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3-3



 叫んだ窓の声に、湯花が振り向く。まだ少し遠いが、それでも顔が涙に濡れているのが窓には判った。泣いている。湯花が、苦しんでいる。湯花はもしかして、ずっと、苦しんでいたのではないか。ずっと湯花が親に疎まれることのないよう動いていた窓は、あの紅葉の日から外へ出るのを拒んでしまった。湯花はずっと、窓のように他の人には見えないものを見ていたのではないか。小学校で最高学年に上がると同時に限界を迎え、誰にも届かない悲鳴を上げながら閉じこもったのではないか。普通の人には見えないものが見える窓に、湯花は何処かでずっと助けを、求めていたのではないか。

 自分はそれに、気づいてやれなかったのではないか?


「お兄ちゃん!」


 湯花の声に、窓は手を伸ばす。湯花も手を伸ばした。それを掴もうと走る窓に、秋姫の怒声が飛ぶ。


「止まりなさい、窓くん!」


 湯花の向こうにいる秋姫に窓は目をやった。秋姫はぼんやりと赤く光る日本刀を両手でまっすぐに構えている。秋姫の少し焦ったような表情と、赤く煌めく猫のような目が窓の脳に警鐘を鳴らした。セーラー服が少しボロボロに見えるのはどうしたのだろう。

 瞬間、世界が反転した。


「――!」


 窓は背中を強打し、その衝撃に息が詰まった。先ほどまで湯花と秋姫を収めていた窓の視界には、藍色の空が見える。秋空になりつつある其処には、白い星がまだ瞬いていた。


「あはははは! ばーか!」


 湯花の声が降ってくる。窓は視線をそちらに向けた。随分と高いところで湯花が笑い転げている。


 どす、という鈍い音と共に何かが地面に突き刺さる音が窓の耳に届いた。突き刺さるものは、ひとつしかない。椿姫だ。


「あ、き?」


 窓が椿姫の持ち主を探して顔を巡らせると、同じ地面に秋姫が横たわっていた。顔は窓の方を向いていないため、どうなっているかは判らない。だが、ぴくりとも動かない。


「ばーか、ばーか! 人間の娘が粋がって向かってくるからこういうことになる!」


 湯花が笑いながら秋姫に向かって言う。窓が今まで見たことのない湯花の顔だった。


「もう少しでこの娘からあたしを引き剥がすのに成功するとこだったのにねぇ! 莫迦な男に無駄にされてしまったねぇ! ああ愉快!」


 お前もだ、と湯花は窓を向く。唇を醜く歪めて、長い黒髪を振り乱して笑っている。


「莫迦な男だねぇ! 娘たちの願いを悉く打ち砕く天才だよ! 自分の妹の願いさえ、聞き届けてやれないんだから! あたしが何度この娘の髪を引っ張ったかわかりゃしない! その度お前にあたしの手が見えやしないか、はらはらしたっていうのに当のお前ときたら……本当に莫迦だねぇ!」


 何年も閉じこもる窓を、湯花は何度も見ていたのだろうか。すぐ近くに助けてほしいと思う人間がいるのに、気づきもせず。窓はそう思うと涙が滲んでくるのを止められなかった。助けてと願う気持ちはあの時、充分に味わった筈なのに、他人が叫ぶ悲鳴を、窓は受け止められなかった。


「おやおや泣いているの? 困った坊やだねぇ……お前の妹は孤独にもっと多くの涙を流していたよ」


「うわああああああ!」


 窓は起き上がり、湯花の体から後神を追い出そうとした。方法は分からない。ただ湯花の体を揺さぶろうとした。しかし、湯花の長い髪の毛が意志を持つように動いて、窓を薙ぎ払う。弾き飛ばされても尚、窓は湯花に向かう。また払われる。何度向かっていっても、窓は指一本、湯花に触れられない。


「深い深い悲しみのあまり、娘はあたしに体を明け渡した。この体、どう使ってやろうか。やっと手に入れた体だ、すぐに命を絶っては面白くないからねぇ!」


 窓は何度も払われ転び、あちこちをすりむいていた。頭もぐらぐらする。もう立ち上がるのもやっとだが、それでも、そんな言葉を聞いたら止まってはいられない。

 妹の体を、好き勝手させるわけには、いかない。


「湯花、湯花! 聞こえるか!」


 窓は出せる限りの声で叫ぶ。望みはある。あの時、窓の言葉に応えたのが後神だったとしても、そう思わせたのは、湯花である筈だから。


「気づかなくて、ごめんな。お前が苦しんでることに、気づけなかった。ごめん、本当にごめん」


 よろよろと頽れそうになりながらも、窓は立ち上がる。目の前にあった椿姫を支えにして立ち上がり、窓は湯花と向かい合った。湯花の長い黒髪が、風もないのにゆらゆら揺れている。憑いている後神が湯花の髪を自由に使っているのだろう。


「いつから苦しかったんだろう。俺はそれにも気づいてなかったな。俺の苦しみを、優先しすぎたのかな。俺も、苦しかったんだ。ごめん、湯花。気づいてやれなくて、ごめん」



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