1・永作香澄の章 (2)
小さなショーウインドーに夕陽が当たっている。香澄はその前に立ち、小さな窓から店のなかを覗き込んでいた。
(こんなところにこんなお店があるなんて)
大学の同級生で親友の鮎川早苗に会うつもりで彼女の会社がある池袋までやって来たのだが、突然、早苗の都合が悪くなり、時間を持て余してフラフラ歩いているうちに、通りから外れた路地の角でこの店を見つけたのだ。
小さな西洋アンティークショップ。窓からははっきりと中の様子を確認することは出来ないが、店内に家具や骨董品が無造作に並んでいるのが見て取れる。
香澄はほんの少し興味を持ち、店に入ってみることにした。木で出来たドアを開き、店のなかに足を踏み入れる。わずかにドアがギーっと小さな音を鳴らした。店内は小さな照明がぼんやりと商品を照らしている。
店内はそれほど広くはなく、椅子やテーブル、そして、青い目をしたプラスティックドール、壁にかかった時計、古びた家具などが独特の光沢を放って小さな店内に所狭しと並んでいる。まるでこの空間だけは時間が止まっているかのような錯覚を受ける。
店に入ってすぐ左手に大きなスタンドミラーが置かれている。薔薇を象った飾りが全体を覆っている。まるで『白雪姫』に出てくる王妃が美しさを訊いた鏡のようだ。そこに黒いワンピースを着た自分の姿が映っている。肩より少し長く伸びたストレートの髪。子供の頃から誰しもが誉めてくれるその髪は、香澄にとって何よりの自慢だった。
一瞬、この店のことを早苗に教えてあげようかとバッグにある携帯電話を取り出そうとしたが、彼女もまた自分と同じようにそれほどアンティークに興味があるという話を聞いたことはない。むしろ思い出したのは、先日、自殺した新山響子のほうだった。アンティーク品を集めるのが好きだと話していたことがある。アンティーク品を買う度に一つ一つ写真に撮って、アルバムに収めていたらしい。
――私ね、童話のなかに出てくるような家に住んでみたかったの。昔の家具って童話に出てくる小さなお家って感じがするでしょ? 高いものが多くてなかなか買うことは出来ないんだけどね。
そう言って控えめに微笑む響子の顔が脳裏に蘇ってくる。きっと彼女にしてみれば、こういう光景は宝の山に見えるのかもしれない。
「いらっしゃい」
その声にはっとして奥のほうに目を向けると、白髪の老人がカウンター席の向こう側に座っているのが見えた。毛糸の帽子を被り、白いワイシャツに黒いベスト、そして、火の点いていないパイプを口に咥えている。いかにも骨董品屋の店主といった感じだ。
老人は読んでいた新聞を閉じると老眼鏡の奥からジロリと香澄の顔を見た。
「何かお探し物ですかな?」
「いえ……探し物ってわけじゃないんですけど」
「冷やかしかな?」
「す、すいません」
香澄は頭を下げると慌てて出て行こうとした。その香澄を老人が呼び止めた。
「ちょっとお待ち」
「……はい」
足を止め振り返る。
「何も出て行けなどと言ってはおらんよ。骨董品は好きかな?」
香澄はどう答えていいか迷った。正直言ってアンティークにこれまで興味を持ったことはなかった。店に入ろうと思ったのもほんの気まぐれにすぎない。だが、それを正直に言えば叱られそうな気がする。
その時、ふとカウンターの上にあるガラスケースの中に飾られた一つの輝きが目に入った。
「あの……それは?」
老人は香澄が指をさす方向に視線を向けた。そこにはシルバーのチェーンに小さなリーフ型の飾りがついたネックレスが飾られていた。中央に大粒のダイヤモンドが埋め込まれ、周囲には小粒のダイヤモンドが散りばめられている。アンティークというほど古そうにも見えない。
老人は手を伸ばし、ネックレスを取り上げた。
「これかな?」
「綺麗ですね。それもアンティークなんですか?」
「こいつはそんな古いもんじゃないな。気にいったのかい? なかなか良い目をしてるじゃないか。買うかい?」
老眼鏡をわずかにずらし、香澄の表情を伺う。
「でも、高そうですね」
「ふむ、いくらで買ったんだったかな?」
老人は首を捻りながらネックレスを調べている。「そもそも、こんなもの。いつ仕入れたかな?」
老人はネックレスと香澄とを見比べるように視線を動かした。まるでネックレスそのものの値段を考えているわけではなく、香澄がいくら出せるかを値踏みしているように見える。
中心に埋め込まれたダイヤモンドが店内の薄い照明を受けて妖しく光っている。やはりとても自分の小遣いで買えるような安物には見えない。
「あ、やっぱりいいです」
慌てて断わろうとした瞬間、老人の表情が変わった。
「千円……でいいよ」
「え? ホントに?」
その金額に香澄は耳を疑った。
「……ああ。ここを見てごらん」
老人はネックレスの裏面を香澄に向けて見せた。「ここに小さな傷があるだろ? これのために価値は半値以下だ」
確かにそこにはわずかに小さな傷が見える。
「でも……本当に千円でいいんですか?」
老人の言うように傷があれば価値が落ちるということもあるのかもしれない。だが、そこに見えるのは、あまりにも小さな傷でよほど目を凝らさなければ気づくことはないだろう。そんな小さな傷があるというだけの理由で、これほどのものが千円という安価で買う事が出来ることに香澄は驚いた。
「構わないよ」
どこか虚ろな声で老人が答えた。「買うかい?」
「はい!」
香澄はすぐにバッグから財布を取り出しと、そこから千円札を一枚抜き取った。
「ほら」
老人は香澄が差し出した千円札1枚を受け取ると、無造作にネックレスを手渡した。そして、カウンターの奥にゆっくりと引っ込み再び新聞を手にした。
「本当にいいんですよね」
香澄はネックレスを受け取りながら、念を押すように恐る恐る訊ねた。
「ああ……」
ぼんやりとした声で答えると、老人はもう香澄のことなど眼中にない様子で新聞を広げる。
「あの……ありがとうございました」
香澄は軽く頭を下げると店を出た。