13・裁きの章
13・裁きの章
「それで?」
女はホテルのベッドの中、男の胸元に唇を這わせ、細い指でゆっくりと男の頬を撫でる。「奥さんは無事だったの?」
「全治2ヶ月だそうだ」
男は女の手が頬から首元を撫でるのをくすぐったそうに首を竦めた。
「死ななかったのね」
「ああ」
「惜しいなぁ。そこまでやってくれたのに」
そう言いながら女はシーツのなかから顔を出すと、ベッド脇に置かれた電気スタンドのスイッチを入れた。
二人の顔が明かりに照らされる。熊谷幸人と川口玲子だった。
「怖いこと言うなよ」
「あら、自分だってそうなればいいって思ってたでしょ?」
「俺は別にそこまでは考えてなかったさ。そもそも、いくら彼女が俺に惚れていたとしても、まさか殺しまでやるとは思わないだろ。それにどっちかというと彼女には生きて役に立ってもらったほうがありがたかったからな。せっかく向こうから飛び込んできたものを惜しいことしたよ。おまえだってそうじゃないのか?」
「そうねぇ。あの子がそんなに思いつめる子だとは思わなかったわ。むしろやるとしたら響子さんのほうかと思ってたし」
「そうだな。ただ、そうなる前におまえが始末しちゃったんじゃないか。タバコ、取ってくれないか」
「そりゃ、そうよ。だって響子さんったら横領したお金をあなたに渡してたことを課長に喋ろうとしてたんでしょ。そんなことになったらあなたが困るでしょ? 私はあなたのことを守ってあげたのよ。ちゃんと感謝してよね」
クスリと笑って玲子はベッド脇に置かれた熊谷のタバコに手を伸ばした。
「だが、殺されたんだろ? その男も」
「松野君のこと?」
玲子はタバコを一本取り出すと熊谷の口に咥えさせ、ライダーで火をつける。熊谷はすぅっと吸い込み、鼻から紫煙を吐き出した。
「まさかおまえがやったんじゃないだろうな?」
「やめてよ。どうして私がそんなことを?」
「口止めじゃないのか?」
「嫌ね。私がそんなことすると思ってるの? 彼を殺したのは、なんでも彼の恋人だったみたいよ」
「それもおまえが裏で引いてたりするんじゃないか? 新山響子の殺しまで計画する女だからな」
「あなたのためにやってあげたのに。失礼ね」
「感謝してるよ」
熊谷はそう言って左腕で玲子の身体を抱き寄せる。
「奥さんはどうしてるの?」
「しばらくは病院だよ」
「付き添ってあげなくていいの?」
「いいさ」
「ひどいわねぇ。奥さんが殺されかけた次の日に、こんなふうに他の女を抱いてるんだからさ。赤ちゃんは?」
「実家に預かってもらってる。俺一人じゃ面倒なんて見れないからな」
「その間にお父さんはこうやって遊んでるわけ? いいのかしら?」
「やっぱ俺に結婚なんて向かなかったのかもしれないなぁ」
熊谷はそう言って低く笑った。
「最低な人ねぇ。結局は奥さんの財産目当てだけ?」
「その最低な男に惚れてるのは誰だよ?」
そっと玲子の髪を撫でる。その熊谷の視線がふと止まった。「あれ……なんだ?」
玲子は熊谷が指を指している天井を見上げた。天井に大きな二重の円が書かれ、そこにアラビア文字のような記号が並んでいる。
「何かしら……あ、あっちにも」
気づくと部屋の壁にもあちこちに同じような模様が描かれている。
「こんなものさっきまであったか?」
「ううん……いつの間に? 何か気持ち悪いわ。それに何か、この部屋……狭くない?」
玲子はシーツで胸元を隠しながら身体を起こした。
「そういや……そうだな」
熊谷も部屋を見回す。確かにチェックインした時に比べ、部屋は小さく感じる。だが、そんなことが起こりえるはずもない。「ただの気のせいだろ」
そう言った時、わずかにグラリと揺れた感じがした。それは玲子も同じだった。
「地震かしら?」
