からくり競艇人物外伝第8話:野田あかり編②
1. 整備棟の異端児
大宮機艇教習所。そこは、からくり競艇のパイロットを目指す若者たちが、一年間にわたって「マブイ(魂)」の制御と機械工学を叩き込まれる監獄にも似た聖域である。
卒業を明日に控えた深夜。全寮制の消灯時間が迫る整備棟で、一台の訓練艇だけが異常な輝きを放っていた。
「あー、マジ最悪。このラインストーン、もう一列増やした方が可愛くない? てか、左右のバランスがエモくないんだけど」
野田あかりは、機体のカウルに這いつくばり、ピンセットで一粒のクリスタルを慎重に配置していた。彼女の手にあるのは、トルクレンチでもテスターでもない。最高級のスワロフスキーと、超強力なマブイ伝導性接着剤だ。
「野田、貴様……また機体を重くしているのか」
背後から響く、地を這うような低い声。教官だ。あかりは振り返り、派手なネイルを揺らして不敵に笑った。
「教官、お疲れー。これ重さじゃないから。『マブイの反射率』を上げるための、超・理論的デコだから。教官こそ、最新のホバークラフト理論、ちゃんとアップデートしてる?」
「屁理屈を。貴様は学科も実技も、歴代トップクラスの成績で首席だ。だが、そのふざけた格好と、機体を玩具にする精神だけは、私は最後まで認めんぞ」
教官は忌々しげに鼻を鳴らし、去り際に一言付け加えた。
「明日の卒業記念競走、無様に負けてその石コロを水面にバラ撒くがいい」
教官の足音が遠のいた後、あかりは独りごちた。
「……認めなくていいし。ウチが勝てば、それが正解になるんだから」
2. 「デコ」に隠された熱力学
あかりが熱中している「ホバークラフト理論」――それは機兵の浮遊構造と熱交換の極致を説く、教習所一の難関科目だ。
マブイを燃焼させれば、必ず膨大な「余熱」が出る。通常のレーサーは、この熱を冷却水で逃がし、パワーダウンを防ぐことに腐心する。
だが、あかりの発想は違った。
(熱を逃がすなんてもったいない。その熱、全部『浮力』に変換して、水面との摩擦をゼロにすれば、マブイ量が少なくても勝てるっしょ?)
彼女の機体に貼られた無数のラインストーンは、単なる飾りではない。実は、排熱スリットの形状を微細に変化させ、熱風を機体下部へ均等に、かつ超高圧で噴射するための「ボルテックス・ジェネレーター(渦発生装置)」としての役割を計算し尽くして配置されていた。
彼女にとって、機体の整備は緻密な数式のパズルであり、デコレーションはその計算を物理的に完成させるための儀式だったのだ。
3. 卒業記念競走:絶望のラグ
そして、卒業記念競走当日。
スタンドには全国の支部関係者や家族が詰めかけ、熱気が最高潮に達していた。
「全艇、起動!」
シグナルの点滅が早まり、一斉にマブイが点火される――はずだった。
他5艇が猛烈なホバー噴射とともに一斉にスリットへ向かう中、あかりの1号艇だけが、ピットで「ブゥン……」という低い唸りを上げたまま静止している。
「嘘っ、デコ用LEDにマブイ食われすぎた!?」
装飾に使用した発光ギミックが、想定以上の待機電力を消費していた。メインシステムの起動シーケンスに、致命的な「コンマ5秒」のラグが発生したのだ。
競艇において、コンマ5秒は数キロメートルの差に等しい。
観客席からは悲鳴と失笑が漏れた。「やっぱりギャルはこれだ」「首席のくせに、最後で機体を壊したか」。
だが、ヘルメットの中で、あかりの瞳はアイスブルーに冷え切っていた。
「……大丈夫。想定内だし。今のラグで、熱交換器に溜まった余熱は……今、臨界点」
あかりは、機体内の熱を冷却系に回す安全装置をマニュアル操作で解除した。全エネルギーをホバーノズルへ直結させる、大宮の教科書には「即座に爆発する危険あり」と書かれている禁じ手。
「計算完了。――いっけぇ、マジ・アゲ・バースト!!」
爆発的な噴射音が響き渡った。
遅れて飛び出したはずのあかりの艇が、水面を滑るのではなく、数センチ「浮き上がって」加速する。先行艇たちが作り出した、荒れ狂う引き波の山。通常の機体なら足を取られて失速するその凹凸を、彼女は極限のホバー圧による「空気のクッション」で無効化し、文字通り飛び越えていった。
「なっ……なんだあの加速は!? 水面を走っていない、飛んでいるのか!?」
実況の声が裏返る。
4. 1マークの閃光
第1ターンマーク。全艇がひしめき合い、マブイの火花が散る最激戦区。
大外から凄まじい速度で接近するピンク色の機体を見て、先行する候補生たちは戦慄した。
「そこ、あかりの道だから! どいて!」
あかりは、バンク角を限界まで深め、機体底部のデコレーションから計算通りの熱風を噴射させた。
摩擦ゼロ。水の抵抗を一切受けない「完全滑走」。
彼女は最内のわずかな隙間に、針の穴を通すような精度で突き刺さった。
「デコっても勝てるのが、本物の首席っしょ!」
ターンの出口。他艇が波に揉まれてもたついている間、ピンク色の閃光はネオンの光跡を残して独走態勢に入った。
あかりの機体に貼られたクリスタルが、激しい旋回のGに耐えながら、西日に反射して黄金色に輝く。それは、彼女が孤独に積み上げた計算式が、正解であったことを証明する輝きだった。
5. 山口への手土産
結果は、歴史に残る大逆転の1着。
ピットに戻り、ヘルメットを脱いだあかりの顔には、汗で少しだけ崩れたメイクと、晴れやかな笑顔があった。
「……見事だった、野田」
歩み寄ってきた教官の顔には、初めて隠しきれない敬意が浮かんでいた。
「だが、お前の配属先、山口支部の『黒田』という男は厳しいぞ。からくり整備の鬼だ。その機体を見たら、即座にハンマーでデコを叩き割られるだろうな」
「えー、超こわーい。ハンマーとかマジ勘弁だし」
あかりは肩をすくめ、派手なネイルを眺めて笑った。
「でも大丈夫。山口には、マブイ1,000で勝っちゃうもっとヤバい変態……師匠(誠)がいるんでしょ? あたし、その人にホバー理論の本当の答え、聞きに行くんだ」
彼女は、山口支部から噂に聞いていた「速水誠(上田通彦)」という、かつてマブイを失いながらも頂点に立った伝説の男を思い描いた。
首席としてのプライド、そして自分と同じ「理」で勝負する先駆者への憧憬。
「あーあ、下関のタピオカ、美味しいといいなー」
大宮機艇教習所の卒業記念。
一人の首席ギャルが、山口へ向かうカバンの中に詰め込んだのは、無数のクリスタルと、誰も追いつけないほどの「物理法則の翼」だった。
夕陽に照らされた水面で、彼女の航跡だけがいつまでもピンク色の残光を放っていた。




