54.もし私が
そうして、食事のあとは。
今夜もまた、エドワルド様の抱き枕になる時間がやってくる。
「おいで、エリザベス」
以前と同じ言葉のはずなのに、なぜか以前よりも優しく甘くなった声で呼ばれる、私の仮の名前。
(私の本当の名前はエリザベスじゃないし、そもそも犬でもない)
だから呼ばれているのは別の存在で、今ここにいるのは私ではない。
と、自分に言い聞かせながら。今日もエドワルド様が持ち上げる夜具の中に、そっと体を滑り込ませる。
いまだにこの瞬間だけは、どうしても緊張してしまって。一向に慣れる気配もない。
(無理だよ。どう考えても)
普通に考えれば、男性と部屋の中に二人きりというのも、あり得ないような状況なのに。
「お前は本当に賢いな」
すぐそばで、囁くように落とされる声。
もはや隠そうともしていない、色気を含んだその声色に。私はそっと、背中を向ける。
(直視なんて、できないから……!)
メガネをかけて、仕事をしている普段のエドワルド様ならば、いくらでも目を向けていられるのに。
この、眠りに入る直前だけは。どうしても、見てはいけないような気がして。
「陛下からは、婚約者を選ぶ気がないのであれば、せめて恋人でも作れと言われているが……」
それなのに、なぜか急に衝撃的な発言が飛んでくるから。
「私はお前さえいてくれれば、それで十分だ」
「っ……!?」
色々と処理が追いつかなくなって、混乱の渦の中へと突き落とされる。
(というか、ちょっと待って!)
まさかの、フォルトゥナート公爵様であり宰相閣下であるエドワルド様に、婚約者がいないという事実が発覚した。
恋人がいないのは、おおむね予想通りではあるけれど。
(なんで!? むしろ婚約相手がいないほうがおかしくない!?)
下位貴族であるならば、ともかく。上位貴族の中の、さらに上位の存在であるはずの、公爵様に。どうして婚約者が存在していないのか。
本来であれば、幼い頃からの婚約者がいてもおかしくないのに。
(もしかして……それも、お父様が倒れられてしまったことが要因だったりする?)
あり得なくは、ない。
今後どうなっていくのか分からなくなってしまった以上、相手方が婚約関係を続けるのは難しいと判断したのかもしれないし。
あるいは、真面目すぎるほど真面目なエドワルド様のことだから。
(仕事に忙殺されて、それどころではなくなってしまうから、とか言って)
婚約関係を解消した可能性も、なくはない。
実際、完全な睡眠不足に陥っていたし。そもそもお屋敷の中でも、ほとんどの時間を仕事に費やしていたし。
(それを優しさと言っていいのかどうかは、女性側としては微妙なところではあるけれど)
現実的なことを考えれば、何年もの間放っておかれるのと同じことになるわけで。
そうなれば、きっと不満も出てくるだろう。不安にだって、なるかもしれない。
そんな状況を、想像できないようなエドワルド様ではないはずだから。
(婚約者がいれば、解消を望むだろうし。今から探すとなれば、仕事が落ち着いてからになる)
仮に以前婚約者がいたとすれば、相手方はそれを承諾したことになる。いたとすれば、だけれど。
(でも、もし私がエドワルド様の婚約者だったら……)
少しでも支えになりたいと、思うような気がするから。
真面目な人だと、知っているからこそ。待つ覚悟だって、持てるのではないだろうか。
もちろん結婚というのは、家同士の繋がりに直結するので。本人同士の感情だけで、決定できるものではない。
それは、理解しているけれど。
(それでも、私だったら待ちたいな)
相手の家柄も、年齢も分からないし。そもそも本当に婚約者が存在していたのかも、定かではない。
ただこれは、私の勝手な想像上の話だから。
「お休み、エリザベス」
「……わふん」
今までにないほどの衝撃だけを残して、いつものように私を抱き寄せてから、後頭部に顔をうずめるエドワルド様。
しばらくして、穏やかな寝息が聞こえてきたけれど。
私はまだもう少し、寝付けそうになかった。




