からくり競艇人物外伝第1話:マブイ0の不死鳥 上田通彦編
はじめに本編からくり競艇〜黄金の波切り、魂のフルスロットル〜を読んでいただいたほうが楽しめると思います
ご提示いただいた「マブイ(魂の粒子)」を動力源とする独創的な競艇SFの世界観、そして「0(無)」から伝説を築いた上田通彦の物語、非常に熱く引き込まれました。
この骨太なプロットをベースに、描写を肉付けし、登場人物の心理や周囲の反応、そして「からくり機艇」のメカニカルなディテールを深掘りすることで、約3,000字の重厚な中編小説として再構成します。
第一章:残響の「0」——砕け散った天才
1989年、冬。群馬県、前橋競艇場。
赤城山から吹き下ろす「赤城おろし」は、カミソリのような鋭さで水面を切り刻んでいた。ナイトレースの照明が、飛沫を銀色に染め上げる。
この夜、上田通彦という名の若き新星は一度死に、そして「不死鳥」として呪われた産声を上げた。
1. 「持てる者」の傲慢
当時の通彦は、絵に描いたような天才だった。
デビューからわずか3年。彼の体内から溢れ出すマブイ(魂の粒子)は、標準的なレーサーを遥かに凌駕していた。計測器が弾き出す数値は、コアマブイ8,000に外付けの増幅器5,000を上乗せした「13,000」。
この圧倒的な出力は、からくり機艇を水面から軽々と浮かせ、物理法則を無視した異次元の加速を生んでいた。
「マブイさえあれば、どんな展開でもねじ伏せられる」
ヘルメットの中で、通彦は不敵に笑った。彼にとって競艇とは、魂の出力を競う力押しのアトラクションに過ぎなかった。技術や駆け引きなど、マブイの奔流の前では無意味だと信じて疑わなかったのだ。
2. 墜落する彗星
運命の第12レース、優勝戦。
1マーク、通彦は最内を突く「差し」の構えに入った。だが、その瞬間、計算外の突風が彼の艇を真横から叩いた。
「ッ……浮くか!?」
慢心ゆえの反応の遅れ。マブイの制御が一瞬だけ疎かになった。機体底部の揚力プレートが空気を噛み、数トンの剛鉄が木の葉のように舞い上がった。
視界が360度回転し、漆黒の空と冷たい湖面が入れ替わる。
その直後、逃げ場のない爆音が鼓膜を突いた。全速で旋回してきた後続艇のプロペラ音だ。
「止ま——」
叫びは、硬質な衝撃によって断ち切られた。
超硬合金のプロペラが通彦のヘルメットを紙細工のように粉砕し、そのまま彼の顔面を縦に深く切り裂いた。鮮血が冬の空に舞い、彼の意識は深い闇へと沈んでいった。
3. 枯渇した魂
病院の集中治療室。
顔面に75針。まぶたから顎までを縫い合わせた通彦の顔は、包帯に覆われ、もはや肉親ですら判別できない無惨な姿だった。
だが、術後の彼を絶望させたのは、顔の激痛ではなかった。内側に広がる、底知れない**「空洞」**だった。
この世界において、マブイとは生きる燃料そのものだ。
プロペラに魂を直接削り取られたかのように、彼の胸の奥にあった熱い源泉は、完全に干上がっていた。
ベッド脇の測定器が、無慈悲な電子音を吐き出す。
【CORE MABUI : 0 / EXTRA : 0】
「……これでは、もう、機体は動かせない」
付き添っていた医師が、沈痛な面持ちで首を振った。からくり機艇は、乗り手のマブイを触媒として駆動する。出力が「0」の人間がレバーを握っても、それはただの動かない鉄の塊に過ぎない。
「喋るな、通彦。少しでも顔を動かせば、形が崩れるぞ」
医師の制止を無視し、通彦は感覚のない指でシーツを強く掴んだ。喉の奥から、血の混じった喘ぎが漏れる。
4. 父との契約
その時、病室のドアが重々しく開き、一人の男が入ってきた。通彦の父である。
父は、測定器の「0」という数字と、包帯に血を滲ませた息子の姿を、感情を排した瞳で見つめた。
「通彦、聞け」
父の声は、慰めではなく、鋭い刃のように通彦の鼓膜を打った。
「マブイが消えたのは、お前が魂に甘えていたからだ。機体と対話せず、出力という『数字』だけで走っていた報いだ」
通彦は包帯の間から、唯一見える左目で父を射抜くように睨んだ。
「……マブイが……なけ、れば……終わりだと言うのか……」
「黙れ。顔が壊れると言われたはずだ」
父は通彦の枕元に、ボロボロに使い込まれた教習所時代の教本を置いた。
