雪女も風邪を引く
第一話
自分が冷え性なのは紛れもない事実である。そんなもの、靴下をはいて寝ていればいいだろう、大体の人は思うかもしれないが、寒い夜には靴下をはいたところで意味などない。いや、確かにあればましなのだが、靴下だけでは寒さに耐えることができないのである。正直言って、焼け石に水だ。この諺がなんだかしっくりこないのは俺だけだろうか。
本当に寒い日には布団の中に寝袋を設置、その後に上から布団と掛け布団を乗せ、半纏をデコレーションとしておくのである。一般人の方が自ら熱を生み出すことができる発電機だというのならば俺は充電池である。自ら生産することはできないが、周りの熱を吸収してなんとかなるというものだ。充電は深夜に切れ、寒くて怖い時間を過ごさなくてはいけない。
ここで話は少し変わるのだが、俺の生まれは比較的雪が降ることの多い場所だった。俺の周りの人間は寒さに強いので雪国育ちなんだなぁと実感するが俺は先ほども言った通り寒がりである。よく馬鹿にされていたものだ、『そんなに寒がってると雪女がいじめに来るよ』と。家族の心ない言葉によって小さいころの俺は本当に怖がりになってしまった。いや、まず暗闇が怖いとかそういう前に雪が嫌いになった。雪女ということで雪の下に住居を構えているのだというガキの妄想をしていたというわけだ。雪の降る夜はどんなことがあっても窓の外を見なかったし、一人で部屋にいることすらできない。もちろん、雪合戦なんてもってのほかで雪だるまは雪女の使い魔だと本当に信じている。
まぁ、そういった経緯もあってか高校生になって俺は南のほうへ、南のほうへと高校を探し、進学した。本当のところ、家族が偶然引っ越して地方の高校をそのまま受けたのが始まりなのだが。
中学ごろからその土地にいたのだが俺が高校生になった後、家族は再び北のほうへ、北のほうへと帰って行ってしまった。高校を辞めるわけにも転校するわけにもいかなかったので俺は一人暮らしを始めたというわけである。まぁ、あのクソ寒い場所より冬は暖かいのだがどの道、冷え性の俺にとっては寒いことには変わりなかった。そのまま近くの大学へとさらに進学を果たし、いまだに俺は一人暮らしを続けている。
寒い日、眠るときは絶対に布団から頭を出すことはない。張り詰めたような緊張感を感じ、俺の脳内は勝手に見えない雪女を部屋に出現させてしまうのだ。
「雪女なんて怖くねぇよ」
強がりで言ってしまったあの言葉。今、もしも撤回していいよと誰かに赦されるというのならば俺は絶対に撤回する。何が引き金になって事件が起こるのか俺には分からない。
事件が起こったのは大学二年の春、とてもとても、暑い夜のことだった。
――――――――
暑い、まだ四月だというのにその日は本当に暑かった。日中気温が三十度を超え、ゴールデンタイムにはあの暑苦しスポーツ選手が登場し、挙句の果てには寝苦しい。衣替えを行っていなかった俺が身につけているものは当然、冬用のパジャマであり、今では汗のせいで濡れている。
「暑いぃ、暑いぃ」
まどろみながら、夢と現実どちらでもつぶやいていた俺の耳に吹雪いているときの音が聞こえてきた。安らぐ音だが、どこか冷たく、怖い音。きっと吹雪いているときに人が叫んだとしても聞こえることはないだろう、そう思える音だ。
「眠れないのかしら、それなら永遠に眠らせてあげましょう」
夢の中なのか、現実なのかよくわからないが俺の視界の中に白い着物を着て長い髪の女性が袖を口元にあてて冷たく笑っていた。そういえば、この前なんてPCを使った講義中に間違えて印刷ボタンを押しちゃったんだっけ。あれ、そのままにしたけどどうなったのだろうか。
「凍ってしまいなさい」
そんな声が耳朶に気持ちよく聞こえる。次の瞬間、それまで暑かった部屋はあっという間に冷えたかと思うと俺の身体は動かなくなった。金縛り、一瞬考えたが身体は冷たいのだ。
首から上は動いたので下を確認すると暑さ五センチ程度の氷で俺は固められていた。ああ、ひんやりとしていて気持ちいい。永遠と続く砂漠をうろついた末、オアシスにたどりついた瞬間とはこれに似ていることなのだろう。そして、湖に向かって斧を投げ込めば湖の女神まで出てくるというオプション付きだ。
