6・鮎川早苗の章 (2)
駅員からの連絡を受け、香澄を迎えに来たのは驚くことに両親ではなく兄の秋彦だった。
秋彦は駅員や乗客に礼を言うと、すぐに香澄を車に乗せ市内の病院へ向かった。検査の結果、ケガはたいしたこともなく、右足もたんなる捻挫と診察された。
家へ帰る車内で秋彦はやっと安心したように口を開いた。
「まったく……最初に連絡を受けた時は驚いたよ」
「ごめんなさい」
香澄は助手席に座り、小さく頭を下げた。
「何があったんだ? ただの事故なのか?」
正直、よくわからなかった。振り返った時に見えたあの白い手が、自分を助けようとしていたのか、それとも突き落としたものなのか。ただ、あの時、誰かの手が自分の背中を強く押したことだけは事実のような気がする。だが、いったい誰が自分を殺そうとするだろう。
(あの手は……)
ふと頭に浮かびあがってくる顔を早苗は打ち消した。
「うん……よくわかんない。ぼんやりしてて落ちただけだと思う」
そう。相手に殺意があったかどうかなど、まだわかっていない。今は余計な心配をかけさせないほうがいいだろう。
「……そうか」
秋彦はほっとしたように言った。
「それより、美麗さんは本当にいなかったの?」
香澄は秋彦に訊いた。
「美麗さん? ……って誰だっけ?」
「線路に落ちた私を助けあげてくれた人よ」
「ああ、あれか。何回訊けば気が済むんだ?」
助けられた後、香澄はすぐに駅員に事情を説明し美麗のことを捜してもらった。だが、ホームにいた人々も皆、その姿を確認しているにも関わらず、美麗の姿はどこにも見つけることが出来なかった。
「でも、確かに美麗さんがあそこにいたのよ」
「ああ。他の乗客も一人の女性が飛び降りておまえを助け上げる姿を見ている。だが、どこにもその人の姿はなかったんだ。最悪のことも考えて、線路脇をいろいろ探してもらったが、転がってたのは人形の腕だけだったよ。まあ、良かったじゃないか。どうやっていなくなったのかはわからないが、電車に轢かれた死体が見つかるよりはよほど良い」
「そりゃそうだけど。でも、私を助けてくれたのは間違いなく美麗さんだったわ」
「なら礼を言わなきゃな」
「じゃ、今から行ってくれる?」
「無理だよ。俺はおまえを家に送ったらすぐに署に戻らなきゃいけないんだ」
秋彦は渋い顔をした。
「また仕事に行くの?」
「しょうがないさ。片付けなきゃいけない仕事が山積みになってるんだからな」
「『占いの館』までならそんなに時間かからないわよ。帰りは電車で帰るからさ。お礼は早く言わないとね」
「おまえなぁ。あんなことがあったんだぞ。今日くらい大人しくしておけよ」
「大丈夫よ。ほんのちょっと足を捻っただけなんだから。お願い!」
「まったく……」
秋彦は大げさにため息をつきながらもハンドルを切った。
美麗が本当に無事なのかそれを早く確かめたかった。もちろん美麗の姿を見つけられなかったということは、秋彦の言うように何かしらの方法によって無事にあの場所から姿を消したというかもしれない。ただ、電車がホームに滑り込んできた瞬間、線路に立っていた美麗のあの時の姿が目に焼きついて離れない。一刻も早く、直接、美麗に会って確認したかった。
やがて、遠くに『占いの館』の三角屋根が見えてきた。入り口付近には照明が灯され、昼間以上に怪しい雰囲気がかもしだされている。
秋彦は『占いの館』の隣に車を止めると、早苗に待っているように言って中へ走っいった。
しばらくして、秋彦が姿を現した。
「今日は休みだってさ」
秋彦は運転席に戻ると言った。
「休み?」
「ついでに言うと、二葉君も休みらしい」
「どうして二葉まで休みなの?」
「さあ。俺だってそこまでは知らないよ。それに美麗って子の休みを電話で連絡したのも二葉君らしいよ。まさか一緒に住んでるとか?」
「どこに住んでるか誰かわからないかな……」
「阿佐ヶ谷だよ」
「え? どうして知ってるの?」
早苗は秋彦の顔を見た。
「彼は松野真一殺しの第一発見者だからな。事情聴取の時にそのくらいは聞いてるよ」
「じゃあ住所までわかるのね?」
「まあな。行ってみるか?」
「うん!」
「しょうがないなぁ」
秋彦はそう言うとアクセルを踏み込んだ。
「ありがとう」
「ま、いいさ。もし、本当にその人がおまえを助けてくれたのなら、俺も一度礼を言わなきゃいけないからな。その美麗って子、二葉君のカノジョなのかな?」
「さ、さあ……本人は違うって言ってたわよ」
そう答える早苗の顔を秋彦は何か言いたげにちらりと見つめた。「何よ?」
「がんばれよ」
「な、何言ってるのよ?」
「別にぃ」
秋彦はそう言ってアクセルを踏み込んだ。




