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キヲク  作者: けせらせら
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2・鮎川早苗の章 (1)

   2・鮎川早苗の章


 最終の電車で帰る日々が続いていた。

 早苗はリビングの灯りを点けると、ソファにどっと倒れこんだ。

 午後11時40分。

 すでに両親は眠ってしまっているだろう。仕事を始めた当初は、起きて早苗が帰宅するのをまってくれたものだが、こんな生活が半年も続いていて、今では早苗が深夜になって帰宅することにすっかり慣れてしまった。

「疲れたぁ」

 誰に言うわけでもなく、早苗はため息とともに呟いた。

 今の会社に入社してすぐに研修も兼ねて、来年から発売予定の新雑誌創刊プロジェクトチームに入れられた。それから半年の間、ずっと取材や編集会議などに追いまわされてきた。帰宅はいつも深夜だったし、早く帰れることがあっても、その代わりというように週末は休日出勤というのが決まっていた。子供の頃から通っている空手道場にもここ半年は通っていない。

 そんな味気ない生活もやっと終わる。

 今日、ついにプロジェクトがほぼ完了し後は来年早々の創刊号の発売を待つばかりとなった。また来週になれば少しは忙しくはなるが、これまでに比べたらずっと楽になる。そうなれば早苗も通常業務に戻れることになるだろう。明日は、久しぶりに有給休暇を取り、ゆっくり休むつもりでいた。

「おっと、いけない。いけない」

 ウトウト眠ってしまいそうになるのを堪えながら、早苗はソファから起き上がった。

 そのままバッグをテーブルに投げ出したままでキッチンへと向かう。空腹ではあったが、とても今から料理をするほどの気力はなかった。戸棚のなかからカップラーメンを取り出してポットからお湯を注ぎ込む。不規則な生活に、乱れた食生活。この2ヶ月で2キロも痩せてしまった。いっそダイエット本でも出してみようかと、バカなことを考えてみる。

「おまえも今、帰りか?」

 ふいに背後から声をかけられ、早苗はびくりとして振り返った。ダークグレイのスーツを着た兄の秋彦が立っている。秋彦もたった今帰ってきたのだろう。お互い仕事が忙しかったこともあって、ここ一ヶ月ほど、まともに顔を合わせることもなかった。

「おかえりぃ。なんか久しぶりねぇ」

「今から飯か。寝る前に食うと太るんだぞ」

 そう言いながらも秋彦は自分も戸棚のなかからカップラーメンを取り出し、お湯を注ぎ始める。

「いそがしすぎて太るほどの余裕もなかったわ。お兄ちゃんも仕事大変そうね」

「まあな」

 いかにも疲れたように身体の体重を投げ出すように椅子に座る。穏やかな雰囲気ではあるが、空手3段、合気道4段という腕前だ。早苗が幼い頃に空手を始めたのもこの兄の影響だった。仕事のことはあまり家族に話すことはなかったが、それでもそれがいかに大変な仕事かは毎日のように夜遅く帰ってくる秋彦を見ていると良くわかった。

 秋彦と向かい合ってカップラーメンを啜る。疲れているせいもあって、お互い何も喋ろうとはしない。

 早苗はふと、先日、香澄に聞いたことを思い出した。

「ねえ――」

 顔をあげて秋彦の顔を見る。「この前、香澄のところに行ったの?」

「彼女に聞いたのか?」

「会社の人が自殺した件で訊きに行ったんですってね。えっと……『新山響子』さんだっけ?」

 香澄から話を聞いた後、新聞記事を読み、事件についての情報は早苗もすでに知っている。

「うん」

「何かわかった?」

「……そんなことおまえに話してもしょうがないだろ?」

 カップラーメンを啜りながらジロリと早苗を見る。「まさか記事にしようなんて考えてるんじゃないだろうな」

「そんなんじゃないわよ。私、事件記者になんてなるつもりないし」

「だったらどうしてそんなことに興味を持つんだ?」

「お兄ちゃんのために言ってあげてるのよ。問題っていうのは一人で抱えているよりも、誰かに話したほうが解決するものよ」

「何をわかったようなことを」

 秋彦は鼻で笑った。

「香澄も気にしてるのよ。そりゃ、急に刑事が訪ねて行ったらびっくりするに決まってるでしょ? それに前は自殺って言われてたんじゃなかったの? それが急にひっくりかえるなんて、他殺の証拠でも見つかったの?」

