3・永作香澄の章 (3)
駅裏にある焼き鳥屋は厨房から流れてくる煙でうっすらと空気が白く濁っていた。
店内は狭いうえにひどく汚れていて、香澄たち以外には土木作業員風の中年の男二人が向かい合って飲んでいる姿が見えるだけだった。
店に入った瞬間、香澄はそのまま身体を反転して出て行きたい気持ちになった。きっと店を出る頃には今着ているブレザーも、隣の席に置いたコートにもこの店の匂いが染み付いてしまうことだろう。
「ここの焼き鳥はうまいんだよ」
澤村だけがやけにはしゃいでいた。「さ、どんどん食べてよ。俺のおごりだからさ」
「……ええ」
食欲などなかった。いや、あったとしても澤村の奢りでなど食事をしたくはなかった。澤村の誘いに乗った理由は昼間、澤村が言っていたことを確認したかったからだ。
「焼き鳥は嫌い?」
全然手を出そうとしない香澄を見て澤村が訊いた。
「いえ、そんなことないです。あんまり食欲がなくって」
焼き鳥は嫌いではない。だが、この店で出されるものには出来る限り手をつけたくなかった。いや、もし一緒に来たのが澤村でなく熊谷だったとしたら、この店に対する印象もまるで違っていたのかもしれない。
「もっと何か頼もうか?」
「いえ、いいです。それより話って何ですか?」
「ん? 話って?」
まるで惚けたように訊き返しながら、澤村はネクタイをだらしなく緩めた。
「昼間、言ってたじゃないですか」
「ああ、あのことね」
澤村はビールをぐっと飲むと、ゲフリと大きくゲップをした。香澄はますます眉をひそめた。澤村と同じ空間で同じ空間にいると思うだけで気分が悪くなってくる。一刻も早く席を立って逃げ出してしまいたい。
「この前、何があったんですか?」
「何って? それは香澄ちゃんが一番知ってるはずでしょ? 忘れちゃったの?」
ニヤニヤと口元を歪ませて澤村が聞いた。
「そういうわけじゃないですけど……」
「で、あいつ、誰なの?」
「別に……澤村さんには関係ないじゃないですか」
とてもあの男のことを知らないとは言えない。
「冷たいなぁ」
「そんなことないですけど……」
「まあ、香澄ちゃんとあの男とじゃあんまり釣合いが取れてる感じもしないもんね」
澤村は焼き鳥を咥えながら言った。のらりくらりと話す澤村に香澄は我慢出来なくなってきた。
「だから何なんですか? いったい何が言いたいのか、全然わからないんですけど。澤村さん、何か勘違いしてるんじゃないですか?」
香澄は強い口調で言った。
「勘違い?」
「何を見たって言うんです?」
香澄の強い口調に澤村はびっくりしたような顔をした。
「……いや……そんな怒らなくてもいいじゃないか」
「怒ってません。何を見たのか訊いてるだけです。私を尾行したんでしょ? いったい何を見たっていうんですか?」
「いや……尾行って言ったって……駅までつけてっただけだよ」
「駅? それで?」
「そ、それだけだよ」
「それだけ? それだけであんな言い方したんですか?」
頭にカッと血がのぼる。
「いや……君があんまり驚いたような顔するからさ……まさか本当に憶えてないとか?」
「そ、そんなはずないでしょ!」
香澄は思わず叫んだ。狭い店内にその声が響き渡り、奥に座っていた中年の客が香澄たちに顔を向ける。厨房からも初老の店主がそっと顔を出した。
「わ、わかったよ。そんな大声出さなくても」
澤村は慌てて香澄を宥めようとした。
「私、帰ります」
香澄はおもむろに立ち上がった。澤村は何も見ていない。それがはっきりしただけで十分だった。これ以上ここに残って嫌な思いをする必要はない。
「ま、待って!」
止めようとする澤村を無視して香澄は表へ飛び出した。




