84.匂いでバレる
(この人、本気で言ってるの!?)
私が最初にそう思ってしまったのは、当然のことだったと理解してもらいたい。
そもそもの身分差も、エドワルド様の頭の中からは抜け落ちているということで。
珍しく、状況を客観的に捉えられていないのだと。それはそれで、驚きではある。
しかも、自分が今どんな顔をしていたのかにすら気付いていなかったのなら、なおさら。
(もっと効率的で、合理的な思考を好む人だと思ってたけど……)
意外と、そうではない部分もあるのだと、今初めて知った。
もしくは、エリザベスがいないことがエドワルド様にとっては死活問題だから、なのかもしれない。
そこに関してだけは、申し訳なく思うところがあるにはある。
ただ。
「その……私は、子爵家の娘ですので……。そのように公爵様に睨まれることに、慣れておりませんから……」
むしろ、そんなことに慣れている令嬢のほうが少ないだろう。ということには、触れない方向でいくとして。
私の言葉で、ようやく色々と気付いてくれたらしい。
「申し訳ありません、つい……」
ハッとしたような表情をしてから、すぐにそう謝罪の言葉を口にしてくれた。
どうやら、自分がどれだけ怖い顔をして下位貴族の令嬢を問い詰めていたのかを、しっかりと理解したようで。
けれど、今度は意気消沈した様子を見せながら、呟くような声でこう続けたのだ。
「前回、保護した犬と同じ香りがあなたからしたので……もしかしたら、何か知っているのではないかと期待してしまいました」
「っ!?」
正直、その言葉があまりにも意外すぎて。
確かに、エドワルド様は毎晩のように犬の姿の私の頭に、顔をうずめていたけれど。
(まさか、匂いでバレるなんて思わないでしょ……!)
しかも、あのすれ違った一瞬だけのことで。
エドワルド様の嗅覚が優れているのか、それともエリザベスがいなくなったことが相当精神的にきていたのか。あるいは、その両方か。
いずれにせよ、そんな理由で問い詰められていたというのは。
(ちょっと、衝撃的すぎる)
もっと決定的な理由があって、あんな態度に出ていたのだと思っていたのに。実際には、そんなもの全くなくて。
ただ同じ香りがしたという、曖昧な理由で。あそこまで冷たい視線を向けられていたようだ。
必死に誤魔化そうとしていた自分が、何だか滑稽に思えてくる。
「実は保護をしておきながら、ある日突然いなくなってしまいまして。今も必死で探している途中なのです」
「そう、なのですね」
けれど私の様子になんて、一切気付くことなく。
不思議なことに、ステップだけは全く乱れることも、止まることもないまま。
ただただ一人語りのように、エドワルド様は言葉を続ける。
「元の飼い主が一向に現れなかったので、私が新しい飼い主となって正式に屋敷に迎え入れてから、ほどなくしての出来事でした」
本来であれば、ダンス中に相手を無視して話し始めるなど、マナー違反にもほどがあるけれど。
最初から最後まで、理由も状況も全て知っている身としては、そんなことを考えることすら申し訳ないほどに。
「本当に、忽然と消えてしまって……。今の私にとって、なくてはならない存在なのに……」
ひたすらに、落ちていく視線と声。
このまま知らぬ存ぜぬを貫いて、なかったことにしてしまう選択肢も、私にはある。
本来ならば、それが正解のはずだった。
(魔女に姿を変えられていました、なんて)
信じてもらえない可能性のほうが高いのだから。
けれど、この姿を見てしまったら。
(やっぱり、黙ったままでなんていられないよ……)
それで諦めてくれるのであれば、それはそれでよし。
もしくは提案として、新しい犬を迎え入れることを検討してもらえないかと伝えることだって、できるかもしれない。
それに。
(同じ香りがしたって、あの一瞬で気付けたのなら)
信じてもらえる可能性は、ゼロではない。
基本的に香水なんていう高価なものは、おば様が用意してくださった時以外につけたことはないし。
今日はさすがに、公爵様をお迎えすると事前に分かっていたので。普段とは違って、しっかりと香りを纏ってはいるけれど。
(それでも、真実を話さないと)
エドワルド様だって、先に進めないだろうから。
信じてもらえないかもしれないという怖さが、全くないとは言わない。
ただそれ以上に、いつまでも存在しないエリザベスに囚われたままでいて欲しくなかったから。
「公爵様、実は……」
私は意を決して、口を開いたのだった。




