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洗濯機の底に沈む女

終電を逃した夜、主人公が立ち寄った深夜営業のコインランドリー。

濡れた床、止まらない水音、洗濯槽の奥にちらつく“長い黒髪”。

「午前二時を過ぎても回り続けるドラムには、絶対に触れるな」――ネットの怪談で読んだその警告が、今まさに目の前で現実になろうとしていた。

“水”が映し出す罪と罰。あなたが最後に洗い流せなかったものは――?

 雨上がりのアスファルトが生暖かい蒸気を吐き出す七月末の深夜一時四十五分。

 終電を逃した私は、汗でぐっしょりになったTシャツとタオルを抱え、駅前のコインランドリーに駆け込んだ。

 明るすぎる蛍光灯、漂白剤のにおい、そして床に点々と残った水滴。客は私ひとりしかいない。

 機械は十数台あるが、4番の洗濯機だけが回転を続けていた。投入槽のガラス越しに、暗い何かが揺れている。


「午前二時までにドアが開かなかったら、その洗濯機は〈底なし〉になる」


 数日前、掲示板で読んだ書き込みが脳裏をよぎる。

 半信半疑でスマホを確認すると、時刻は1:46。あと十四分。



1. 乾かない洗濯物


 硬貨を投入し、5番の洗濯機をスタートさせる。だが気が散って仕方がない。4番のガラス面の内側で、長い髪の影が水の中を漂っているように見えるのだ。

 ――誰かのフード付きパーカーだろう。

 そう思おうとした瞬間、コンッと洗濯槽の内側からノック音がした。

 ビクついた私の足元に、水滴が落ちてくる。天井を見上げても漏水はない。代わりに、4番のドアパッキンからじわじわと水が染み出し、床へ小さな流れをつくっていた。



2. 二時の境界線


 1:55。4番はまだ止まらない。私の洗濯はすでに脱水に入っている。

 ドアの上部に貼られた注意書きを思い出す。


「機械が故障した場合は店員に連絡してください。使用中のドアを無理に開けないこと」


 だが、この店は無人営業だ。連絡先の電話は深夜は出ない。

 私は怖さより苛立ちが勝り、つい4番のドアハンドルに手を掛けた。

 金属が冷たい。まるで氷水に触れたように、指先の感覚が奪われる。

 次の瞬間、ドン! と内側から強烈な衝撃。

 ガラス越しに、血色のない指が一瞬貼り付いた。



3. 底なし


 1:59――秒針が二周目を回る。

 私は後ずさり、スマホを取り出し動画を撮ろうとする。しかし録画ボタンを押した瞬間、店内の照明が瞬いて消えた。

 非常灯だけがぼんやり点き、4番のドラムが止まる。

 カチャン。ロック解除音。

 ドアがひとりでに開き、中から黒い水がどろりと溢れ出した。

 水面には長い髪束が浮かび、その下に白い顔――いや、“顔のようなもの”――が見えた気がした。

 私は声にならない悲鳴を上げて逃げ出そうとしたが、足首を掴まれる。

 床に伸びた水流が、まるで生き物のように私の足を絡め取ったのだ。

 冷たい。深い。沈む。


 ――〈底なし〉だ。



4. 漂う罪


 気づくと私は、洗濯槽の内側に立っていた。周囲は水。重力は上でも下でもなく、ただ湿った闇が身体を締め付ける。

 真向かいに、濡れた女がいた。顔は長い髪に隠れ、衣服は古びたワンピース。

 女の周りには数枚の写真が水中を漂う。

 そこには見覚えのある友人の笑顔、かつて私が傷つけた恋人の泣き顔、そして――亡くしたはずの母の病室での姿。

 私は思わず手を伸ばすが、写真は暗い水底へ沈んでいく。

 代わりに女が近づく。

 髪の隙間から覗いた目は、黒でも白でもなく、水そのものだった。

 私は息を吸おうとする。肺が水で満たされ、視界が泡に霞む。



5. 脱水


 ――ガタンッ!

 全身を揺さぶられ、私はコインランドリーの床に倒れ込んだ。

 照明は復旧し、4番のドアは閉じたまま静止している。

 スマホを見ると2:03。

 5番の洗濯完了を知らせるブザーが鳴っていた。

 足元は乾いている。水の跡もない。

 まるで全部が夢だったように――ただ、私の手のひらに握られていた一枚の写真を除いては。

 そこには、笑顔の私と誰かの肩が映っていた。だがもう片方の人物は、水で滲んで判別できない。

 写真の裏には青いインクで一言、滲みながらも読める文字があった。


「すすぎ残し」


 私は写真をビニール袋に封じ、二度と夜のコインランドリーに近づかないと誓った。

 だが帰宅後、玄関の鏡の前で足を止める。

 Tシャツの背中が、絞れるほど濡れている。

 ぽたり、ぽたり。

 床に落ちた雫はどこにも吸収されず、黒い小さな水溜まりをつくった。

あなたにも“すすぎ残し”あるかもしれませんね。

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