「さあ……」
再び、グラリと揺れる。しかも、その揺れ方は普通のそれとは違っている。
「何……?」
不安そうに玲子がキョロキョロと部屋を見回す。
「大丈夫だよ。怖がりだな」
熊谷が笑いながら言った時――
「あ!」と、玲子が声をあげた。
「どうした?」
「あ……あれ……」
ふと玲子の視線を辿る。すると、壁に書かれていた模様がうっすらと光っている。しかも、次々と他の模様も光りはじめる。
「何だ、こりゃ……」
熊谷は唖然として壁の模様を見つめた。
「気持ち悪いわ」
「まったくだ……」
フロントに一言文句を言おうと、手を伸ばしてベッド脇に置かれた受話器を手に取った。熊谷が口を開く前に、その受話器から声が聞こえてきた。
――悪しき魂は我が糧となるがいい。
「何? 何だって?」
何を言われたのかわからず、熊谷は聞き返した。だが、その問いかけに答えはなかった。その代わりに聞こえてきたのは――
「部長……早く会いに来て……」
熊谷は思わず受話器を叩きつけた。それは紛れもなく新山響子の声だった。
「ねえ……これ」
玲子がシーツの上に置かれていた小さなカードを手に取り、熊谷のほうに向けた。1枚のタロットカード。そこには一人の男が描かれ、その足元に裸の男女が描かれている。カードの下には『Devil』。「なんなの? これ」
玲子は声を震わせ、カードを投げ捨てた。
「わからない……出よう……こんな気持ち悪いホテル、ごめんだ」
熊谷はそう言って立ち上がった。
「待ってよ」
玲子も慌ててベッドの上に脱ぎ捨てられた下着を身につけ始める。
だが――
ズズズ……
その音にはっとして周囲を見回す。
部屋がさらに狭くなっている気がする。しかも、その壁が歪んで見える。
(そんなバカな……)
そんなことがあるはずがない。だが、妙な気配が部屋を取り巻いていることは感じられる。
「急げ」
熊谷は慌ててズボンを履くと、上着を抱えてドアに駆け寄った。だが、ドアを開けようとして熊谷の表情は強張った。
「ちょっと待ってよ!」
玲子が熊谷に声をかける。
「ちきしょう!」
「どうしたの?」
「鍵がかかってるやがる」
熊谷は唸るように言った。
「フロントに電話すればいいじゃないの」
熊谷はベッド脇に置かれた電話に目を向けた。だが、さっきの声が思い出される。
(あれは――)
確かに新山響子のものだった。
「おまえ、かけてみろ」
「嫌よ。どうして私なの?」
怒ったように玲子が言う。仕方なく、熊谷はベッドのところに戻ると恐る恐る受話器を手に取り耳に当てる。
サラサラと何か砂の流れるような音が受話器の奥から聞こえてくる。
(何の音だ?)
次第にその音が大きくなっていく。
突然、妙な感触が足元を襲った。はっとして足元に視線を移すと、そこにあったはずの床が消え、真っ白な砂が敷き詰められている。
「キャァァァ!」
玲子が悲鳴をあげた。まるで流砂に飲み込まれるように、玲子の身体が砂に吸い込まれていく。
「玲子!」
いつのまにか壁が崩れ、全てが大きな砂のうねりとなって熊谷たちを中心とした渦を作っている。
「助けてぇ!」
玲子が砂から逃れようともがいている。だが、すでに上半身は砂に埋もれ、さらに少しずつその身体はズルズルと砂のなかに飲み込まれていく。そして、熊谷の足にも砂が絡みついてくる。
「ひぃ……」
必死になって砂のなかから足を抜こうとする。だが、砂はまるで生きているかのように熊谷の身体に張り付き、這い登ってくる。
「た……助けてくれ……やめろぇおおお!」
思わず悲鳴に近い声が漏れる。
すでに玲子の姿は砂のなかにすっぽりと隠れている。
その時、手に持っていた受話器から再び声が聞こえてきた。
――部長……早く来て
低い笑い声が部屋のなかに響いた。




