29.驚きの光景
この驚きの状況を、どう説明すべきか分からないまま。
でもとりあえず、私たちが望んでいた状況にはなっているはずで。
(ただ、これ……)
柔らかな寝息が聞こえてきているから、眠っているだけだと思えるけれど。
あの状況下で、いきなり倒れてきたりしたら。
(私はきっと、気絶だと勘違いして大騒ぎしてたな)
そうではなかったので、起こさずに済んでいるけれど。
一歩間違えれば、色々と大問題だったなぁと思わないわけではない。
とはいえ、いきなり眠ってしまったことを考えれば、体が限界を迎えていた可能性が捨てきれないのも事実で。
(まずは、しっかり休んでもらわないと)
そのためには起こさないことが一番大切だからと、音を立てないようにそっと目線だけを動かす。
メガネの奥の青みがかったグレーの瞳は、今はしっかりと隠されていて。
ブリュネットの髪と同じ色をした長い睫毛が、淡い影を作り出しているその姿は。
(……綺麗な人だなぁ)
ただ純粋に、そんな感想を抱かせた。
普段の笑顔も素敵だけれど、眠っている無防備な姿は、一切飾っていない姿のはずだから。
成人しているはずの男性を、綺麗だと思う日が来るなんて。本当に、想像すらしていなかった。
(肌だって、日に焼けてなくて白いし)
満足に睡眠がとれていないはずなのに、荒れることなくきめ細かなそれは、女性にも引けを取らない。
ずるい、と思うのは。何も私だけではないはずだ。
(睡眠不足って、本当はお肌の大敵なのに)
なんてことを思いながら、少しだけ恨めしい気持ちも込めて、その綺麗な顔を眺めていたら。
突如聞こえてきた、執務室の扉をノックする音と。
「失礼いたします。エドワルド様、家令のマッテオより……」
その向こうから現れた、ディーノさん。
最初に執務机をほうを見て、それから私のほうへ視線を向けたあと。
「……もしや、お休み中、ですか?」
先ほどよりもずっと声量を落として、けれど信じられないという風に呟いた。
それに私は、頷きだけで答えておく。ここで声を出してしまえば、起こしてしまうかもしれないと思ったから。
「なんと……」
そしてやっぱり、ディーノさんにとっても驚きの光景だったらしい。
その場でしばらく固まったまま、エドワルド様を見つめていて。
けれどその内に、ハッとしたように。
「お風邪を召される前に、何かお掛けするものをお持ちしなければ」
そう独り言のように呟いて、一度執務室から出ていった。
この間、エドワルド様は目覚める気配もなく。
(正直、ノックの音で起きちゃうかとヒヤヒヤしてたんだけど……)
どうやら思っていた以上に、熟睡しているらしい。
それはそれで、とてもありがたいことだから。別に、いいのだけれど。
どうして急に? と思わなくもない。
「エリザベス、お目覚めになるまでエドワルド様のことを頼んだ」
とはいえ、考えていても答えは出ないので。
戻ってきたディーノさんが、薄手の毛布のようなものをエドワルド様の体にそっとかけながら、私に向かって真剣な顔でそう言うから。
犬の姿だということを一瞬完全に忘れて、私はしっかりと頷いてしまったのだった。
幸いなことに、ディーノさんは私の行動に慣れすぎていて、微塵も疑問に思わなかったみたいだけれど。
(相当頭のいい犬だと思われてそうな気が、しないでもないかも)
そんなことを思いつつ、執務室を出ていくディーノさんの背中を見送って。
再び静かな寝息だけが聞こえてくるこの場所で、自分はどうしようかと考えた末。
エドワルド様の座っている場所と反対側から、起こさないようにゆっくりとソファーに乗り上げて。
空いている場所で丸くなって、一緒に眠ってしまうことにした。
そうして、寄り添いながら。まどろみの中で過ごした、優雅な時間は。
エドワルド様が目覚める、夕方まで続いたのだった。




