【顔ヨシ頭ヨシ一途男子・青春ジレ恋】三月に伝えない恋
このお話は、続きも含めて連載「硬派な早瀬くんの不器用な恋の一年」として公開しています!
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その小さな影は、うつむいたまま、
俺の隣を通り過ぎる。
「小楠さん。」
「えっ!」
振り返った小楠さんは、訝しそうに俺を見る。
「あ、俺、YNにいた早瀬だけど……」
「あ、ああ……」
記憶のカードをめくった様子の小楠さんは、
俺が誰か分からなかったことを隠すように、急いで笑い掛ける。
「いつもYNテスト一番だったよねぇ――」
ここまで言って戸惑ったように呟く。
「お祝い会、もう終わった感じ?」
「あ、いや、まだ普通にやってる。俺は抜けてきただけで……」
「早瀬君は合格したよね?」
「おう、まあ……」
既に小楠さんが落ちたことを知っていることを言うべきかどうか、
信号のように点滅する。
「私、落ちちゃったから――ハハ、すごいね、早瀬君。」
これ以上小楠さんを喋らせたくなかった。
「運でしょ。
――小楠さん、今から行く感じ?」
「うん、挨拶かな。」
「棚橋?」
小楠さんは、28点の答案を折り畳んだ時のように、何も気にしないような笑顔を浮かべた。
「うん、小川先生と棚橋先生。」
きっちり棚橋を二番目に置く小楠さん。
俺の瞼に、入籍報告をする棚橋の照れ臭そうな顔とその薬指が浮かんで来る。
小楠さんは、何をしに、行くのだろう――
合格した友人たちが笑い興じる、その場所に――
「俺も戻るわ。」
「忘れ物?」
俺は予備校に向かって歩き始める。
一瞬遅れて、ちょっと小走りで小楠さんが追いつく。
スラリとしているから気付かなかったが、それほど背が高くないのだなと思う。
「いや、小川と棚橋に声掛けせずに出たから――」
「そうなんだ。」
小楠さんは、深く追求せずに、当たり障りのない返答をする。
「俺は、すぐ帰るし。」
小楠さんの邪魔はしないと暗に言ってみる。
小楠さんは軽く「そうなんだ。」と答える。
――存在もしないのに、邪魔になるわけがなかった。
北の裏口から校舎に入ると、
前に小楠さんに落とした百円玉を掻き出してもらった自販機が、
そして、その前に、棚橋が立っているのが見えた。
ひょいとこちらを向いた棚橋が、アッという顔をする。
「小楠さん――ああ、聞いた、聞いた。」
棚橋は、わざわざ、「不合格」の言葉を小楠さんから出させない。
俺は対面する二人を置いて、とりあえず、自販機の前に立ってみる。
「――浪人かあ……予備校は?」
「基本は、宅浪かなって……」
「宅浪か――小楠さんには合ってるかもね……」
自販機で買ったコーヒーがガシャンと音を立てる。
取出口から引っ張り出すと、俺は急いで声を掛けた。
「先生、僕は帰るんで……」
「おっ!じゃあ、頑張って!!身体気を付けて!!」
「――ありがとうございました。」
見送る二人の目が、早く俺から離れるように、駆け足で校舎を出る。
駐車場を抜けて外門を出て、校舎を振り返る。
小楠さんがペコペコと頭を下げたり、棚橋が頷いたりしている。
俺は、見えない位置までずれると、リュックを足の間に置いた。
真正面から北風が吹いてくるが、
ポケットに入れたコーヒーのペットボトルがじわりと温かい。
――と、外門から小楠さんが出てきた。
俺に驚いて、アッと言う。
――今にも泣き出しそうな顔で。
「急に帰ったら変かなって……」
俺は急いで言い訳をする。
「変じゃないよ!――なんか、ごめんね。」
「いや、小楠さん、1ミリも悪くないでしょ。」
俺たちは駅に向かって歩き出す。
何を話せばいいか分からない俺に、北風が遠慮なく吹きつける。
「寒い!」
肩をすくめる小楠さんに、俺はようやくポケットのものを思い出す。
「あ、これ、はい。」
思わず手に取った小楠さんに、俺は言う。
「ポケットに入る?まあまあカイロみてェな感じ。」
「エェ、いいの?」
「それ、小楠さんのだし。」
「私のだっけ?」
俺は困った。
男子校に六年もいると、女子と話す能力が退化するんだろうか。
それとも、相手が小楠さんだからだろうか。
「前、自販機の下から、百円玉出してもらったから……
その……まあ、そんな感じ。」
「いつだっけ……」
全く思い出せない風の小楠さん。
小楠さんの世界での、俺の不存在が完全に証明されて、
俺の三月までの恋は、
終わったというよりも、そもそもなかった気がして情けなくなる。
しかし、俺は、北風に吹き晒される顔を上げた。
「秋くらい――百円が自販機の下に落ちて、
小楠さんが割りばしで掻き出して――」
「ああ!あれね!あれ、早瀬君だったんだ!」
小楠さんが朗らかに笑う。
「うん、そう――なんか、ごめん。お礼とかしてねェし。」
「あ、じゃあ、これはお礼っていう……」
「うん、そう。」
「おー、ありがとう。」
なんで結局、小楠さんにお礼を言わせるのか、俺は。
「無糖のコーヒー……」
「あ、飲めなかった?ごめん――駅で別の買うわ。」
カイロの役割も忘れて、慌てて手を伸ばす俺に、
小楠さんは首を横に振って、コートのポケットにコーヒーを入れる。
「いや、試してみる。ほら、私、ちゃんと目を覚まして勉強しなきゃだし。」
慰め?違う。
励まし?違う。
何を言えばいい?
