61.抱き枕になる時間
忙しそうに日々を過ごすエドワルド様だけれど、癒しを求められたのは結局あの日だけだった。
それ以前に、疲れすぎているのか。帰ってくる時間が遅くなったからこそ、眠るまでの時間が本当に短くなって。
(最近、全然遊んでもらえなくなったなぁ)
毎日必ず、朝晩に頭を撫でてくれるけれど。以前のように一緒に遊ぶ時間は、本当に少なくなってしまった。
とはいえ忙しいことは十分理解しているし、休日になればその分しっかりと遊んでくれているので、問題はないのだけれど。
「おいで、エリザベス」
そうして今日もまた、宰相閣下の抱き枕になる時間がやってくる。
最近のエドワルド様は、公爵様としての仕事よりも、宰相様としての仕事の時間のほうが、ずっと長くなっているみたいで。
マッテオさんやディーノさんの様子から、おそらく毎年のことなのだろうというのは分かるけれど。
あまりにも帰りが遅くなりすぎていて、初めて経験する身としては心配になってしまう。
「どうした?」
カーテンの隙間から、少しだけ漏れる月明かりだけで。私の目には、優しい顔をしたエドワルド様の姿が、よく見えて。
その表情が、どこか怪訝そうに変化してようやく、自分が考えごとに夢中になっていたのだと気付いた。
「わふん」
昼間は隠れている、この色気には。いまだに、慣れないけれど。
さすがに毎日抱き枕になっていると、一緒に眠ることにだけは少しずつ慣れてきた気がする。
今こうして、エドワルド様が持ち上げてくれている夜具の中に、素直に潜り込めるくらいには。きっと、この状況に慣れたはず。
(……いや、待って。それも、ちょっと。慣れちゃいけないことだったような気がする)
今さらながら、そんなことを考えるけれど。
悲しいかな、人間というのは慣れてしまう生き物なのだろう。今の私の姿は、犬そのものとはいえ。犬だって、きっと同じようなものだ。
(たぶん)
とはいえ、私の目的はあくまで、今までお世話になってきた分の恩返し。
「いい子だ、エリザベス」
まるで恋人にするかのように、エドワルド様が私を抱き寄せようとも。
これは、犬に対する態度で。
「お前は本当に、いい匂いだね」
まるで婚約者に言うかのように、耳元で優しく囁いてこようとも。
これは、犬に対する態度で。
「可愛いエリザベス。私はお前さえいてくれれば、それだけで十分だ」
まるで妻に対するかのように、愛に近い言葉を向けてこようとも。
これは、犬に対する態度で。
(…………いや、ちょっと待ってよ! これ本当に、犬に対する態度!?)
それとも私が知らないだけで、どこのご家庭でもこういうものなのだろうか?
愛情が深すぎる気がするのは、たぶんきっと気のせいじゃない。
(あと、この時だけエドワルド様って、口調が変わるよね)
少しだけ、普段よりも柔らかい物言いになるのだけれど。
はたして本人は、そのことに気付いているのかいないのか。
この場にディーノさんすらいない、本当の二人きりだからこそ。出てきてしまっている素の部分なのかもしれない。
「あぁ、エリザベス……」
いつものように、私の後頭部に顔をうずめたエドワルド様は。やがて、静かな寝息をたてはじめる。
毎回この態勢なので、もはや疑問すら持たなくなってきていたけれど。
(本当に、抱き枕だよね、これ)
最近はすっかり忘れていたその事実を、ふと思い出して。小さくため息をついた瞬間だった。
窓すら開いていないはずの室内に、小さく風が吹いて。重量のあるカーテンが、まるでレースで出来ているかのように重さすら感じさせず、ふわりと舞った。
その、向こうに。
「ッ……!!」
こちらを見て、笑っている魔女の姿が目映る。
思わずエドワルド様の腕から抜け出して、何も考えず森の魔女に飛びつこうとして。
そこで私の意識は、ふつりと途切れた。




