2・鮎川早苗の章 (2)
午後5時半。
空は赤く染まり、街は薄闇に包まれ始めている。
こんな早い時間に退社するのは本当に久しぶりだ。早苗はウキウキした気持ちで足を早めた。買い物にも行きたいし、久しぶりに道場に行って汗も流したい。だが、今、何よりも行ってみたいのが、駅裏にある『占いの館』だった。
そこには神城二葉がいる。
二葉は自分のことを憶えているだろうか。わずかな緊張が身体を包んでいる。
(忘れてるかもしれない)
あれから10年以上が過ぎている。決して短い時間とは言えない。自分にもいろいろな出会いや別れがあったように、二葉にもいろいろな出来事があっただろう。忘れられていても不思議ではない。そう思うとほんの少し会うのが怖い気がしてくる。
駅裏の一角にその建物はあった。
まるでサーカスのテントのような黒い三角の屋根。
入り口には若い女性が多く見受けられた。入り口を入ると大きな案内板が貼られていて、そこには各フロアのレイアウトが詳しく描かれている。
(どこだろう)
秋彦からは二葉が『占いの館』で働いていると聞いただけで、そのなかのどれなのかについては教えられていない。
『猫占い』『ギター占い』『そろばん占い』
さまざまな名称のついた占い部屋が並んでいる。とても一つ一つ部屋を覗いて二葉を捜していくわけにもいかないだろう。
入り口のところで悩んでいると、脇から黒いマントを被った女性が声をかけてきた。
「何かお悩みですか?」
真っ赤に口紅を塗った唇がやけに毒々しい。女性は小さな水晶球を胸のところで抱えていた。
「いえ……べつに悩みってわけじゃ――」
「仕事のこと……いや、恋のことですね」
早苗の言葉など無視するように、女はそう呟きながら顔を早苗へ近づけニッと笑みを浮かべた。ツルリとした肌。青いアイシャドーをべったりとつけ、まるでマネキン人形のような表情をしている。「どうぞこちらへ。私が占って差し上げましょう」
「いえ、そうじゃないんです。ちょっと人を捜しているんで――」
「なら、その人がどこにいるかを占って上げますよ」
黒マントの女は早苗の腕を掴んで無理無理奥へと引っ張っていこうとする。
「違いますってば。あの――神城二葉って知ってますか?」
その言葉に女はピタリと足を止め、早苗の手を離すと振り返った。笑みは消え、鋭い目つきで早苗を睨む。
「あんた誰なの?」
黒マントの女はなめまわすような視線で早苗を見た。「まさか『カノジョ』……なんてこと言わないわよね」
「二葉のこと、知ってるんですか?」
「あなた、二葉ちゃんとどういう関係なの?」
真剣な顔つきで女は早苗に詰め寄った。
(二葉ちゃん?)
いったいこの女は何者なのだろう。
「私はただの同級生ですよ。小学校の時のね。ここに彼がいると聞いて懐かしくて会いに来たんです」
「ホント?」
疑いの眼差しで早苗を見る。
「ええ」
「へぇ」
「どこにいますか?」
「この奥よ。ついてきて」
無愛想な表情で女は狭く薄暗い通路を歩いていく。奇妙な声がどこからか聞こえてくる。奇声を発する声や、呪文を唱えるような声が行き交っている。
「失礼ですけど、あなたは?」
早苗は前を歩く女に声をかけた。
「私は柳美麗。ここで占い師をしているの。ついでに彼の恋人よ。コ・イ・ビ・ト。わかる?」
クルリと振り返り、まるで早苗を挑発するかのように美麗は答えた。そして、またスタスタと歩いていく。
(この人が二葉の恋人?)