そんな俺をチラリと見た小楠さんは、さらに付け足した。
「合格者からもらったコーヒーとか、縁起よさそう!」
そして、「飲んだら数学解けるとか!」と笑ってくれる。
もう俺は、自分をぶん殴りたくなった。
違う。
違う。
違う。
勉強とか、
成績とか、
合格とか――
違うんだ、
小楠さん。
小楠さんに、そんなものなくたって――
俺は――
俺は、街灯の白い光の下で、呼び掛けた。
「小楠さん。俺――」
しかし、ちょうど通り過ぎた急行列車に、その声は見事にかき消される。
俺が立ち止まったことにすら気付かなかった小楠さんが、
あれ?というように振り返る。
「私ねェ、宅浪して、完全に基礎から数学やり直そうって思ってて……」
青白い顔で、心を決めたように話し出す。
――それを聞いた俺は、フラフラと歩き始めた。
――俺は、何も分かっていない。
「違う」のは、俺の考えじゃないか。
勉強も、
成績も、
合格も、
今はそれこそが、小楠さんを苦しめていて、
乗り越えたいと思っていて、
必死に戦っているものなのに。
俺は小楠さんに言う。
「俺のダチで、めちゃくちゃ数学苦手な奴がいたんだけど、
太田数学シリーズでK大数学制覇したらしい。」
「オオタスウガク…?」
「中堅大学向けの教科書とか言われてるけど、
基礎力上げるなら結構いいんじゃねェかな。」
駅が近付いてくる。
小楠さんは拍手して俺に笑い掛けた。
「ありがとう!すごいよさそう……駅ナカのMt.Bookで売ってるかなぁ?」
「あー、売ってると思う。俺、見たことあるし。」
「そうなんだ!じゃあ、買う!」
「エッ、見てねェのに決める?」
「だって、【買い】でしょ。間違いなさそう!」
改札に向かうエスカレーターで、青白い笑顔が俺を振り仰ぐ。
YNの花々に溶け込んで、話題の中心にいた小楠さんがふいに思い出される。
――そして、その中で唯一落ちたことも。
「俺も行くわ。
色々似たのが出てるらしいけど、俺なら見れば分かるし。」
「いいの?助かる!」
全部、俺自身のためなのに、
全部、小楠さんにお礼を言わせる、
自分が嫌だ。
駅ナカの本屋Mt.Bookでは、残念ながら、スムーズに、
平積みの太田数学シリーズが見つかった。
早速手に取った小楠さんが、声を上げる。
「数学以外のシリーズも出てる!」
二人で思わず、平積みのポップアップを覗く。
あの自販機のときのように…
ほんの少し髪の先が触れて、
コートの肩先がこすれ合った。
本の匂いと微かなシャンプーの香りに、
俺の心臓が跳ね上がる。
当然、小楠さんの横顔などチラリとも見られない。
ポップアップを読み上げる小楠さんの声。
「【太田先生、待望の新シリーズ『生物』】」
「待ってねェし!」
「ハハハ!――でも、【買い】でしょ。」
「ハッハッハッハッ……」
俺は身体を折り曲げて笑う。
「そんなに笑う?――フッフッフッ……」
つられたように小楠さんも笑う。
――吹き出しても、話し掛けても気づかれなかった高三の一年間が、
ゆるゆると溶けていくようだった。
***
会計を終えた小楠さんが、ヨイショと五冊の本が入った紙袋を受け取る。
心なしか、青白い顔にうっすらと赤みが差している。
二人で本屋を出る。
「早瀬君はどっち方面?」
「俺はこっちだけど……」
「私はこっちだから……全然別だね。」
俺は近くのカフェに目を走らせる。
(ちょっと寄らない?)
(腹減らない?)
(本の中身一緒に見ない?)
俺が必死に誘い文句を考える間に、
小楠さんは、重い荷物を持ってトコトコと歩く。
荷物を持とうとする手も、誘う言葉も、勇気も出ない――
――いや、今大事なのは、カフェで食うことじゃねェだろ。
「小楠さん。」
小楠さんが俺を見る。
「番号、教えてもらっていい?
――俺のダチに、お勧めを聞いて、ショートメッセージとかで送るから。」
(嫌じゃなければ)という言葉は飲み込んだ。
小楠さんは、困ったような照れ臭いような表情をしながらも、番号を言い始める。
0・9・0……
入力されていく数字が、一つ一つ、小楠さんに繋がる階段のようだ。
「小楠さん」と入れて番号を登録する。
「今、電話かけたから、時間あるときに登録して。
あー、俺、早瀬っていうから。
瀬を早み…の早瀬。」
「岩にせかるる滝川の…の、早瀬ね。」
小楠さんはポケットを探って携帯を探していたが、
「これが出てきた。合格コーヒー。」
と、もうすっかり冷えただろう、
あの自販機のお礼の無糖コーヒーを、笑って俺に見せてくれた。
***
「じゃあね。」
「おぅ、また……」
俺は歩き始めたが、階段を降りる前に振り返った。
小楠さんはトコトコと階段を降りていく。
――が、パッと振り返ると、俺を見つけて立ち止まる。
コーヒーを持つ手を二、三回振ると、
また、トコトコと階段を降りて行った。
俺は、二段飛ばしで階段を駆け下りると、
ちょうど来た電車に飛び乗った。
動き出した電車の窓の向こうに過ぎ去っていく景色の中で、
電光掲示板を見上げている、
真っ白な紙袋を抱えた小さな姿が、
俺には、はっきりと見えたのだった。
***
最寄りの駅で降りた俺は、携帯を取り出した。
――はい……はい、それなんですけど、
もう大丈夫です。
――あ、そうじゃなくて、会ったんです、偶然。
――そうです……直接……
――え?まさか……伝えてません。
――はい……それは……
――分かりません……
――




