5・永作香澄の章 (1)
5・永作香澄の章
伝票処理が多い時には、架空の伝票も入力しやすくなる。
香澄はちらりと課長席の長谷川の姿を確認しながらも、熊谷に渡す金を作るために架空伝票をパソコン画面に打ち込んだ。
二度、三度続けることで、次第に心の呵責は小さくなっていく。すでに香澄は今週だけで100万近い金を不正に引き出していた。そして、その全てを熊谷に渡している。熊谷は最初だけはわずかに拒んだものの、その後は何も言わずに金を受け取ってくれるようになっていた。
以前、新山響子が処理していた時と同様に、長谷川は細かな伝票のチェックは全て香澄に任せっきりになっている。これなら香澄のやっていることがバレる心配もない。
「永作さん」
突然、長谷川が顔をあげて香澄へ声をかけた。
「はい」
伝票入力画面を慌てて閉じると、香澄は長谷川のほうへ顔を向けた。
「先月の経費なんだけど――」
長谷川は先月の経費明細票を手にしていた。「この数字、間違ってない?」
「何かおかしいですか?」
一瞬、ドキリとしたが、先月はまだ架空伝票の処理はやっていない。
「おかしいってわけじゃないんだけどね……先月はいつもよりも経費が少ないと思ってさ。なんか処理し忘れた伝票とかない?」
それを聞いて香澄はほっと胸を撫で下ろした。それは香澄自身も集計して気づいていたことだったし、驚いていたことでもあった。最初は集計を間違ったのだろうと思ったのだが、何度集計しても結果は同じだった。
「そうですね……でも、伝票は全部処理してありますよ」
「ふぅん。それじゃ彼らもやっと経費節減の努力を始めたわけかな」
長谷川はぼそりと呟いて企画営業部のほうを見た。
「そうかもしれませんね」
香澄は軽く笑ってみせた。だが、心のなかでは長谷川とはまったく違うことを考えていた。
営業社員から回ってくる伝票の枚数や金額は以前とまったく変わっていない。いや、むしろマーケット拡大に伴って増えているといってもいいだろう。それなのに先月の経費は以前に比べて少なくなっていた。それは何か特定の経費が減ったことを示している。先月とそれ以前と大きく変わったこと。それは伝票処理を担当しているのが新山響子から自分に代わったことだ。
つまり――
(響子さんも、私と同じことをしていた)
信じられないことだが、考えられるのはそれしかなかった。
だが、香澄はその出来事に、響子という人間の本当の姿に触れたような感じがしていた。いつも穏やかで、感情を押し殺したような笑顔しか見せなかった響子にも人間らしい部分があったのだと、むしろほっとしたのだ。
(あの人も私も同じ人間なんだ)
そう思うことで自分自身の罪までも軽く感じられる気がした。
長谷川がその書類に日付印を押して机の脇に投げるようにして置くのを見て、香澄はほっと胸を撫で下ろし、パソコンのディスプレイに視線を戻した。
きっと来月からは以前とほぼ同じ金額の経費が発生することだろう。
その時、マナーモードにして机の上に置かれてた携帯電話がメール着信を知らせて大きく振動した。
すぐに手を伸ばし、携帯電話を開く。
(彼だ)
それは熊谷からのメールだった。
振り返ると企画営業部の部長席に座った熊谷がちらりと横目で香澄のほうを眺めているのに気づいた。
『今度の日曜日なんだけど何か予定はある?』
そのメールの内容に香澄は驚いた。今まで休日の予定など熊谷に聞かれたことはなかった。香澄もまた熊谷の休日の予定を聞いたことはなかった。家庭のある熊谷と休日に会えるはずがなかったからだ。
香澄はすぐにメールを返信した。
『何もありません。どうしてですか?』
すると、間を置かずにすぐにまたメールが戻ってくる。
『君の部屋に遊びに行ってもいいかな?』
『大丈夫なんですか?』
長谷川の様子を気にしながら、即座にメールを返す。
『実は真知子の友人が遊びに来ることになってるんでね。僕も空いてるんだよ。休日出勤っていえば問題ないから』
メールを読みながら思わず笑みが零れだすのを香澄は押し殺した。
『それじゃ私、お料理作って待ってますね。部長ってミネストローネスープが好きでしたよね。私、腕によりをかけて作りますから』
『どうして僕の好物を知ってるんだい? 君に言ったことあったかな?』
自分でもわからなかった。突然、それが頭のなかに自然な形で思い浮かんだのだ。
『……勘かな(笑)』
香澄はそう誤魔化した。