「一つ言っておくけど、警察は一度もあの事件が自殺だと断言したことはないぞ。遺書の存在から自殺説を広めたのは一部のマスコミのせいだろ?」

「それじゃ警察は他殺だと思ってるの?」

「可能性はあるだろうな。ただ、まだ完全に自殺の線が消えたわけじゃないぞ」

「他殺だと考える理由は何なの?」

「まったく……」

 秋彦はため息とともに話し出した。「理由は二つある。その一つはスペアキーの存在だ。彼女はこの春に近所の合鍵屋でスペアキーを作っている。だが、部屋からはそれが発見されていない。彼女の実家の家族も持っていなかった。つまり、部屋に鍵が掛かっていたからといって、彼女が必ずしも自殺したとはいえない」

「誰か第3者がスペアを持っていた可能性があるってことか。もう一つは?」

「彼女の部屋にあったと思われるいくつかの品物が消えているんだ」

「品物?」

「妹さんの話では、新山響子はアンティーク品を揃えるのが趣味だったらしい。主に食器類やアクセサリーだったそうだが、それらの品物が事件の後、部屋からは消えているんだ」

「物取りの仕業ってこと?」

「その可能性もある。ただ、そのアンティーク品はほとんどが安物で、高くても数万のものだったらしいから、もし物取りの仕業だとすれば、犯人もそういう眼力はなかったわけだ」

「ふぅん」

「言っとくけど、これはここだけの話だからな。香澄ちゃんにも言うんじゃないぞ」

「わかってるわよ」

 そう答えながら、早苗は香澄のことを考えた。

 香澄とは先日の映画の時以来、連絡が取れていなかった。あれから何通かメールを送ってみたものの、香澄からの返事はなかった。あの時は香澄を心配するあまりに余計なことを言い過ぎたのかもしれない。きっと少し時間を空ければ、お互い気持ちを落ち着けて話すことが出来るだろう。

 秋彦がふと、顔をあげて何かを思い出したように口を開いた。

「そういやおまえ、小学校の時の同級生に神城っていう奴がいたよな」

「神城? うん、神城二葉のこと?」

 早苗はすぐに答えた。「あいつなら、4年生の時に引っ越していったわよ。確か北海道に行くって言ってた。家にも何度か遊びに来たわよ。憶えてない?」

「そうそう、やっぱおまえの同級生か。昔、よくおまえその子のこと苛めてたよな」

「違うわよ。苛められてるのを守ってあげてたの。あいつ、弱々しくていっつもまわりの男の子から苛められてたんだから」

「そうだったか?」

 秋彦は軽く笑った。「俺にはおまえがいじめてたような記憶が強かったけどな」

「なんで急にあいつの話なんて……ひょっとしてどっかで会ったとか?」

 早苗は真剣な表情で秋彦の顔を見た。

「まあ、ちょっとな……」

 秋彦は曖昧に答えて、再びカップラーメンを口に頬張った。秋彦があまり話したがらないということは何かの事件に関係しているのかもしれない。

「あいつ、何かしたの? 逮捕されたとか?」

「いや、そうじゃないよ」

「じゃあ何?」

 早苗は食い下がった。

「今日、新宿で男の死体が見つかったんだ」

「まさか、それが――」

 スッと背筋が寒くなる。

「違う違う。死んでいたのは別の男だ。ただ、それを発見したのが神城二葉という名前だったんだ。まるで事件とは無関係だと判断して、簡単な事情聴取の後帰ってもらったらしい。あとで資料を見せられて、その名前を見てどこかで聞いた名前だと思ってたんだ」

「なんだぁ、びっくりさせないでよ。あいつが死んだかと思うじゃないの。じゃ、お兄ちゃん、直接は会わなかったの?」

「そっちの事件は別の奴が担当することになったんでね」

「そぉ……あいつ、今、何してるんだろう」

「確か、職業の欄に『占い師』って書いてあったな」

「占い?」

「この前、池袋の駅裏に『占いの館』ってのが出来たろ? そこで占い師として仕事をしてるらしいな。おまえの会社と近いんじゃないか?」

「あいつが……占い?」

 早苗は小学生の頃の神城二葉の姿を思い出していた。身体は痩せて小さく、弱々しいイメージがあった。それでもどこか強い光を持った瞳が印象的だった。いつも顔の前で拳を作ってみせると、ビクリと怯えながら早苗を見ていた。それが面白くて何度もからかったものだ。

 転校していってからは一度も会っていない。

(会ってみたいな)

 忘れていた感情が胸に蘇ってくる。

 二葉は早苗にとって初恋の相手だった。


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