プロローグ
ほとんどの人が自分の夢にほぼなんの価値も置いていない理由はわかる。夢は彼らには軽すぎるし、また、ほぼ全員が重大性と重量とを同一視している。涙は重大であり、壺に涙を集めたりする人もいる。しかし夢は微笑と同じで、純粋な気体、空気だ。微笑と同じく夢もあっという間に消える。
だが、顔が消えても微笑は残るという話だとしたらどうなるか?
──スーザン・ソンタグ『夢の賜物』(木幡和枝訳、河出書房新社)
この記録に意味があるかどうか──本当のところ、そんなことはどうでもいい。私にとって重要なのは、これを書き続けることで正気を保つこと、それだけだ。
娘の由芽が「流行り夢」と呼ばれる現象についに巻き込まれた日、私の世界は音を立てて崩れ落ちた。それ以来、彼女は目を覚まさない。それがどれだけ私を狂わせたか、誰にも分かるまい。
「夢」とは何なのか。由芽がこの世界に戻ってくる方法を見つけるために、私はそれを徹底的に調べ上げた。書籍、論文、インターネット──手に入る限りの情報を漁った。だが、それらが示す答えは漠然としたものばかりだった。夢は記憶の断片だ、無意識の投影だ、脳のデフラグ作業だ……そんな曖昧な説明では、娘を取り戻すことはできない。
あるとき、私は思った。夢とは、記憶を介して他人の意識と接触する場ではないのか、と。
夢の中で、自分が「自分」であると信じる理由。それは、記憶が「私」という存在を支えているからだ。だが、その記憶が他人のものだったら?それが「流行り夢」の正体ではないかと考えたとき、すべてが繋がったような気がした。
「ゆめが、ゆめとは限らない」
彼女がこの言葉を口にしたのは、昏睡状態に入る前夜のことだ。その意味を問い返す間もなく、彼女は倒れた。私はその瞬間から、この言葉の意味を探り続けている。それが分かれば、由芽を救えるのではないか──いや、救わなければならないのだ。
夢はただの幻想ではない。それは記憶を共有し、場合によっては未来の危機を警告するシステムの一部だ。そう考えれば、「流行り夢」の異常性も理解できる。だが、それを知ったところで由芽を目覚めさせる方法は見つからない。私はこの手記を残しながら、暗闇の中で手がかりを探すような日々を送っている。
由芽が戻ってきてくれると信じている。それでも不安は募る。彼女が戻らない可能性を考えるたびに胸が潰れるような思いになる。その一方で、私の中には確信めいた執念がある。この謎を解き明かし、娘を取り戻すのだ、と。
彼女が最後に私に残した言葉──
「夢は終わってくれないみたい。でも、もう迷わないよ。おとうさん」
これが希望の言葉なのか、それとも別れの言葉なのか、私には分からない。ただ、答えを見つけるまでは、この筆を止めるわけにはいかない。