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「ねーちゃんが、女の人から俺を守ってくれた。俺の代わりにぶたれたんだと、思う。あれが紅葉の赤だったのか、夕日の赤だったのか、ねーちゃんの血だったのか、記憶がごっちゃでもう判らないけど、ねーちゃんは、死んだ」
人が簡単に動かなくなってしまうことを窓は知った。その頃の窓にはまだ〝死〟の概念はなく(死んでもこの世に見える人は少なくとも存在することができるなら、いなくなったわけではないと思っていたからだ)、親戚の女性が亡くなったこともすぐには理解できなかった。だが意思のない瞳を、何処を見ているのかも判らない瞳を、衝撃に見開かれたまま窓を向いているその昏い瞳を覗き込んで、窓は、恐怖を覚えた。
「何をどうしてその女の人から逃げたのか、助かったのか分からない。気づけば俺は、病院で親に、変質者の仕業だったと、聞かされていた」
窓は知らぬ間に硬く結んでいた拳に更に力を込める。その様を見て秋姫が窓の顔を見上げた。
「窓くんは、そうは思ってないんだね」
窓は頷いた。窓の記憶には未だに、彼女の形相が張り付いて離れないのだ。
「あれは――鬼だった」
「……鬼」
秋姫が思案するように窓の言葉を繰り返した。窓は秋姫の言葉は気に留めず、思い出を吐き出すように語り続ける。
「ねーちゃんが、どんな風になってたのかは知らない。俺が気づいた時にはひっそりと葬儀は終わってた。そして俺は、外に出るのが怖くなっていた」
何故、あの日に限って窓は早い時間に公園にいたのだろう。何故いつもと同じ時間に家を出なかったのだろう。五年以上経った今も、窓はその後悔の渦に囚われている。
外に出れば、この世のものではないものとまた出会うこともあるだろう。窓を解ってくれていた親戚の女性はもういない。窓は唯一の外との接触を失い、外へ出ることを拒んだ。
「……でも今は外にいるね、何で?」
秋姫の当然の疑問に、窓は肩をすくめた。そしてパーカーのポケットに両手を突っ込み、ふっと力を抜いて空を仰ぐ。ベンチのすぐ傍に街灯が立っており、後ろに立つ木が、伸ばした枝にわさわさと葉が茂っている。街灯の明かりに照らされたその影が、ベンチに座る窓と秋姫のところにまで降りてきていた。公園の街灯は不審者が出ないようにか、そこそこ明るく点いている。空は晴れと曇りの中間のような天気だった。
「探し始めたんだ、あの鬼を」
探そうと決意して外へ出たその日に、骨女と出会ってしまうことになるとは窓だって露ほども思っていなかったが。
窓の言葉に秋姫が首を傾げた。見つけてどうするつもりだと目が言っているような気がして、窓は苦笑した。
「解ってる。俺なんかが見つけたところで何もできない。だけど、探さずにはいられないんだ。ねーちゃんをあの鬼が手にかけたなら、なおさら」
ふうん、と秋姫は答えた。刀袋を大切そうに抱え、視線を窓から外して正面を向いて口を開く。
「だからって夜中に徘徊したら親が泣くでしょ」
今度は窓が視線を外した。笑いながら、泣かないよ、と続ける。秋姫が怪訝そうに窓を再度見やった。
「俺の不登校より妹の不登校に手ぇ焼いてるからさ、俺が夜中に出かけようが、妹が無事ならそれで良いんだよ、あの人たちは」
「……」
秋姫がうつむいた。しっぽのようにひとつに纏めたくるみ色のウェーブがかった髪の毛が、秋姫の頬を両側から包むように揺れる。
「……私とは似てるけど違うね」
窓は秋姫を向く。掠れるような小さい声で告げられた秋姫の言葉に、何か大切なものが含まれているような気がしたのだ。だが秋姫は華奢な体を丸めるように刀袋を抱いて、窓を見てはいない。
「私は、妖に親を殺されたの」
「……そうか」
窓はそれだけ言うのがやっとだった。他には言葉が見つからなかった。
秋姫は細い身に怒りを溜め込んでいるかのように、そしてその激情を刀袋に収められている日本刀に注ぎ込むように、体を丸めている。
「私には、妖を見る力はない。だから何が起きているのか解らなかった。それが妖だと知ったのも、随分後になってから。妖の存在だって最初は信じられなかったわ、あの人が、椿姫を持って私の元を訪ねてくるまでは。
椿姫を握っていれば、私は妖が見えるようになる。私も私の大切な人を奪った妖を探しているの」
見えない故の苦しみもあるのだと、窓は初めて知った。見えていれば何かできたのではないかと思うのかもしれない、と窓は秋姫の心情を想像する。見えていても何もできないことを窓は知っているし、見えているからこその恐怖も窓は知っているのだが、見えない時の恐怖は、それ以上なのかもしれない。
「その妖怪が何か、判ってるのか?」
窓の問いに、判らない、と秋姫は答えた。ベンチから立ち上がり、窓を振り向く秋姫の髪がふわふわと舞うように揺れる。街灯の仄かな明かりが秋姫の白を浮かび上がらせた。
「だから私は、斬り続ける。そうしたらいつか、あの時の妖に仇討できるかもしれないでしょう?」