もちろん二葉にそういう相手がいても不思議ではない。だが、どこか記憶のなかにある二葉と、目の前にいる女とではまるで釣合わないように思える。
美麗はどんどんと通路を奥に進んでいく。右手に『美麗の部屋』という木の小さな看板がかけられた部屋が見えた。
「ここがあなたの部屋?」
「そうよ」
美麗は軽く答えて、さらに奥へ進む。そして、一番奥にある木の扉の前に立つと、ドアをノックした。
「二葉くぅん。いる?」
さっきとはまるで違う甘ったるい声を出した。その声を聞いて早苗は、決してこの女とは親しくなることは出来ないだろうと思った。
「ああ」
微かに声が聞こえ、美麗はドアを押し開けた。
薄暗い部屋の角に微かな明かりを灯すランプがかけられ、そのわずかな光が部屋を小さな部屋を照らしている。
その部屋の正面に美麗と同じようなフードつきの黒いマントを羽織った若い男が座っているのが見えた。白く細面の顔に、大きく鋭い目。早苗はすぐにそれが自分の知る神城二葉であることに気づいた。
「お客さんだよぉ」
「客?」
「小学校の時の同級生だって」
「は?」
若者は驚いたように早苗の顔をじっと見つめる。
「お久しぶり」
軽く右手を振りながら前に進み出る。その瞬間、二葉は立ち上がると部屋の隅に飛びのいた。
「早苗ぉ? な……なんでここにいるんだぁ?」
「なんでって……あんたがここにいるって聞いて会いに来たのよ」
「な……」
まるで早苗のことを怖がっているように見える。憶えていてくれたことは嬉しかったが、その怯えたような態度に早苗はムッとした。
「どうしてそんなに怖がるのよ」
「い、いや……別に怖がってるわけじゃないけど……」
と、言いながらも、二葉はまるで逃げ道でも捜すかのように視線をキョロキョロとせわしなく動かした。
「どうしたの二葉くん? この子、連れてきちゃまずかった? 追い出そうかぁ?」
美麗が早苗を睨みながら二葉に訊いた。それを聞いて、早苗は思わず二人を投げ飛ばしてやりたい衝動にかられた。
「いや、大丈夫。美麗、仕事があるだろうから行っていいよ。ここは大丈夫だよ」
「ホント? 一緒にいてあげるわよ」
「大丈夫。大丈夫だから。行ってくれ」
二葉がシッシと手を振るのを見て、美麗も仕方なくドアを閉め部屋を出て行った。
「かわいいカノジョじゃないの」
美麗が出て行くと、早苗は皮肉をこめて言った。
「カノジョ? 違うよ」
「本人はあなたの恋人だって言ってたわよ。同じような恰好しちゃって。そんなのでも一応ペアルックってことになるのかしら?」
「あれはあいつが勝手にボクの真似をしてるだけで、恋人なんかじゃないよ」
「あら、冷たいのね」
早苗はテーブルを挟んだ正面に腰を下ろした。「二葉も座ったら?」
「あ……うん」
おどおどしながらも二葉も早苗の前に座る。「それにしてもどうしてここに?」
「お兄ちゃんから聞いたのよ。二葉がここで働いてるって」
「お兄ちゃん? 秋彦さんか? 秋彦さんがどうしてここのことを知ってるんだ?」
「お兄ちゃん、杉並署の刑事なのよ。二葉、昨日、殺人事件の第一発見者になったそうじゃないの」
「そっか……それでか」
「私の会社もこの近くにあってね。帰りに寄ってみたのよ。久しぶりね。元気だった?」
「……う、うん」
「まさかこんなところで占い師をしてるなんてね」
早苗は改めて黒いマントを被った二葉をマジマジと眺めた。「いつ戻ってきたの?」
「高校を卒業してすぐに」
「おばさんたちは?」
「今でも北海道で暮らしてるよ」
二葉は手持ち無沙汰なのか、テーブルの上に置かれたタロットカードをパラパラとめくりながら答えた。
「どうして占い師なんてやってるの?」
その問いかけに二葉は驚いたように早苗の顔を見た。
「早苗、何も憶えてないの?」
「何のことよ?」
「そっか、憶えてないのか」
たちまち二葉は安心したような表情になった。
「何よ。何の話をしてるの?」
「別にぃ」
「別にってことないでしょ。気になるじゃないの」
「いいから、いいから」
と、急にニコニコと笑顔を見せ始める。
二葉が何かを隠していることははっきりと感じ取れる。だが、10年も前のことをとてもすぐには思い出すことが出来ない。それでも二葉の態度を見ていると、意地でも思い出さなければいけないような気がしてくる。
「で? どうして占い師なんてやってるの?」
「いや、別に。ただの趣味だよ」
早苗の追及をかわそうとするように二葉は言った。
「趣味?」
早苗は首を捻った。確かに子供の頃、タロットカードのようなものを持っていたような憶えもある。だが、本当にそれだけだろうか。
「これで生活してるの?」
「そうだよ。早苗のことも占ってやろうか?」
「嫌よ」
早苗は即座に答えた。「冗談じゃないわ」
「普通、女の子は占いとか好きなもんだよ。早苗だって子供の時は好きだったよね。遠慮しなくていいからさ」
二葉は勝手にタロットカードを揃えて、早苗の前に置こうとした。
「止めないと殴るわよ」
その言葉を聞いて二葉はピタリと手を止めた。「私も占いは好き。でも、二葉に占って欲しくはないわ」
「あいかわらずだね」
二葉は顔を引きつらせた。
その時、ドアが開き、美麗が顔を覗かせた。
「二葉くぅん、お客さんよぉ。私の水晶より、二葉くんに占って欲しいんだって」




