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椿坂の勇者は、戦わずに勝つ  作者: 乾為天女


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第14話 椿坂レシピ帳、第一章はケンカ腰で没

 七月下旬の夜、学習室の窓は開いているのに、風が入ってこなかった。扇風機が首を振るたび、紙がふわりと浮いて、また机に落ちる。外のアーケードの照明が白く反射して、机の上のクリアファイルが水面みたいに光った。


 晴翔は、表紙案を紙に描いていた。太いペンで「椿坂レシピ帳」と書き、その横に椿の花を一輪。花びらを描き終えたところで、まおが紙を覗き込んだ。

 「いい。子どもも読める字だね」

 「読めたほうが、手に取ってもらえるから」

 晴翔はペン先を空中で止め、椅子の脚が白線から出ていないか一度だけ確認した。まおが頷くとき、同じところを見る癖がついている。


 今夜やるのは、商店街の味をまとめた小冊子づくりだった。各店が一つずつ“家で再現できる一品”を出し、短い紹介文を添える。印刷代は、協力してくれる人が払ってくれた分だけ賄える。残りは、小冊子を一冊三百円で出して、学習室の電気代や紙代に回す——と、晴翔が言葉を選んで説明すると、商店街の大人たちは「それなら角が立たない」と頷いた。


 しかし、角は別のところで立っていた。

 机の真ん中に置かれた、和菓子屋の原稿用紙には大きくこう書いてある。

 『塩辛いだけの味覚に、やさしい甘さを教えてやる。』

 その横に、魚屋の原稿用紙。

 『甘ったれた舌に、海の現実を叩き込む。』

 紙だけを見ると、料理本ではなく決闘状になっていた。


 慧理香が視線を落としたまま、机の角を指でなぞり、赤ペンで二枚に丸をつけた。丸の位置が、ちょうど“教えてやる”“叩き込む”のところだった。

 まおが息を吸った。口を開くより先に、床の白線に指先を置く。そこから言った。

 「載せない」

 声は大きくないのに、扇風機の音が一瞬遠くなる気がした。


 晴翔は慌てて笑いに変えようとして、途中でやめた。ここで冗談にすると、まおが何を守ろうとしているのかが薄くなる。

 「……うん。載せない。これは、読んだ人が誰かを見下す文章だ」

 まおは頷いた。

 「相手を下げる文を載せたら、学習室の床が汚れる。汚れた床で、子どもに約束を守れって言えない」


 ドアが小さく鳴った。佑人が入ってきた。汗を拭いたタオルを首にかけ、胸ポケットの帳面を指で押さえながら、二枚の原稿用紙を見た。

 佑人は椅子に座らない。立ったまま、紙の上の言葉を追う。追い終えたところで、帳面を開きかけて、閉じた。

 「……予想どおりだ」

 まおが佑人を見た。佑人は視線を外さず、言い切った。

 「『相手を悪く書く』は、読む人に残る。あとで消せない」


 晴翔は、佑人の言葉をそのまま紙に写したくなった。でも、それだと“予想どおり”で終わってしまう。

 「じゃあ、消せない形で残すなら、何を残す?」

 晴翔が聞くと、佑人は一度だけ瞬きをして、原稿用紙の余白を指した。

 「事実。味。店の手。並ぶ人。……それだけ」


 慧理香が赤ペンを置き、別の白紙を二枚出した。まおが白線の内側にきっちり揃える。晴翔は、和菓子屋と魚屋の原稿を見比べ、ペンを走らせた。


 まず、和菓子屋のページ。

 晴翔は「甘さ」と書きそうになって、いったん消した。甘い派の言葉だけだと片方が置いていかれる。代わりにこう書いた。

 「口に入れた瞬間は軽いのに、飲み込んだあと、椿坂の夕方が残る。団子一本で、今日の頑張りがほどける」

 その下に、同じ行数で魚屋のページ。

 「噛んだときの塩が、海の遠さを思い出させる。焼き立ての匂いが、夕飯の席を急がせる。小骨の注意まで、親切に書いてある」


 まおが文の行数を数えた。指を折って、折り終えたところで言った。

 「同じ熱さだね」

 晴翔は肩の力が抜けて、扇風機の風を初めて涼しいと思った。

 「同じ熱さにしたい。どっちも、勝ちたいんじゃなくて、食べてほしいんだ」


 佑人が、机の上の定規を手に取った。紙の端を揃え、角を合わせる。合わせたあと、余白を見て小さく言った。

 「文字数、そろえろ。片方だけ長いと、読む人が“偏ってる”って思う」

 慧理香が赤ペンを持ち直し、佑人が指した場所に、小さく「+二行」「-二行」と書き込んだ。指示が短いのに、迷いがない。佑人は帳面を開かないまま、机の上に手のひらを置き、紙が飛ばないよう押さえた。


 深夜に近い時間、コンビニのコピー機から戻ってきた商店街の人が、刷り上がった試し刷りを置いていった。紙はまだ温かく、インクの匂いがした。

 まおが最初のページをめくり、白線の内側に置いた。晴翔がその上に、椿の花の線画を重ねる。

 慧理香は、笑いそうになったのか、喉を小さく鳴らして咳払いで隠した。佑人が、ほんの少しだけ口元を動かした。笑ったのかどうかは、扇風機の風に紛れた。


 晴翔は、没になった原稿用紙を二枚まとめ、封筒に入れた。捨てない。燃やさない。封をして、机の端に置く。

 まおが見て言った。

 「残すの?」

 「残す。あの二枚も、味を守りたい気持ちが入ってる。言葉の当たり方だけ、直す」

 佑人が、封筒の角を指で押さえた。紙が反らないように、まるで以前の夜みたいに。

 「直せ。俺は、あとで“戻った”って確認したい」


 まおが笑った。

 「確認係、増えたね」

 佑人は返事をしなかったが、椅子を引いて座った。脚が白線から出ない位置を、足先で微調整してから。


 机の上で、椿坂レシピ帳の第一章が、ケンカ腰のまま消えた。代わりに、同じ長さの言葉が二つ並んだ。

 晴翔は、紙の上の椿の花に、もう一枚だけ花びらを足した。夜の熱の中で、ちょっとだけ、未来の涼しさが見えた気がした。



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