第二話 亡霊の監査役(かんさにん)
『赤犬亭』の煮込みの匂いが街の噂になり始めた頃、重蔵のもとを一人の若者が訪ねてきた。
名をルカという。この街で三代続く古着問屋「ハミング商店」の若旦那だ。しかし、その顔は上場企業の激務で血尿を出していた頃の重蔵よりも青白い。
「守屋様……どうか、うちの蔵を、いえ、帳簿を救ってください」
重蔵が通されたハミング商店の奥座敷。差し出された帳簿を開いた瞬間、彼は眼鏡の奥の目を細めた。
数字は綺麗に並んでいる。仕入れ、売り上げ、在庫。表面上は優良企業そのものだ。だが、重蔵の指先が、ある一項目の上で止まる。
『人件費:奉公人・メイ 銀貨五枚』
その項目は、三年前から一銭の狂いもなく毎月計上されていた。
「ルカさん。このメイという娘さんは、どこにいる?」
ルカは震える声で答えた。「……メイは、三年前の冬、流行り病で亡くなりました。なのに、父(現店主)は今も彼女に給金を払い続けているんです。それどころか、夜な夜な蔵の奥で、彼女と話し込んでいる声が聞こえるんです」
重蔵は、前世で何度も目にした「不正の匂い」を嗅ぎ取った。
それは単なる幽霊話ではない。もっと泥臭く、執着にまみれた人間の業だ。
その晩。重蔵はルカの手引きで、ハミング商店の蔵に忍び込んだ。
奥の暗がりに、店主が座り込んでいた。目の前には、虚空に向かって並べられた色鮮やかな絹の服。店主は、そこに誰かがいるかのように優しく語りかけていた。
「ほら、メイ。今月もこれだけ稼いだぞ。これでお前の薬が買える。お前を死なせはしない……」
重蔵は、懐の「真贋の天秤」を取り出した。天秤は激しく揺れ、どす黒い光を放っている。
「店主さん。……そこには誰もいない。あんたが養っているのは、娘さんじゃない。『罪悪感』という名の架空経費だ」
店主は悲鳴を上げた。
実は三年前、強欲だった店主は、薬代が必要だったメイに無理な労働を強いた。彼女が倒れた時も、売り上げを優先して医者を呼ばなかったのだ。
店主はメイを死なせた後、その帳簿上の給金を「魔導銀行」という怪しげな組織に振り込み続けていた。すると、銀行は「メイの幻影」を店主に貸し与えた。
「商いにはね、引き際が必要だ。あんたがいくら銀貨を積んでも、過去の決算は書き換えられない」
重蔵が天秤を突きつけると、メイの幻影は霧のように消えた。
残されたのは、不正送金によって空っぽになった金庫と、崩れ落ちる老人だけだった。
大きな謎の断片:魔導銀行
重蔵は、店主がメイの幻影を買っていた振込先を調べる。
そこには、異世界の文字でこう記されていた。
『中央清算機関・第九出張所』
この世界では、人々の「未練」や「負債」を買い取り、それを魔法のエネルギーに変換して街の灯りを灯している組織があるらしい。
重蔵は、自分がこの世界に呼ばれた理由を確信する。
「ここは、誰かの『ツケ』で回っている世界か。……だとしたら、いつか必ず不渡りが出る」