「マブイがなくなったなら、魂以外で勝て。流体力学を、エンジンの機微を、そして負ければ死ぬという狂気を研ぎ澄ませろ。それができぬなら、今すぐここで舌を噛み切って死ね」
父は踵を返し、去り際に一言だけ、重い呪いを残した。
「命懸けで、20年走れ。それでお前の人生は終わりだ」
20年。
マブイを失った抜け殻の体に許された、最後にして唯一の猶予。
通彦は暗闇の中で、動かない右手を見つめた。プロペラに掠め取られた指の感覚はまだ戻らない。だが、彼の内側で、マブイとは異なる別の「火」が静かに灯った。
(0なら……0で勝つ方法を、地獄の底で探してやる)
第二章:静寂の再起——「0」の証明
事故から半年。1989年、初夏。
桐生競艇場の水面は、あの日と同じように揺れていた。しかし、そこに帰ってきた男は、以前の華やかな天才の面影を完全に捨て去っていた。
1. 幽霊のピットアウト
「3号艇、上田通彦、ピット離れ!」
実況の声が響くが、スタンドの反応は鈍い。
顔面に刻まれた生々しい傷跡を隠すような漆黒のヘルメット。かつての爆発的なオーラは消え、ただ静寂だけを纏っている。
ライバルたちは鼻で笑った。
「マブイ計が死んでやがる。あんな『空っぽの殻』が、からくりを制御できるわけがない。スタートで置いてけぼりだ」
ピットを離れたスリット上、通彦のマブイ数値は相変わらず**【0】**のまま。
だが、彼の脳内はかつてないほど覚醒していた。
水面を走る微細な波の周波数。
エンジンの排気がもたらす微かな振動の「揺らぎ」。
風が頬の縫合痕を撫でる角度から導き出す、1秒後の突風の予測。
「マブイがないなら、機械に『お願い』はできない。なら、物理法則を俺の奴隷にするだけだ」
2. 精密なる「零式」
「12レース、スタートしました!」
通彦のスタートは、他艇に比べて明らかに遅れた。マブイによる瞬間的な爆発力が使えないため、物理的な加速力の差が出たのだ。
「やっぱり終わりだな」
観客が溜息を吐いたその時、通彦の視界には鮮やかな「ライン」が見えていた。
他艇が過剰なマブイを水面に叩きつけ、荒れ狂う白波を立てている。
その乱れた波紋の間に、わずか数センチだけ、水面が鏡のように静止する「道」がある。
第1ターンマーク。
通彦は艇を極限まで傾け、サイドのフィンを数ミリ単位で水面に食い込ませた。
マブイで強引にねじ伏せる旋回ではない。遠心力、浮力、そして水の抵抗を完璧に調和させる、まるで精密機械のような旋回。
「……そこだ」
内側が競り合い、外側が膨らんだ一瞬の隙間。
針の穴を通すような角度で、通彦の3号艇が吸い込まれるように滑り込んだ。
「まくり差しッ! 上田、一気に2番手! なんという旋回スピードだ!」
3. 「意志」の勝利
最終周、第2マーク。
先頭は、圧倒的なマブイ量を誇るベテラン、佐藤だ。
「抜かせん! マブイ、オーバーブースト!」
佐藤の機体から青白い炎が噴き出し、水面を爆発させるような加速を見せる。
だが、通彦は微動だにしない。
彼は佐藤の機体が作り出す「引き波」の斜面を読み、そのエネルギーを自らの推進力に転換した。
サーフィンのように自然界のエネルギーを略奪する。
ゴール直前、通彦はレバーを指先でミリ単位で調整し、エンジンの回転数を、金属が悲鳴を上げる「物理的限界点」で固定した。
音もなく、ただ鋭く伸びた3号艇のバウが、ゴールライン上で1号艇をハナ差で捉えた。
「……1着、3号艇、上田通彦! 奇跡の復帰1着です!!」
大歓声が沸き起こる中、通彦はゆっくりとピットに戻り、ヘルメットを脱いだ。
そこには、75針の縫合痕が赤黒く走る、凄惨で、しかし気高い「不死鳥」の顔があった。
彼は、呆然とする対戦相手たちを見据えて言い放った。
「マブイが0でも……俺は走る。勝つのは魂の量じゃない。『意志の精度』だ」
第三章:黄金の残像——20年の航跡
復帰戦の勝利は、単なる序章に過ぎなかった。
そこから始まった20年間、上田通彦は「マブイなき頂点」という、この世界の理を覆す伝説を積み上げていく。
1. 狂気の勝率
通算1,100戦1,080勝。
その異常な数字は、競艇界の常識を根底から破壊した。
他のレーサーが「今日はマブイの調子が悪い」「バイオリズムが合わない」とこぼす中、通彦だけは常に「絶対零度」の安定感で水面に君臨した。
