64.全部、現実
そんなことをしていても、何にもならないのは分かっていたけれど。どうしても、悲しくなってしまって。
ただ、時間は待ってはくれないから。
「アウローラ様、おはようございます」
オットリーニ伯爵家に滞在させていただいている以上、この家のルールにはしっかりと従わなくてはいけない。
そもそも、ドレスを作る費用まで出してくださっているのだから。
そんな状況で、夢の影響で悲しい表情を見せるなど、あってはならない。
自分にそう言い聞かせて、そっと深呼吸をしてから。
「おはようございます。今日もいい天気ですね」
今まで通りの笑顔で、カーテンを開けてくれている後ろ姿にそう声をかけた。
「予定通り、できあがったドレスの確認も可能とのご連絡をいただいておりますよ」
けれど、振り返った彼女の言葉に。
「……え?」
覚えがないまま、小さく呟いた私の声は。どうやら、届いてはいなかったらしい。
笑顔のままの彼女が、次々とカーテンを開けて。部屋の中が、徐々に朝の眩しい日差しで満たされていく中。
「アウローラ様がお選びになられた刺繍の柄が、どのようにドレスに反映されているのか、楽しみにしていてくださいとのことでした」
知らない言葉が、次々と飛び出してくるから。
私の頭の中は、混乱を極める。
(ま、って……いったい、どういうこと……?)
確かに、ドレス作りをしていた。それは、覚えている。
けれど、私が覚えているのは。
(採寸と、生地を選んで……。それから……)
それから、ひと息つけるから森に出かけようという話になったのではなかったか。
ある程度の形ができてから、刺繍の柄などの細かいことは決めていこうと。
(そう、話していたはずなのに……)
それがどうして、いきなり刺繍の話になっているのか。
しかも、私が選んだことにまでなって。
(そんな覚え、ないんだけど!?)
そもそも、刺繍の柄を見せてもらった覚えすら、ない。
まさかこちらのほうが夢なのかと、一瞬考えたけれど。今までのあり得なさを考えると、明らかにこちらが現実。
そのはず、なのに。
(まさか……)
この状況を冷静に分析してしまうと、恐ろしい事実に辿り着いてしまう気がして。
けれど、目を背けることもできないから。
(こうなったら)
一番手っ取り早い方法で、真実を知ってしまおうと決意した私は。ゆっくりと、口を開いて。
「そういえば、私の社交界デビューまで、あとどのくらいですか?」
動揺を悟らせないように、笑顔で質問する。
全てのカーテンを開けて、こちらを振り向いた彼女は。それはそれは、優しい笑顔で。
「あと半年を切りましたよ。楽しみですね、アウローラ様」
私の知りたかった答えを、しっかりと提示してくれたのだった。
そして、それは同時に。
(……夢じゃ、なかった)
残酷とも言える現実を、私に突きつけてくるもので。
つまり、森の魔女に犬の姿に変えられてしまったことも。その姿でオットリーニ伯爵邸まで向かって、追い返されてしまったことも。運よく、エドワルド様に拾っていただいたことも。
(全部、現実だったんだ)
喜びや嬉しさと同時に、悲しさと寂しさが押し寄せてくるという、不思議な感覚に。また少しだけ、泣きたくなってしまったけれど。
「そうですね。とても楽しみです」
誰に話したところで、信じてもらえないであろうことは、十分に理解していたから。
全ての思い出も感情も、そっと胸の奥に閉じ込めて。
ただ、笑顔だけを浮かべていた。




