10・鮎川早苗の章 (2)
秋彦の運転するアコードに乗せられ、御茶ノ水にある香澄が努める会社に着く頃には午後4時を過ぎていた。
早苗はビルの前に車を止めてもらうと、携帯電話を取り出し香澄に電話をかけた。だが、何度呼び出し音が鳴っても香澄は電話に出なかった。
「どうした?」
運転席に座った秋彦が早苗に訊いた。
「うん……全然出ないのよ。呼び出し音は鳴ってるんだけど……」
「会社にかけてみたらどうだ?」
「え? 会社の番号、知らないもの」
「ほら」
秋彦が上着のポケットから手帳を取り出し、ページを捲ると早苗に向けて見せた。『ライフラインズ』と書かれ、その隣に住所と電話番号が書かれている。
「どうして知ってるの?」
「バカな質問するな。俺が刑事で、『新山響子』の事件を調べているからに決まってるだろ」
「あ、そうだったわね」
焦りのせいか思考能力が落ちている。早苗は手帳に書かれた番号をダイヤルした。すぐに若い女性の声が聞こえてきた。
「――すいません、鮎川と言いますが、経理課の永作香澄さん、いらっしゃいますか?」
――永作ですか? えっと……少々お待ちください。
一度、保留音が聞こえ、それからすぐにまた同じ女性の声が聞こえてきた。
――申し訳ありません。本日、永作は退社しましたが……
「退社?」
――何か急用でしょうか?
「いえ……それでしたら結構です」
早苗は電話を切った。
「いなかったのか?」
「もう帰ったって」
「彼女、吉祥寺だったな。行ってみるか?」
「いいの?」
「ここまで来たら、おまえの勘に付き合ってやるよ」
秋彦はそう言うとアコードを発進させた。
「ありがとう。私、もう一回香澄にかけてみる」
と言いながら、再び香澄の携帯に電話をかける。5回……10回……呼び出し音は鳴り続けるが、それでも香澄は電話に出ようとしない。
(どうしちゃったの?)
早苗はずっと携帯電話を鳴らしつづけた。
車は進路を西に取り、吉祥寺方面へと進んでいく。だが、そこに香澄がいるような気がしない。
突然、呼び出し音が止まった。
――……早苗……
香澄の声だ。
「香澄! どこにいるの?」
――……早苗……私、どうすればいいのかわからない。
周囲の雑音にかき消されそうなほど小さな声。
「香澄! しっかりして!」
――ごめんね。
「何謝ってるの? 今どこなの?」
――……ごめん。私……行かなきゃ
ツーツーツー……
「香澄ちゃん、いたのか?」
秋彦が声をかける。
「……うん」
「どこにいるって言ってたんだ?」
「わからない……でも……後ろで駅のアナウンスが聞こえてた。聞き取りにくかったけど、たぶん『自由が丘』って言ってた気がする」
「自由が丘? なぜ、そんなところに?」
「わかんないわよ!」
思わず早苗は叫んだ。香澄の身に何かが起きている。その思いが不安を大きくさせている。
「落ち着けよ」
「……わかってる。わかってるんだけど……なんだか香澄の様子がおかしいの」
早苗は再び、香澄の携帯に電話をかけた。だが、すでに香澄は携帯の電源を切ってしまったらしく、呼び出し音すら聞こえてこない。
早苗は不安を押さえつけようとするように携帯電話を握り締めた。
「とりあえず行ってみよう」
「お兄ちゃん、お願い、急いで! 早く見つけないと……取り返しのつかないことになってしまいそうで――」
いや、すでに取り返しのつかないことになってしまっているのかもしれない。それでも、まだ何とかなると信じたかった。