マブイを持たない彼にとって、調子の波など存在しなかった。あるのは、数学的に導き出された「勝利への最短ルート」のみ。
彼はピット離れからゴール板まで、一秒の狂いもなく世界を支配し続けた。
2. グランドスラムの絶景
全TGレース制覇。それを三度達成した男は、歴史上彼しかいない。
表彰台に立つ彼の顔には、常にあの凄惨な縫合痕があった。
「俺は持たざる者だ。だからこそ、誰よりも深く、機体の叫びに耳を澄ませてきた」
その言葉は、マブイ量に依存して慢心する現代のパイロットたちへの、痛烈な皮肉でもあった。
3. 磨り減る肉体
彼は常に公言していた。「俺のレース人生は20年で終わる」と。
マブイによる自己修復能力を持たない通彦の肉体は、勝つたびに、確実に磨り減っていった。
プロペラに切り裂かれた指先は冬になるたびに激痛を訴え、顔の傷跡は激しい旋回のGに耐えかねて時折血を噴いた。
ファンは彼を「不死鳥」と呼び、崇めたが、実態は違った。
彼は死なない鳥ではなく、**「死んでいるはずの時間を、技術と執念だけで繋ぎ止めている」**一人の人間に過ぎなかった。
カレンダーに×印をつけるように、彼は勝利を積み上げる。
それは栄光の記録であると同時に、彼が自分の魂を完全に使い切るまでの、無慈悲なカウントダウンでもあった。
最終章:不死鳥、灰へ還り、空へ舞う
2007年。あの日から、ちょうど20年。
上田通彦のレーサー人生、その最終周回が目前に迫っていた。
1. 0.01秒の美学
最後の大舞台、SG優勝戦。
満身創痍の肉体、感覚の消えかけた指先。通彦はマブイ計を一度も見ることなく、全神経を指先に集中させ、スリットへと突っ込んだ。
「上田、行った!! 渾身の全速スタート!!」
実況が絶叫する。
だが、その刹那、判定板に無情な赤ランプが灯った。
【フライング:-0.01】
わずか100分の1秒。機械すら捉えきれない時間のズレ。
通常なら絶望するミスだが、ヘルメットの中で通彦は、あの日以来初めて、穏やかに笑っていた。
「……20年か。きっちり、一滴残らず使い切ったな」
規定により失格。だが、ピットに戻ってきた通彦を待っていたのは、数万人の観客による地鳴りのような「上田コール」だった。
マブイを一切持たない男が、数万人の魂を熱狂させていた。
2. 魂の約束
表彰台に立った通彦は、あの日、父と交わした「血の契約」を思い出していた。
顔面の縫合痕は、もはや醜い傷ではなく、彼が戦い抜いた勲章のように夕陽を反射して黄金色に輝いている。
「20年。……約束通りやな」
独り言のように呟いたその言葉に、スタンドの片隅で、老いた父が静かに頷いた。
彼はそれ以上、何も語らなかった。ただ深く一礼し、マブイ0のまま、伝説の幕を引いた。
3. 魂の継承
数年後。
大宮機艇教習所の講堂には、新入生たちの放つ「マブイ」の匂いが充満していた。
教壇に立つのは、かつて「不死鳥」と呼ばれた男。
「いいか、若造ども」
通彦は、自分の右頬を走る深い縫合痕を、隠さずに指し示した。
生徒たちが息を呑む。その傷跡からは、どんなマブイよりも熱い圧力が放たれていた。
「俺は、あの日マブイを全て失った。お前らが持っているようなキラキラしたエネルギーは、俺の中には一滴も残っていない」
彼は教壇を拳で叩いた。
「だが、俺はマブイ0で頂点に立った。それは、魂の『量』に甘えず、技術という名の『質』に命を懸けたからだ」
鋭い眼光が、生徒一人ひとりの魂を射抜く。
「マブイがあるから勝てるんじゃない。マブイを使い切る『意志』があるから勝てるんだ」
「魂を賭けて、走れ。……それ以外に、レーサーが生きる道はない」
その言葉は、教習所の冷たい空気の中で、消えない火花となって生徒たちの心に飛び火した。
「持たざる者」が「持つ者」に教える、真実の魂。
大宮の地で、新たなる不死鳥の雛たちが、今、産声を上げようとしていた。
【あとがき】
物語はここで完結しますが、通彦の教えを受けた「技術派」の教え子と、圧倒的な「マブイ」を持つ天才ライバルの対立を描くスピンオフなども可能です。この続きや、特定のレースシーンの描写をさらに深めたい場合は、いつでもお知らせください。




