28.静かな寝息
「どうした、エリザベス」
マッテオさんとディーノさんと私の三人で、秘密の作戦会議をした翌日。
全員の予想通り、食事の時間以外は執務室に籠るエドワルド様に、さすがの私も我慢の限界で。
「くぅ~ん」
とりあえず、甘えるように可愛く鳴きながら、その手にすり寄ってみる。
一応昼食前の時間までは、多少は仕方がないかなと思っていたけれど。
(この調子だと、夕食の時間までずっと仕事してそうなんだもの!)
何なら、せっかくの休日。一緒に遊んでくれてもいいと思うのだが。
どうやらエドワルド様の頭の中には、そういう考えが存在していないらしい。
「いつもは大人しくしているじゃないか。邪魔をしてくるなんて、珍しい」
「わふぅ……」
鼻先で一生懸命、その手を持ち上げようとするけれど。思っているよりも、人間の腕というのは重いもので。
でも私が何を求めているのか分からないまま、とりあえずという感じで頭を撫でてくれる。
(そうだけど、そうじゃなくて……!)
休憩も取らずに、ひたすら仕事だけを続けようとする姿に。このままでは倒れてしまうのではないかと、こちらのほうが危機感を覚える状況だというのに。
当の本人は不思議そうな顔をして、メガネの奥からこちらを見ているだけなのだから。
このまま疲れ果てるまで、遊びに付き合わせるか。それともいっそのこと、そこのソファーに無理やり押し倒してしまおうか。
本気でその二択で迷う私に、エドワルド様は一人で納得したような顔をして。
「そうか。私が屋敷にいるのに、いつまで経っても構わないから、痺れを切らしたのか」
なんて、口にしている。
(当たっているようで、ちょっとずれてるんだけどね!)
まぁそれでも、とりあえず仕事の手は止めてくれたから良しとしよう。
そう自分を納得させて、まずは執務机から引き離すことに専念する。
「わふん!」
「どうした? そこで撫でられたいのか?」
ソファーのすぐ横まで移動してから、ひと鳴きすれば。一応意図は汲み取ってくれるエドワルド様。
しかもこれで、素直に私の意思通り動いてくれるわけだから。
(あ、これ。私が本物の犬だったら、かなりワガママに育ってるな)
群れのリーダーが言うことを聞いてくれると理解した途端、きっとものすごいワガママ犬になると思う。
それを考えると、私が人間でよかったのかもしれない。手に負えないような大型犬を生み出すのは、さすがに問題だから。
「ここでいいのか?」
「わふ!」
大人しくソファーに座ってくれたエドワルド様の言葉に、元気よく返事を返す。
そんな私に手を伸ばして、そうか、と一言呟いてから。
「昼間に私が屋敷にいるなど、お前が来てからは初めてだったな。それで構いもしなければ、退屈にもなるか」
「わふぅ」
解釈の仕方は間違っているけれど、仕事から離れてくれるのであれば、正直何でもいい。
実際このまま遊びに発展するのなら、それもそれでよし、だ。
「普段お前はこの時間、外で走り回っているのか?」
「わふ!」
「そうか」
なぜか成立する会話に、違和感を覚えることなく。
メガネの奥の瞳を、優しく細めながら。大きな手で撫でてくれるその心地よさに、うっとりする。
「……エリザベスは、撫でられるのが好きか?」
「わふぅん」
「そうか」
私のひと声を、正しく肯定の言葉と受け取ってくれたらしいエドワルド様は。
「……お前は、あたたかいな」
そのままそっと、優しく抱きしめてくる。
いきなりのことに、一瞬の驚きはあったけれど。今私は犬の姿だったと思い出して、なるほどと納得する。
「それに、いい匂いがする」
とはいえ、耳元で聞こえてくる声に、どうしてもドキドキしてしまうけれど。
(家族以外の男性と、こんなに顔を近付けたことないんだから……!)
そもそもデビュタントのために、田舎から出てきた身。
婚約者なんて当然いないから、これから探さなきゃいけないような人間なのに。
(こういう時に、どう反応したらいいのかなんて知らないし……!)
おば様は、マナーについては色々教えてくれたけれど。男性のあしらい方は、準備が落ち着いてからにしましょうねと言ってたので。
本当に、何も、知らないままなのだ。
「わふぅぅ……」
思わず口から、情けない声が出てしまったけれど。犬だから、そこは許してほしい。
(……って、あれ?)
そういえば、こんな声を出せばすぐに反応しそうなエドワルド様が、全く反応を示さない。
それどころか、先ほどからひと言も喋っていないことに、ようやく気付いて。
「わふ?」
どうしたのだろうかと、ゆっくりと横を向けば。聞こえてきたのは、静かな寝息。
(……え? 寝てる?)
結果としては、上出来なのだけれど。状況だけ見ると、私も動けなくなってしまっているので。
(え? え? これ、どうすればいいの……?)
せっかく寝てくれているエドワルド様を起こすわけにもいかず、ジッとその場で動かず待機していた私は。
ゆっくりと落ちていった腕が、完全に開放してくれるまで。ただ耐えるしか、なかった。




