019
夏休みの後半から、2人の協力で時間の出来た僕は、外来種の駆除を本格的に始動した。
特定外来種の昆虫は、もちろんそのまま自死行動を取らせる。
可能ならば、元の生息地に帰したかったが、ほとんどの外来昆虫にそれは無理だったので、自ら動物や鳥の餌になって貰ったり、土壌の栄養が足りていない禿山などで自死させて、土壌の栄養にさせたりした。
外来植物もバッタやイナゴを使って駆除し、新芽が出れば虫が切り倒す。
同じく外来種の魚は、稚魚の段階でゲンゴロウやタガメや甲殻類に、優先的に排除させた。
食用にしないでも攻撃は出来る。
各地で外来種の蛙や亀の卵が切り裂かれて、全滅している状態で発見され、誰か特異な人が外来種の駆除を行っていると、ローカルニュースにもなった。
数世代に渡って、稚魚や卵を優先的に狙われれば、どんなに大きい外来種の魚も亀も、種族の維持は不可能だった。
外来種の魚の駆除が終わった地域では、それまで使役した甲殻類の中から、アメリカザリガニを自死させる。
アメリカザリガニは個体数が多すぎるので、死体の分解で河川の汚染させないように、バランスを見て半分以上を陸で死なせる。
匂いが発生しないように、分解を他の虫で促すなど色々と大変だった。
ここまでの駆除は、指令を思いつけば、その後は観察以外はやることが無い。
殲滅していく中で、他の生態系への影響の観察は行ったが、在来種の個体数の復活という当たり前で嬉しい事態が起こっただけだった。
でもそれでも調査だけは続けたけどね。
自然を弄るのはとにかく怖いからね。
でも、やってみれば駆除自体は指令を出すだけで、管理の手間もない作業だった。
もっと早くから始めておけば良かったと後悔。
外来動物の駆除は難航した。
ヌートリアの様に、生息地が極端に限定される動物は簡単だったが、山を生息地にしている動物が困る。
たまたまアラームで気づいて、出会えた動物はダニなどで殲滅し、その一族も駆除できたが、基本いつ遭遇するかも、何が生息しているかも分からないので、適切なアラームの設定方法すら思いつかない。
実行部隊に大量の虫で襲わせるような指令も出しようはなく、この研究は先に持ち越しになった。
隣の県から始まった浄化は何種類もの外来種の、国内初の根絶地域宣言に結び付いた。
高校が終わる頃には、隣の県から広まった外来生物浄化の波は、僕の県はもちろん、その先へと加速度的に広がり、本州全土に広がりつつあった。
僕と昌の入った大学に、一年遅れで美琴が来て、同じ研究室で活動を始める。
大学では度々沖縄に行った。
外来種の被害が酷いから、優先的に浄化作業を進めた。
アフリカマイマイやプレコなどの有名どころは全滅した。
他にも被害が多い動植物を排除するために、国内中を時には3人で、時には研究室の他のメンバーも加えて、移動を重ねる日々は充実の一言だった。
真面目な楽しみ方だったけど、間違いなく青春の真っただ中の時代だった。
一度絶滅させた沼で、ブラックバスの成魚が見つかった事がある。
すかさず全滅させ、虫を近隣の沼や池に配置し、自分勝手な釣り人が懲りずに余所から連れてきたところを突き止めて、釣り人には晒し物になって貰った。
絶対にバレるはずがなかった親父の趣味の悪行が元で、ネットやニュースで晒し物になり、職も住居も失い、巻き添えの家族は離婚に発展し、近しい親族の一つまで職を失う事態になった。
職を失った親族が、釣り人をボコボコに殴って半身不随にしたことで、傷害事件としては珍しく大々的に報道され、それから国内では認識が改まっていった。
それでも、北海道や四国など手つかずの場所も多かった。
高校の部活から、昌と美琴は生物部と兼部で、情報処理部を立ち上げていた。
エク〇ルでは処理しきれない量になっていたデータを、独自にプログラムを組んで、独自のソフトを作る事で対処する。
このデータ整理とソフト作りとサーバーの管理が、2人の行うメインのサポートとなっていた。
だが、エリアが広がる度に増えるデータが、3人を活動限界に近づかせていた。
大学に入ってからも、どんどん余裕のリソースは無くなり、これ以上のエリア拡張が実務的に不可能になっていた。
情報の処理が間に合わない。
虫から上がるデータ的にはまだ余裕があるけど、膨大すぎるデータ量を物理的に保存できない。
途中からソフトがほぼ完成したので、データ入力は僕が行い、2人はバイトをして、サーバー用のハードディスクなどの必要機器の購入をしていたが、それすらも焼け石に水だった。
有料でもっと高機能なソフト作成をプロに頼みたかったが、内容の情報を出す訳にはいかない。
一度浄化した場所が劣化したり、世代交代でイジメ撲滅したエリアでの再発なども起こり、それらの分のデータ量も地味に圧迫を加速する。
本州と九州と沖縄・各諸島の維持が限界だった。




