56.住む世界の差
エドワルド様を乗せた馬車が、玄関ホール前に到着したのは。それから、しばらくしてのことだった。
遠くから聞こえてきたのは、馬の蹄が地面を蹴る音と。一定の速度で回る、馬車の車輪の音。
(人間だったら、まだ聞こえない距離なんだろうなぁ)
そんなことを思いながら、犬の耳の良さに改めて感心しつつ。
お行儀よく、しっかりと座って。主人を迎える忠犬のように、その場でジッと前を見ながら待っていると。
よく手入れされている扉が、音もたてずにゆっくりと開かれる。
「エリザベス? 今日も待っていたのか」
そこから現れたのは、もちろんエドワルド様。続いて、ディーノさん。
二人とも少しだけ驚いたような顔をしているけれど、最近はこれが毎回だから、そろそろ慣れてもいいはずでは?
そう思った私の疑問が解決したのは、そのすぐあとに続けられた、迎えに出てきたマッテオさんとの会話の中でだった。
「お帰りなさいませ、エドワルド様」
「あぁ、今帰った。……ところで、エリザベスはずっとここで待っていたのか?」
一瞬だけ向けられた視線は、どこか信じられないというような雰囲気にも思えたけれど。
「日が沈んでしばらくした後、自らの意思でこちらに」
「食事は?」
「まだです」
「今日は予定よりも、かなり遅くなったはずだが? 先に食事を済ませておいていいのだと、伝えなかったのか?」
「エドワルド様のお戻りを待ってから、と決めているようでした」
「エリザベス……!」
よほど感動したらしいエドワルド様が、私を抱きしめて頭を撫でてくれる。
一見、心温まる場面のようにも思えるのかもしれないけれど。
(そっか。今日はいつもより遅くなってたんだ)
私自身は、ようやく二人の驚き顔の理由が判明して。確かに、いつもよりもお腹の減り具合が早かったかもと、今さらなことを考える。
その間も。
「お前はなんて……! なんて賢い子なんだ……!」
エドワルド様は、私の行動に大変感動していらっしゃった。
個人的には、あまり深く考えずに行動した結果なので。そこまで褒められると、逆に恥ずかしいというか、申し訳ないというか。
「よし。遅くなってしまった分、先に食事にしよう」
「いつでもお出しできるよう、準備はさせております」
「さすがマッテオだ。よく分かっている」
「お褒めにあずかり、光栄です」
当然のように、そんな会話が交わされているけれど。
(いやいや! マッテオさん、本当に優秀過ぎるよ!?)
主がそういった希望を出す可能性を見据えて、事前に指示を出していたということで。
提供されている食事の品数を考えると、かなり前からその指示を出しておかなければ、間に合わないはず。
となると、だ。
(もしかして、私とすれ違ったあの時か、その直後くらいには)
厨房に指示を出しに行っていたのかもしれない。
正確な時刻を知る術がない私とは違って、マッテオさんは常に時間を気にしているはず。
(今日はいつもより遅くなりそうだってことも、時計を見ながら判断してたのかな)
マッテオさんが優秀な家令だということは、前々から知っていたけれど。これはさすがに、すごすぎる。
公爵家の家令、しかも宰相閣下を支える中心人物ともなると、ここまで出来なければならないのか。
(改めて、能力の高さを見せつけられた感じかも)
これが、高位貴族の中の、さらに上位のお屋敷での日常なのかと。久々に衝撃を受けている私とは、対照的に。
「食事にしよう、エリザベス」
それを当然のように受け入れている、エドワルド様。
私の頭をひと撫でしてから、歩き出してしまうから。反射的に、そのあとを急いで追った私は。
(いや、住む世界の差よ)
尊敬と、ある種の畏怖の念を抱いて、その背中を見つめていた。




