16.犬の本能
本人が横になりたくないと言っている以上、あまり無理強いもできなくて。
結局、今朝も呼びにきてくれたディーノさんと一緒に食堂へ向かって、エドワルド様と朝食を食べて、お出かけするのを見送って。
(昨日と同じことしかしてない……)
あまりの役立たずっぷりに、お昼ごはんの時間まで一人で凹んでた。
でも美味しいごはんを食べたら、そもそも犬の姿で何ができるんだって開き直れて。
いっそ犬らしい方法で、色々挑戦してみればいいんだって考えてたら。
「本日も庭に出ますか?」
「わふ!」
マッテオさんが、優しいブラウンの瞳を向けながらかけてくれた言葉に、元気に返事をして。
そうして今日もまた、女性の使用人を置き去りにして。一人で広い芝生の上を駆け回る。
むしろ昨日と同じ人だから、もうそういうものだと認識してくれているみたいで。子供を見守る母親かのように、木陰に立ってこちらを微笑ましそうな表情で見ていた。
(ちょっとだけ、複雑な気分ではあるけど)
少しだけ立ち止まって、そちらに目を向ければ。微笑んでくれるその笑顔に、少しだけ癒される。
考えてみれば犬の姿になってから、色々なことが起こりすぎていて。たった数日の出来事のはずなのに、体感としては人間の姿だった頃が遠いような気もして。
(でも、私は正真正銘の子爵令嬢で、アウローラ・パドアンだから)
それだけはちゃんと忘れないようにしないと、本当に自分が初めから犬だったかのように錯覚してしまいそう。
魔女の魔法なのか呪いなのかは分からないけれど、そうなってしまったら人間の姿には戻れないような気がして。
嫌な想像を振り払うように、私は全力で地面を蹴った。
「随分と楽しそうだな」
「!!」
そんな中、聞こえてきたのは。本来ならばこの時間にはまだ帰ってこないはずの、エドワルド様の声。
「わふわふ!」
嬉しくなって思わず駆け寄った私の頭を、優しく撫でてくれる大きな手。
メガネの奥の、青みがかったグレーのその瞳は。今まで見たことがないくらい、優しく細められていた。
「私がいない間は、一人で遊んでいたのか」
「わふ!」
さすがに、女性に簡易的なおもちゃの木の棒を投げてもらうわけにもいかないので、運動不足解消のためにも走っていたけれど。
急用で戻ってきたのでないのなら、ぜひともエドワルド様に遊んでいただきたいところ。
あわよくば、疲れて眠ってくれたら最高なんだけど。
(なんて、思うのはタダだよね)
問題があれば断ってくれるだろうと考えて、服の裾を引っ張って遊びに誘ってみる。
と。
「待て待て。私はまだ、お前と遊ぶ用意ができていない」
そう言いながら、何も持っていないことを示すように両手を開いているけれど。
これは、つまり。
(おもちゃを用意してくれるっていうことなのかな?)
でも、ちらりとエドワルド様の後ろに立つディーノさんに目を向けたけれど、どこかへ向かう様子もなく。
どういうことだろうと首をひねった私と目が合うと、ディーノさんはマッテオさんとそっくりなダークブラウンの瞳を、悪戯っぽく細めてから。
「エドワルド様、こちらを」
「あぁ」
何かをポケットから取り出して、エドワルド様に手渡す。
今のは何だろう? と、私が首をかしげるよりも先に。
「いくぞ」
エドワルド様がその手に持っている『何か』を、思いっきり投げたから。
思わず、条件反射的に、それを追いかけてしまって。
気がつけば、その『何か』を咥え込んだ状態で、エドワルド様の目の前まで戻ってきていた。
(し、しまった……。つい、犬の本能が……)
私の姿のモデルになった犬種が、狩猟犬の一種だったのかもしれないし。そもそも狩りという、生き物としての本能だったのかもしれないけれど。
どちらにしても、あの瞬間はただ、投げられたものを追いかけることしか頭になかった。
むしろ、何も考えていなかったと言っても過言ではないかもしれない。
「いい子だ」
ただ、ものすごく楽しかったことだけは確かだから。
「わふ!」
木の棒よりも咥え心地の良いソレを、エドワルド様が差し出してきた手に乗せて。再び、投げてもらう体制を取る。
と同時に、投げられたものがボールだったことに、今さらながら気付いた。
「もう一度か?」
「わふん!」
同意を示すように鳴いてみせれば、頷いて投げる態勢に入ってくれるエドワルド様。
結局このあと、私が満足するまで投げ続けてくれたけれど。
少しだけ額に汗をかきながら、でも楽しそうに笑うエドワルド様の表情は、私と同じで満足そうだった。




