだろ……)
いつもならどんなに疲れていても、一晩眠ると疲れは消えている。それなのに今朝は身体全体がやけに重い感じがする。
響子の仕事を全て引き継いだことで、精神的に疲れているのかもしれない。
香澄はゆっくりとベッドから起き上がると、カーテンを大きく開け放った。明るい日差しが部屋を満たす。
香澄は身体の疲れを取ろうとするように、大きく背伸びをした。
(せっかくの休みなんだから出かけようかな)
ふとベッドの脇に視線を移すと、あのネックレスが朝日を浴びてキラキラと光を帯びている。
香澄はそっと手を伸ばすと、迷うことなくそのネックレスを首にかけた。
――ゴメンネ
ふと、そんな声が耳の奥で聞こえたような気がした。