それまで眠ることのできなかった俺は徐々に眠りの世界へと引き込まれていくのを実感した。あ、湖の中から女神さまが出てきた………
俺はその日、助けた鶴に連れられて鬼が島に連れて行かれる夢を見た。
朝日が俺の目に入ってくる、それと同時に意識が徐々に覚醒していき、五感も目を覚まし始める。なんだか冷たくて柔らかいものを抱きしめながら俺は眠っているのだ。
それが一体何なのか、わからないが俺はとにかく抱きしめ、顔をうずめる。やわらかい何かを手でつかみ、意味もなく顔をこすりつける。
「こんのっ、スケベぇっ」
「んがっ」
固くて冷たい何かが、俺のほっぺたを遠慮なくぶちのめす。痛みでまどろむ余裕などなく、あっという間に目を覚ました。
「え、え、え」
一人用のベッドなのに俺と、もう一人。白い着物、上半身脱ぎかけの女性がいた。うわぁ、すごい谷間。肌もきれいですべすべしてそうだ。
「朝っぱらからどこを見てるのっ、スケベっ」
「ごはっ」
固くてなめらかなこぶしが俺の鼻に直撃する。血の花はベッドに降り注ぎ、赤く染めるのであった。目の前の女性は誰なのか、俺にはさっぱり理解できない。
「だ、誰だあんたっ」
「雪女よっ」
はき捨てるようにそういう。その言葉が俺の脳みそを駆け巡るのには少しの時間を要した。英語で言うところのsnow fairyである。
「ゆ、雪女………」
「そうよ、文句でもあるのかしら」
でも、なんだか想像していたのと違っていた。クールで妖艶なイメージが雪女にはあるのだが、目の前の女性は元気印で活発、ちょっと間抜け……失礼、フレンドリーな印象のほうが強い。『氷漬けにしちゃうわよ、僕』そんなことを一度でいいから言ってもらいたいと妄想したのはいつのころだっただろうか。
まぁ、そんなことは置いておくとして俺は認めねぇ。
「嘘だ」
「本当よ」
頭の上から布団に隠れて見えない部分まで見ようとしたら再び殴られた。
「雪女は絶対に人間を殴らないだろ。なんだか、特殊的なこう、口から冷気を出して凍らせるとかするだろ」
「時間がかかるじゃないの、馬鹿」
またも、殴られた。冷たく、痛い。
「ほら、こうやってグーに息を吹きかけると………はーっ、ね、氷をまとったこぶしの出来上がり」
「おお、本当だ」
白いグーの手を覆うかのように透明な結晶が出来上がる。なるほど、こんなもので殴られたら痛いに決まっている。
「お前すごいなぁ」
「当然でしょ。雪女だから。さて、これで私が雪女だと認めてくれたのかしら」
胸を張るとやっぱり、胸が揺れるわけでそっちもすごい、とは口に出さなかった。
「認めざる負えないな」
「そうでしょうね、それで、本題なんだけどあんたを氷漬けにはるばるやって来たわ」
「え、コーラ漬けにはるばるやってきたのか」
新薬開発のために偶然開発された炭酸飲料につけられるということなのだろうか。
「こ・お・り・づ・けっ」
わざわざ俺の耳元で一言一言区切る。まめな性格なのね、流しちゃえばいいのに。
「え」
「もうっ、馬鹿なやつねっ。だぁかぁらぁ」
そういった後、なぜかベッドに倒れこんだ。俺は当然、視線を雪女へと、正確にはその豊かな胸へと向ける。
「おい、どうした」
急いで肩に手を当て起こそうとするが身体が熱い。ついでに、理性が働いて見ることなくはだけた着物を直しておいた。俺にも紳士的な一面があったんだな。
「まさかお前………」
額に手を当てると自称雪女の頭は熱かった。
「風邪、引いたのか」
「………あんたが無理やり着物を脱がすからよ」
それだけ言って恨めしそうに俺を睨む。
「え、嘘」
俺ってそんなに破廉恥な奴だっただろうか。どこが紳士的なんだよっ。
「暑いっ、とか言って私に襲いかかり、着物を脱がせ、ベッドの中に引きずり込んだのよっ。生きた心地がしなかったわ」
「お、覚えてないぜ」
「そうやって嘘をつく気なのね」
「と、とりあえず寝てろ。今すぐに何か栄養のあるものを作ってくるから」
雪女だろうと女は女。もし、隣に寝ていたのが雪男だったならば俺は絶対に放置していたかユーマを探している団体に連絡していたことだろう。正直言って、可愛かったから助けたのかもしれない。本当、男って馬鹿だなと俺は思った。
「ところで、雪女って何を食べさせればいいのだろう」
俺は比較的現実的な男なのだが、自分の目で見てしまったものは信じるほうだ。とりあえず、冷蔵庫を開けて栄養のあるものをミキサーでジュースにしてあげれば喜ぶのではないだろうかと俺は思いつく。やっぱり、こういうときはドリンク剤がいいのだろうか。
「よし、これとこれとこれだな。ああ、そういえばなんだか元気になるって言われて赤い液体ももらっていたしこれも入れよう」
俺は出来上がったそれをコップになみなみと注いで一応持っていくことにした。
「ほら、お粥ができるまでこれを飲みながら待ってろ」
「何よ、これは」
「ミキサーで作った元気の出る飲料だ」
俺は胸を張る。それに対して雪女はコップを睨みつけていた。
「これ、何が入っているのよ」
「えっとだな、友人からとにかく元気になるって言われていたものでえっと、何っていったかなぁ………テストステロンとかヨヒンビン、あとはニンニクとかすっぽんの生血、オットセイいや、アシカだったかな。とりあえず、元気になるって友人から言われたものを入れて混ぜただけだぜ。変なものは入ってないぞ」
「すっぽんの生血が変なものでしょっ」
「雪女が言うなよ」
「それとこれとは話が別よっ」
「うるさいな、妖怪なら飲めよ。生の血ぐらいすするだろ、妖怪は」
「雪女が血をすするなんて聞いたことないでしょ、吸血じゃないわよ」
「飲みなさいっ」
無理やり押さえつけ、飲ませる。両腕を振り回していたが風邪人だ。抵抗むなしく白目をむきつつも飲ませることに成功した。
「よし、じゃあお粥を作ってくるからな」
「………」
疲れてしまったのか雪女は眠ってしまったようで、元気がなかった。
―――――――
いまいちな料理の腕前のためにうまくはないが食えるレベルのお粥をよそって部屋へと入る。
「最悪の気分だわ」
「まぁ、風邪をひいているから仕方ないだろ」
「あんたのせいよ」
「え、なんでだよ。はい、あーん」
「あーんっ………あんな変な液体を飲ませるから悪化したの」
「嘘だろ、だって友達は元気になるってしきりに言ってたし、はい、あーん」
「あーん、すっごく、あれ、まずかったわよ」
「そりゃ、良薬口に苦しっていうだろ」
「そうかもしれないけど」
お粥をきれいに食べ終えたところをみると明日にでも元気になりそうだ。
「一つ聞きたいことがあるんだけどいいかしら」
頭の上に冷やしたタオルを乗せた状態で俺のほうを見る。
「なんだよ」
「なんであんたは初対面の私をかいがいしく世話しているわけ」
「そりゃあ」
寝起きに胸をもみました、その胸に顔をうずめた罪悪感からです。そんな風に正直に話せなかった。言ったらどんな表情をするのだろう。だが、俺は間違いなく見知らぬ女性の胸をもんだために通報されたなら裁判で勝つことは難しいだろう。
「俺がお人よしだからだよ」
「なるほど」
納得してもらえてよかった。異議ありという言葉を使わなくて済む。
「恩はきちんと返すから、安心しなさい」
「え、いいよ」
「じゃあ、あんたを殺さなくてはいけなくなるわ」
「え、なんでだよ」
「掟よ。知られてしまったからには殺すしかない。恩で返すか仇で返すかあんたに選ばせてあげようという親切心よ」
まだ死にたくないので俺は当然、恩を返してもらうように雪女にお願いした。
「なぁ、お前名前なんだよ。雪女でも名前あるだろ。お雪とか」
「なんて安直なのかしら。私の名前は天花よ、天花」
「あの、なんで天花なんだ」
「名前に突っ込むのなんて無粋よ。それに、気になるのなら国語の辞書で調べればいいじゃないっ………んぷっ」
いきなり鼻血を吹きだした。なぜだろうか。もしかして、雪女は風邪をひくと鼻血を出したりする種族なのだろうか。
「お、おい、大丈夫か」
ティッシュを鼻の中に突っ込みながら尋ねる。本人も驚いているようだた。そんなこんなで俺と雪女は出会ってしまったのだ。出来れば出会いたくなかったのだが人生、そううまくいかないことはすでに知っている。
暇つぶしで書いた小説です。感想、評価、メッセージ、その他何かありましたらお気軽に。まぁ、第一話とか書いてありますが短編ですので今後、どうなるかはさっぱりです。五月二十二日土曜、二十一時四十八分雨月。